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赤旗を巻いた竹槍で警官を突く -第1回「血のメーデー」出発地点は神宮外苑だった

太平洋戦争のため国有地となっていた明治神宮と神宮外苑は、1952年1月に「国民が公平に使用できる」他3条件を受け入れることで、宗教法人明治神宮に譲渡されました。
そして、同年5月1日に、神宮外苑の聖徳記念絵画館の前に広がる広大な広場を会場にして、第1回メーデーが開催されます。
大会後、神宮外苑を出発したデモ行進の一部が暴徒と化し、警備に当たっていた警官隊と衝突します。
翌日の東京都都議会で警視総監が呼ばれ、その様子を報告した発言が「東京都議会 会議録検索」の昭和27年第2回臨時会(第12号)本文で読むことができます。
血のメーデーの資料を目にする機会はあると思います。しかし、翌日の生々しい証言を目にすることは少ないでしょう。議事録はとても読みにくい体裁ため、警視総監の発言部分を転載し、読みやすくするために、太字や改行、見出しをつけました。
凄惨な出来事なので、ショックを受ける記述もあることを予め付しておきます。

昭和27年第2回臨時会(第12号)

◯議長(菊池民一君)
昨日のメーデーの際における騒擾事件に関し、警視総監より報告があります。警視総監田中君。

〔警視総監田中榮一君登壇〕

◯警視総監(田中榮一君)
私から、昨日皇居前広場に起りましたまことに不祥な事件に関しまして、御報告を申上げたいと存じます。

 今回のメーデーは、皆様も御承知のように、四月十八日に講和発効に相なりまして、平和独立第一回のまことに意義あるメーデーであります。
従いましてこの主催者たる総評側におかれましても、きわめて慎重なる態度をとり、警察当局と密接なる連絡のもとに、平和裡厳粛扇裡に、しかもまた明朗なるメーデーを実施せんとする計画を当初から立てておったのであります。

「アカハタ(赤旗)復刊のカンパ」の文字が

ところが途中において産別系の労組が入り、また別に朝鮮人を含む団体、また全学連、都学連がメーデーに参加して、ここに統一メーデーを実施するということになったために、メーデーの実施の性格において非常に拡大いたしまして、また実施の面においても相当困難な点が出て参ったのであります。
しかしながら総評側としては、メーデーに参加せんとする者を拒否する理由に乏しいというので、これもついに抱いてしまうことになったのであります。

 そこでこのメーデー実施に際して、解散の場所、それからメーデーの行進のコース、出発の時間、その他詳細警察当局と連絡をとりまして、まずこの計画通りに行くならば、メーデーそのものには何ら支障なく終るであろうという予想をわれわれも立てたのであります。
と同時に、警視総監名をもちまして、あるいはラジオを通じ、また新聞を通じまして、この意義あるメーデーに対して警察はでき得る限りの協力を惜しまない、労働者諸君、このメーデーを意義あるメーデーとして実施していただきたい、こういうことを声明いたしたのであります。

神宮外苑での大会(メーデー)の様子

 さて五月一日のメーデーの当日になりまして、大会は大体順調に進んでおったのでありますが、一部の労務者学生、それらの者の中に、この大会の実施に異議ありと唱える者がありまして、壇上にかけ上りまして、相当混乱の状態に陥りました。
しかしながら主催者側の適切なる幹旋によりまして、大会も大体終了いたし、それぞれメーデーの行進に移ったのであります。

メーデーの行進

 それでメーデーの行進は、五方面にわかれて分散するということになりまして、

いわゆる中部部隊に属するものが六万、
東部が一万二千、
西部が四千七百、
南部一万四千、
北部九千五百、

これは実際にメーデーの行進に参加した者の概算でありまして、この数は見方によっては相当狂いがあるであろうと思うのでありますが、警察側の見た数としては大体この程度ではないであろうかという概算であります。

