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ICOMOSへの公開質問状→11/21に送付済み、いまだに回答どころか返信すらない。

【12月11日追記】
11月21日(火)の昼に質問メールを送信しました。
設定した回答期日の12月5日(火)時点で、回答並びにメール受領通知も頂けませんでした。
そのため、配達証明を郵送し、12月7日に配達されました。
回答期日は12月20日です。
※団体名を間違えたのは、大変失礼いたしました。
正しくは、日本イコモス委員会です。代表の肩書きも委員長になります。

11月21日(火)の昼に質問メールを送信しました。

ICOMOSがヘリテージ・アラートを発信し、それを元にして「神宮外苑地区まちづくり」の計画にあたかも大きな問題があるかのような言説が流布されています。

しかし、そのヘリテージ・アラートを読んだ方はほとんどいないのではないでしょうか

ヘリテージ・アラートを読むと、背景資料としての説明に大きな問題があるのがわかります。
大きな問題があるにも関わらず、それに関して指摘するメディア、有識者が皆無です。その状況を危惧し、ICOMOSに疑問点を投げかけ、回答を要求したいと思います。

公開質問状を送る前に、本noteで文面案を公開します。
間違い、アドバイス等あればコメントに残していただければ幸いです。
送付者は、「ICOMOS ヘリテージ・アラートに疑問をもつ有志」として、名前もしくは、SNSのユーザー名を書こうと思っているので、賛同して名を連ねたいと思う方がいらっしゃれば、コメントや、Xへの投稿への返信、もしくはDMなどで、表記を教えてください。

公開質問状の宛先

ヘリテージ・アラートのthe background document 4-1 に提案者とその連絡先が記述されています。こちらのメール-アドレスに送信します。

the background document 4-1

4-1 ヘリテージ・アラートの提案者、連絡先の詳細
〒101-0003 東京都千代田区一ツ橋2-5-5 岩波書店一ツ橋ビル13F
株式会社 文化財保存計画協会 気付
一般社団法人 日本イコモス協会会長 岡田 保良
Tel & Fax. 03-3261-5303
E-mail jpicomos@japan-icomos.org

the background document 4-1

公開質問状の要旨

以前にnoteで公開したこちらの2点に絞ります。

  1. 17世紀から続く東京の庭園都市パークシステムの中核に関して、庭園都市パークシステムという学術的な概念は存在しないのではないか。

  2. 『明治神宮御境内林苑計画』(大正 10)の森林遷移予想図を用いて、神宮外苑のランドスケープデザインの特徴を説明するのは誤りではないか。

公開質問状の文案


件名:2023年9月5日発出のヘリテージ・アラートに関しての質問

本文:
わたくし、戎井一憲と申します。
今般、9月5日に発信されたヘリテージ・アラートに関して疑問があります。「ICOMOS ヘリテージ・アラートに疑問をもつ有志」の代表として、質問させていただきます。

対象の文章は、ヘリテージ・アラートからリンクが貼られている、Press ReleaseとBackground Documentです。

質問1
1−1 17世紀から続く東京の庭園都市パークシステムの中核に関して、庭園都市パークシステムという学術的な概念は存在しないのではないか。
ICOMOS Press Release 7 September 2023」 P.2の図のタイトルとキャプションに、

都市の活力を支える不変のインフラ
17世紀より継承されてきた 東京における「庭園都市パークシステム」
(Immutable Infrastructure Supporting Urban Vitality Garden City System inTokyo since 17th Century)

ICOMOS Press Release 7 September 2023」 P.2

図1 東京における「庭園都市パークシステム」の中核となる神宮外苑
―再開発により差し迫った脅威にさらされている。

ICOMOS Press Release 7 September 2023  P.2

とあります。
しかし、日本の造園学者、農学者で現在福井県立大学学長の進士五十八氏の第69回建設産業史研究会定例講演『日本の近代公園史、緑の東京史』(2013年11月21日開催)を読むと、庭園は点で配置され、ネットワークになっていないと話されています。

ところが日本の場合は、そういう緑地の計画的開発、整備をしなかったのです。江戸時代も個人の庭や大名庭園など、緑地はあるのです。しかし、モザイクというか、点で配置され、ネットワークになっていないのです。

第69回建設産業史研究会定例講演『日本の近代公園史、緑の東京史』P.11 より

なお、パークシステム(公園系統)自体が、『19世紀中葉から 20世紀初頭にかけてアメリカで発達したものである』と日本イコモスの石川幹子氏がご自身の論文の中で述べていらっしゃることも付記しておきます。(総合都市研究第 59号 1996 緑地計画と成長管理