それぞれ早いものは零時三十分ごろ、遅いものは零時五十分ごろに大会々場でありまする神宮外苑を秩序正しく出発いたしたのであります。

なお今回非常な尖鋭過激分子と認められる共産党の地区委員、また朝鮮人、これは全部北鮮系統であります。それから全学連並びに都学連のグループは、あるいは中部あるいは南部、それぞれ各部隊にこれを分属さして、そうしてこれを分散してメーデーを実施してもらいたいという総評、主催者側の最初の計画であったのであります。

しかしながら、メーデーの行進が始まりますと、この学生グループ、大体これが五千人、それから北鮮系の朝鮮人約二千五百、それから共産党の地区委員または同調者の労組が約二千くらい、これがただちに出発いたしまして、行進の順序を全然狂わせまして、出発と同時にこれらの一万名近い者はかけ足をもってこのメーデー行進の秩序正しく進行しておる部隊の先を越しまして、先に進んで参ったのであります。
ことに中部のメーデー部隊は、東交が先発部隊としてきわめて秩序正しく、堂々と進行して参ったのでありますが、それを追越してその先に立ってしまった。
そうして南部の部隊に属しておりましたこれらの一部は、同様にまたその先頭にくっついてしまった。しかも中途においてはこの南部に属しておりましたこれらの団体は、メーデーの列から分離しまして、中部の方に独断で参加してしまう。

予定コースを変えて、中部の方に参加してしまうというような、きわめて活発な行動をとり出したのであります。

しかしながら、その他のメーデー部隊はこうした一部の部隊の混乱にかかわりませず、指揮者の指揮に従って秩序正しく進行して参ったのであります。

そうして中部のメーデー隊の、先発しましたこれらの学生、朝鮮人その他一部労組の部隊は、日比谷公会堂の旧音楽堂の附近に参集いたしますと、その中から人民広場をわれわれの力によって闘い取れというような、きわめて激越なアジ演説をぶちまして、その声とともに歓声をあげて日比谷交叉点の方に流れ出したのであります。

警察としましては万一の場合を考慮いたしまして、そこに少数の警察官を配置しておったのでありますが、数千の大群衆に対しましては、とうていこの力では押えられなくなったのであります。

皇居前

これらの大集団は旧GHQの前を通って、馬場先門から皇居前広場の方に乱入し出したのであります。このような情勢、それからわれゝといたしましてはすでに出発の時から、皇居前広場の方に乱入するであろうという大体の予定は立てておったのでありますが、これをどこで防ぐか、もしこれを日比谷の交叉点等でかりに防いだといたしますれば、あの繁華な中心地において、交通は杜絶する、一般の通行人は非常に迷惑をする、またもしこの間において群衆との間に乱闘が起るといたしましたならば、一般の善良なる都民の各位に非常な迷惑をかける、あるいは場合によっては不幸にして多数の負傷を出すかもしれぬ。あるいはその附近の駐留軍の施設その他商店、事務所、会社等にたいへんな迷惑をかけ、損害をも及ぼすことになる、かような考えからいたしまして、もし最悪の場合は、皇居前広場の方にむしろこれを入れてしまって、そりにおいてこれを阻止する方が妥当であろうと、かような考えのもとに、やむを得ず皇居前広場の方に乱入するのを傍観しておったのであります。

しかしてその当日の警視庁の警備状況は、全都内の七十三の警察署に対しましてそれぞれ非番員をあげ、待機の姿勢をとりまして、出動し得る人員は一万六千名を予定いたしまして、その他は万一の場合に備えて署に滞在するということにいたしまして、一万六千名だけは署において自由に使える。しかし諸般の判断からいたしまして警察署の署員を本庁においてこれを引揚げて使うということは、その署の自衛態勢を非常に弱体化する。また万一その署の管轄内においていろいろな事故の起った場合、警備の手薄によって支障を来すようなことがあっては全体として大きなマイナスになりますので、署の署員はこれを引揚げない。各署それぞれ自己の勢力によって自衛態勢をとるということを建前にいたしまして、予備隊その他メーデーに直接関係のあるあるいは出発地、あるいは開催地等の署員を合算いたしまして、大体四千百名の勢力によってこの五つのメーデーを取締するという計画を立てたのであります。

そうして皇居前広場にこれを導入いたしまして、やがてこの五つのメーデーが逐次解散をするとともに、勢力を引揚げまして、皇居前広場にこれを注入いたしまして、そうしてこの大集団を処理するという予定を立てておったのであります。

ところがこのメーデーの行進がきわめて迅速であり、またそうしたために勢力を集中することが時間的に若干ずれが生じまして、この八千名の大集団に対しまして当時皇居前広場においては約七百名程度の警察官が万一の場合を警戒しておったのでありまするが、これは大体において一般の市民等の警戒その他に当っておったのであります。

持ち込まれた数々の凶器

そうしているうちに、この大集団の中にきわめて危険な兇器を持っている者が相当おりまして、中には二間以上の太い竹竿の中に鉄棒の先を鋭くといだ鉄器を突き通しまして、針金で固くこれを締め、ちょうど昔の竹槍であります。竹槍に大きな赤旗を結ぴまして、これを会場に持込んだときにはその赤旗をその竹槍の先に巻きまして、槍の穂先だけは隠蔽してこれを持込んだものと考えております。

それから皇居前広場に入って来たときにはプラカードの板は全部これをぶち破りまして、ちよど熊手みたいに中の釘を全部出しまして、そうしてこれで叩けば必ず敵に相当な殺傷を与えるというような、そうした兇器を持ち、中には野球で使いますバットを持ち、あるいは竹の中に鉄棒を入れて外見は竹のようであります、しかし実際持って見ると非常に重い、これは鉄の棒であります。針金でこれを厳重に括りまして竹の中に鉄棒をさした一つの兇器、それから特にかしの木等の非常に固い木を三角に削りまして、これで叩けば先が鋭いために必ず相当傷を受けるというようなもの、そのほかこん棒、目つぶしあるいは火焔弾というようなものを遺憾なく所持して、そうして皇居前広場の方へ乱入して参ったのであります。

その当時少数の警察官がこれを維持しておつたのでありまするが、逐次この警察官を圧迫して参りまして、中には相当押しつけて濠の中に警察官を投込むというような状況にまで立至りましたので、警察官としては正当防衛上やむを得ず、警察官の生命を守るためにはこれ以外に途はないのであります。催涙弾を相当用意して参りましたので、この催涙弾を投げますと、一時相乎方はひるんで退散したのでありまするが、やがてまた今申上げましたような竹槍、それから竹の先に鉄の鋭いものを通したようなものを持って警察官を突いて参つたのであります。もしこのままの状態にしておいたならば、まったく警察官はそのまま突き殺されてしまうというような状態に立至りました。

堀から引き上げられる警官

 百八十名ほどの警察官は大体において全部負傷いたしておりまして、完全な者はごく少数でありまして、あるいは重傷、軽傷、相当これらの者は負傷して参つたので、これ以上このままの状態におつたならば警察官の生命に危険を及ぼすというような状態に立至りましたので、催涙弾も投尽した。
そこでやむを得ず正当防衛上、拳銃の発射によってこれらの暴徒を退散させるというほか途がなくなったのであります。そこで指揮官の命によりまして拳銃を発射いたしまして、この拳銃の発射によって群がる暴徒は非常にひるみまして逐次後退いたしました。やがてそこへ駈けつけました多数の警察官が、この追込められました警察官とようやく連絡がつきまして、そうして全部揃って逐次これを祝田町の自動車道路の向うまで後退をさしたのであります。このときの暴徒のほとんど全部は学生であり、朝鮮人であり、また一部の尖鋭なる労組であります。現在までに逮捕された者はいずれも黙秘権等を行使しましてなかなか姓名、住所、年令、職業等を言わないのでありまするが、今までに百十七名は分っております。それは学生、その他会社員、民青、運転手それからいろいろな職業に従事してぃる人でありまするが、その百十七名の中で学生が三十一名、それから労組員、朝鮮人その他多数でございます。そうしてこの学生と朝鮮人並びに一部の労組は相手方の武器を奪取するということと、相手方に殺傷を加えるということ以外には何ら目的のない、まったく残虐きわまるその行為、ほとんど鬼畜に等しいような行為でありまして、私ども同じ日本人でありながらよくもかくのごとき残虐なる行為をなし得るものかということをつくづく感ずるのであります。今日何かの新聞に一国民が見たままを投書しておりまするが、これはあの状況を見た者の真実の叫びであろうと、かように考えるのであります。その一例を私は申上げたいのであります。