2−2 神宮外苑を庭園都市パークシステムの中核としているが、江戸時代に神宮外苑にあたる場所は大名屋敷の庭園ではなかったのではないか。
Heritage Alert background document P.2の図、神宮外苑だとして赤く塗りつぶしている箇所は、北は青山下野守の屋敷、南は青山墓地辺りであり、現在の神宮外苑にあたる場所ではない。

ヘリテージ・アラートの図版と同じ年、1843年の古地図である、『天保改正 御江戸大絵図(帙書:御江戸大絵図)』と現在の地図を比べてみます。

御江戸大絵図とGoogleマップ

紀伊殿(紀州徳川家の中屋敷、現赤坂御所)、梅窓院、青山墓地、現在の青山通りに相当する道から重ね合わせると、青山下野守邸は、その後陸軍大学校、現北青山アパートと青山中学校に相当する場所です。
現在の神宮外苑に相当する場所は、一部は伊東修理守(伊東修理)の下屋敷にかかるものの、御鉄砲場(ヲテツホウノバ)、百人組(百人クミ)と、細々とした長屋が大半を占め、後に練兵場になったことを考えると、神宮外苑が大名庭園だと考えるのは無理があるのではと考えます。
庭園の中核と呼ぶのは難しいのではないでしょうか。

質問2
神宮外苑のランドスケープデザインを、明治神宮の林苑計画・森林遷移予想図で説明するのは誤りではないか。
Heritage Alert background document P.20の説明を抜粋します。

(2) 森林群落の遷移予測に基づく植栽デザイン
神宮外苑のランドスケープデザインの特徴は、森林群落の遷移に基づく科学的な植栽デザインが導入されていることである。図27は、1920年の造成時から、50年後の1970年、100年後の2020年、200年後の2120年までの森林群落の構成を描いた遷移予測図である。
(中略)
神宮外苑は人々の憩いの場として造成されたため、現在では築100年を経過し、「神宮外苑の森」に見られるような照葉樹と落葉樹の混交林を形成している。

ICOMOS Heritage Alert P.20 より

神宮外苑のランドスケープは、図27の森林遷移予想図に基づいているとあります。
一方、図27は、こちら。

「鎮守の杜に響く永遠の祈り 日本人がつくった自然の森ー明治神宮」前編

NATIONAL GEOGRAPHICの過去の連載記事「鎮守の杜に響く永遠の祈り 日本人がつくった自然の森ー明治神宮」の画面キャプチャーです。
この、『明治神宮御境内林苑計画』(大正 10)所収の森の遷移予測図が、ICOMOS Heritage Alert P.20の図27です。
記事を引用します。

「明治神宮御境内林苑計画」は、造園家の本郷が著したもので、森林造成計画の記録書であり、森林管理の指南書である。和綴(と)じにされ、歴史を感じさせるその書物をめくっていくと、「林苑の創設より最後の林相に至るまで変移の順序(予想)」とあり、50 年後、百数十年後の森林の変化が、4 段階の林相予想図として描かれている。

「鎮守の杜に響く永遠の祈り 日本人がつくった自然の森ー明治神宮」後編

明治神宮境内の記録書のなかの「林苑の創設より最後の林相に至るまで変移の順序(予想)」を記した図です。
神宮外苑の予想図ではありません。P.20の説明分はあきらかに矛盾しているのではないでしょうか。

まとめ:
以上、2点の疑問を提示させていただきました。
ぜひ、ご回答を頂きたいと存じます。

ご多用中の中、誠に恐縮ですが、ご回答は2週間後の12月5日を期限とさせてください。もし、回答に時間を要するのであれば、回答可能な期限をご教示ください。頂いた回答は、本noteで公開させていただきます。
回答をいただけなかった場合は、いただけなかったと公表させていただきます。
もし、万が一、質問の2点の両方、または何れかが間違いであった場合、この2項目はヘリテージ・アラートの根幹をなす部分であるため、当該ヘリテージ・アラートの撤回と謝罪をのぞみます。

以上、よろしくお願い申し上げます。

ICOMOS ヘリテージ・アラートに疑問をもつ有志
戎井一憲(えびすい)
ま さ と ん。
くろべえ
安藤研吾
さすらうもの
khat32268055
西村葉子
中西 正紀


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