警官が殴られ蹴られ、堀に投げ込まれる

丸ノ内警察署勤務の警逞係で嶋倉という巡査がございます。これが午後二時三十分ころいま一人の巡査と祝田派出所において勤務中、日比谷公園方面から全学連そ他約三、四十名のデモ隊が突然両巡査を囲んだのであります。そうして棍棒その他あらゆる兇器によってなぐる、蹴るの暴行を加えまして、両巡査ともまったく人事不省に陥ってしまったのであります。そのうちこの人事不省で無意識になっている嶋倉巡査を暴徒は手を取り足を取って濠の中に投込んだのであります。そうしてしばらく人事不省で、そのまま水を飲んで沈んでしまったのでありまするが、沈んだためにようやく意識を取返しましてまた水の上に浮んで参りまして、ようやく上ろうとしたのでありまするが、それを見た暴徒は上から石を投げ、あるいは竹槍でこれを突落し、上ろうとするのを何回か突落し、ようやく自力で泳ぎ着いて、同僚が駈けつけましてこれを助けたのでありまするが、上ると同時にまたこれは人事不省に陥ってしまったのであります。

堀からあがろうとする警官

その隙に拳銃を暴徒に奪われるというような、きわめて残虐な行為をいたすのでありまして、今までも警察官が拳銃取締その他におきまして、暴徒のために暴行を受けたという例は多々あるのでありまするが、かような残虐な行為は未だかつてないのでありまして、今回の暴徒のやり方がまったく残虐そのものであるということが一応これによって立証されるのであります。特にこれらの暴徒のうち、ある者は皇居前広場から追出されるや、ただちに駐留軍の自動車を焼払い、あるいは窓ガラスを割るとか、暴虐の限りを尽しておったのであります。

焼き払われる自動車

そこでこれらの状況を見まして、この状態になりましてはもはや単なる公安条例の違反とか、無許可の集団示威運動であるとか、あるいは集団示威行進であるとかいったものではない。また単なる暴力行為取締令に規定される暴力行為というのではなくして、もうまったく集団的な一つの暴力行為で、刑法で言いますれば騒擾罪にこの状態が該当して来ることになったのでありまして、ただちに東京地方検察庁に連絡して、かような状況である、刑法にいうところの騒擾罪にも該当するものと見られる。ことに手当り次第に物件を焼払うというような状況は単なる暴力行為ではない。こうなって来るとまったく政治的の目的を合むところの革命の一歩手前の騒擾罪に該当する。かような解釈をとりまして検察庁と協識いたしましたところが、検察庁も事重大と認めましてただちに最高検と協議した結果、最高検におかれましてもかかる行為はもう刑法上にいうところの騒擾罪なりということに決定を見まして、検挙した者は全部騒擾罪としてこれを処断するという方針を決定いたしたのであります。

暴徒と警官隊

そうして四時半ころに大体皇居前広場の方は平静に復したのでありまするが、まだ一部にしゆん動しているような分子もおりましたので、これらの分子を早急に皇居前広場から掃蕩することに努めまして、五時ころには皇居前広場はまったく平静に復しました。しかしながらこの出た一部の暴徒はまだ日比谷その他あの附近に立止っているという状況で、これらもできるだけ早く解散をさして人心を鎮めるということが緊急の問題と考えまして、できるだけこれを解散することに努力いたしまして、六時ないし六時半ころにはあの附近もまったくふだんと変りないような状況に相なったのであります。なお当日警察官と乱闘いたしまして、現在警察官で負傷いたしました者が七百四十名になっております。このうち重傷を負いました者が六十八名、軽傷者が六百七十二名、合計いたしまして七百四十名ということになっております。これは現在のところ判明した分でありまして、大体この程度の者が判明したものと思っております。そこでこの皇居前広場におきまする乱闘におきましてもちろん暴徒の中にも相当負傷をし、また弾にあたって死んだ者もありまするし、負傷した者もあると思います。またもちろん警察官も命がけの乱闘でありまするから、向うに対しましても、相当の負傷を与えたものと思っております。これらの負傷した者はそれぞれ済生会病院であるとか、そういった病院に相当収容されております。この負傷した者は当然警察官に対しまして暴行を加え、公務執行を妨害したその証拠の跡が、はっきりその負傷において証明できるのでありまして、現在病院に入院中のこれら負傷した暴徒は、もちろんこれは逮捕令状を取りまして、これをただちに収容するような方針を立てております。また起せない者は十分手当を尽した上で、所定の手統によって収容する、かような方法をとりたいと思っております。現在これらの暴徒の使いましたいわゆる兇器類は、トラック何台か押収いたしまして、全部これは暴徒の使用した兇器として、証拠物件として警察が保管をいたしております。

日本共産党中野地区委員会の旗竿

 今回のいわゆる集団暴行、騒擾事件は、先ほど申しましたごとくに朝鮮人、それから全学連並びに都学連の学生のグループ、それに一部きわめて尖鋭過激なる労組の者どもがやったものでありまして、警視庁で分捕った旗の中の大きな赤旗、これは今申しました旗竿の先に槍がついた旗でありまするが、これには日本共産党中野地区委員会というはっきりした銘柄が入っており、共産党のいわゆる連隊旗みたいなものであります。それを分捕ってありまして、共産党全体が加わったかどうか私は存じませんが、少くとも中野地区委員会の共産党が加わっていたということは、この証拠物件によってはっきりと言われるのであります。なおそのほかに相当の証拠物件が残っておりますので、これらのいろいろなものによって、今後相当な検挙者を見るであろうと思うのであります。鋭意いろいろの証拠物件を集めまして、今後捜査の手をさらに伸ばしまして、この騒擾事件の暴行者を、どしどし検挙する方針で進んでおるのであります。

旗を振る大会参加者

 以上きわめて簡単に昨日のあのメーデーの取締状況について申上げたのでありまするが、私どもが今回の騒擾事件を通じて、いろいろ感ぜられますることは、今回の騒擾事件がいわゆる「球根栽培法」とやらいう、共産党が出したと一般に言われております、出したかどうか知りませんが、とにかく日本共産党の秘密文書であると言われてその文書の中に、軍事行動ということがございますが、今回の行動がその軍事行動に、きわめて似ているいるということ、それから持っていた兇器が、この「球根栽培法」に書いてある兇器と全部同じであること、またその戦術等がこの「球根栽培法」に書いてある線術に、きわめて似ておるということ、それから逮捕した人々のいろいろの履歴その他からいたしまして、これが何名かは中核自術隊、それからまた抵抗自衛組織の中のメンバーではないかと考えられるのであります。これは一種の軍事行動の一つであるということに断定をいたしましても、敢てさしつかえないのじやないかとも考えられるのであります。

 なお今後の警視庁の警戒態勢といたしましては、さらに取締を厳重にいたしまして、今後再びこうしたことの繰返されぬように、十分に警戒を徹底いたしまして、なおこうした事態に対しまするいろいろの装備施設につきましても、一層皆さん方の今後の御協力によりまして、さらに改善をいたしまして、こうした場合の取締の対策に、十分に役立つようにいたしたいと思います。

大会時の神宮外苑全景。プロムナードがないほうが好都合なのか。

 なおいま一つつけ加えておきたいと存じますることは、今回のメーデーで、いわゆる総評傘下にあると認められる、大体総評の指揮に従った、いわゆる中立といいまするか、穏健中正なる労働組合、または総評が指揮できたと認められる労働組合のメーデーというものは、これはきわめて厳粛に、きわめて平和裡に、しかも明朗に行われたことは、今後の健全なる労働運動を発達せしむる上におきまして、きわめてけっこうなことであると思います。しかも一部のこうした尖鋭過激の分子と、はっきり一線を画しまして、日比谷公園において指揮者の命令に従って大体散会した。そうしてこの暴徒のあとにくつ付かずにそこで散会して、この暴徒の行動と全部区別してやっていたことは、非常に注目すべき現象であると考えられるのでありまして、この点は総評側において、相当このメーデー実施に際して苦心したということは、われわれも十分わかるのであります。しかし将来の問題として、こうしたメーデー実施が、はたしてほんとうに今後の健全なる労働運動に資するかどうかということは、将来総評側としても、十分に研究すべき課題ではないかと考えておるのであります。この問題によりまして、都民の各位に、非常な不安の感じを与え、また非常な御心配をかけましたことに対しまして、警備の責任者といたしまして、まことに申訳なく存じ、深くおわびを申上げるのでありますが、決してこれによって首都の治安が今後どうであるとか、一体これで今後の警備ができるかどうかというような問題は、これは私は絶対に心配ないと思います。現在の勢力によって、さらにこれに装備を十分に加えましたならば、絶対に首都の治安は心配ない。殊に私どもが力強く考えておりますのは、昨日実際皇居前広場におきまして、これらの暴徒と勇敢に戦った警察官の中で、相当負傷しておりますが、負傷しておっても今日もなるべく立とう、今日の警戒なり、また明日の警戒があるから、ぜひ勤務につけさせてもらいたいというような申出もあり、また実は昨日、私が夜中の一時ごろ役所から出ようと思って階段を降りて参りましたところが、予備隊の者が二人で隅で泣いておるのであります。それを見ますると、手に繃帯を掛け、あるいは顔に膏薬なんか貼って、乱闘の際負傷した予備隊の若い巡査と思うのでありますが、何か手に持って泣いているので、どうしたんだと聞きましたところが、新聞紙を出しまして、総監ここに「逃げた警察官をなぐる」という文字が書いてある。しかも警察官がなぐられておる。私どもは一歩も逃げたりなんかしない。しかるにこうした記事が書かれたということは、私どもとしては実になさけなく悲しくなって泣いておるのです。こういうことでありました。私はそれはあるいは新聞の記事であるから誤って晝くこともあるが、決して諸君が卑怯であったということを言っているのではないのである、その点はまたぼくからもよく新聞社に話しておくから、今後しっかりやってもらいたいということを言ったのでありますが、こうしたことから見ても、警察官は絶対に志気は沮喪していない。志気はさらに高揚されておると、かように私は考えておるのであります。おそらく今後こうした事件で、こうした警察官に対する残虐なる行動があればあるほど、警察官も人間であります、やはり感情は持っております。従ってそひ警察官に対して。何ら理由なく、しかも不法なる迫害行為が、かりに今後繰返されるといたしましたならば、警察官はこれらの、迫害行為に対して、また迫害行為をする者に対して、一つの義憤から、こうした社会悪に対して、さらに反感を持ち、これに対しまして一層徹底的に、これを粉砕するという一つの気魄をますます高めるであろうと私は考えておるのであります。(拍手)
この点を申上げまして、管下二万五千の警察官は、志気いよいよ軒昂である、ということを、ここにつけ加えまして、報告を終りたいと思います。(拍手)

※挿入した画像は、こちらのニュース映画からの画面キャプチャです。
JAPAN: TOKYO MAY DAY RIOT. (1952)
JAPAN: JAPANESE MAY DAY RIOTS (1952)


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