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●8月15日はR&Bと言う言葉の生みの親ジェリー・ウェクスラーの命日

●8月15日はR&Bという言葉の生みの親ジェリー・ウェクスラーの命日

(本作・本文は約8000字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字換算すると、16分から8分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと27分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴きますと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください 今回はユーチューブ音源が20曲ありますのでさらにゆっくりお楽しみください)

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「リズム&ブルーズ」という言葉を考案したジェリー・ウェクスラーが2008年8月15日、91歳で亡くなった。その10年と1日後の2018年8月16日、ウェクスラーの手によってスターになったといっても過言ではないアリーサ・フランクリンが死去した。ここではジェリー・ウェクスラーの評伝、彼がアメリカ音楽界に成し遂げたことなどを簡単にご紹介しよう。

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目次

1.ジェリー・ウェクスラー「R&B」という言葉の生みの親

2.ジェリー・ウェクスラーのお気に入り20曲(年代順)

3.ジェリー・ウェクスラーが成し遂げたこと~彼は墓石になんと書かれたいか

1.ジェリー・ウェクスラー「R&B」という言葉の生みの親

「R&B」生みの親~ジェリー・ウェクスラー死去(パート1)
2008年08月16日(土)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10127858175.html

▲Jerry Wexler Dies At 91: R&B Pioneer Who Invented Term “Rhythm & Blues” (Part 1)

【「R&B」生みの親~ジェリー・ウェクスラー死去(パート1)】

訃報。

R&Bのレコード・プロデューサーとして1950年代から多くのアーティストとかかわり、多数のヒット曲を生み出したジェリー・ウェクスラーが2008年8月15日午前3時45分、フロリダ州サラソータの自宅で心臓疾患のため死去した。91歳だった。ここ数年、心臓を患っていた。

ジェリー・ウェクスラーは、本名ジェラルド・ウェクスラー。1907年(明治40年)1月10日ニューヨークに生まれた。父はポーランドからの移民、母親はジェリーに作家になって欲しいと思っていた。教育熱心な母親の勧めで彼は南部のカンサス州立大学へ。そこで彼はブルーズに接する。一時期戦争に従軍するが、戦後、大学に戻り、その後1949年までにニューヨークに戻った。

ここで、音楽業界誌ビルボードに入社。ビルボードにはいくつものチャートがあったが、いわゆる黒人音楽のヒットチャートは当時は「ベスト・セリング・リテイル・レイス・レコーズ」と呼ばれていた。ブラック・ミュージックをレイス・ミュージック(人種のレコード)と言っていた。だがこの表現は若干差別的で問題があるということで、ビルボードは新しい名前に変更しようとする。

ブログ ジェリー・ウェクスラー ビルボードレイスチャート


ブログ ジェリー・ウェクスラー ビルボード リズム&ブルーズ

そしてそのときのスタッフの一人だったジェリー・ウェクスラーが提案した「リズム・アンド・ブルーズ(R&B)」という言葉が採用され、1949年6月25日付けビルボードから「レイス・ミュージック」の名前が「リズム・アンド・ブルーズ」となった。ジェリーは、その意味で「R&B」という言葉の生みの親だ。ビルボードでジェリーは記事を書くレポーターとなるが、ある意味で、原稿を書く点では母親の希望だった作家(ライター)になったわけだ。

ビルボードでの仕事ぶりを認められたジェリーはアトランティック・レコード創始者アーメット・アーティガンに誘われ、1953年アトランティック入り。ここでレコード宣伝、レコード制作に携わるようになる。このころ、ジェリーが売り出したのが、ドリフターズ、コースターズ、レイ・チャールズといった黒人アーティストだった。当時のレコード・マンは、自分でアーティストを見つけ、レコーディングし、ラジオ局のDJに売り込み、宣伝をし、ときにはアーティストのツアーの手助けもして、ヒットを作るという作業をすべてやった。

ブログ ジェリー・ウェクスラー レイチャールズ モノクロ

(レイ・チャールズ)

ウェクスラーはより南部の泥臭いソウル、R&Bに傾注するようになる。オーティス・レディングが在籍していたメンフィスのソウルの名門レーベル、スタックスをアトランティック傘下に置き、積極的にソウル、R&Bを売り出した。

中でも、ちょうどコロンビア・レコードとの契約が切れたシンガー、アレサ・フランクリンを自社に引き抜き、アレサを南部のスタジオに連れて行きレコーディング。それまでのジャジーでブルージーなサウンドからパンチの効いたリズムの強いR&B曲を出したところ、瞬く間に大ヒットとなり、以来、アレサは次々と大ヒットを放つようになる。ジェリーはプロデューサーとしてアレサと14枚のアルバムで手を組み、アレサの黄金期を形成した。

アトランティックでは、1975年に同社を去るまで、アレサのほかに、レイ・チャールズ、ウィルソン・ピケット、パーシー・スレッジなど多数の作品をてがけた。また、アーメット、ネスヒ・アーティガンとともに、一インディ・レーベルだったアトランティック・レーベルを世界的な大レーベルに育て上げた立役者でもある。アトランティックで、彼は「R&B」「ソウル」を世に送り出し、レイ・チャールズ、アレサ・フランクリンやレッド・ゼッペリンやオールマン・ブラザースを世界的スターにした。20世紀を代表するレコード・プロデューサー/レコード・エグゼクティヴの一人と言っても過言ではない。

ブログ ジェリー・ウェクスラー アレサと

(ジェリー=左、右=アリーサ・フランクリン)

ジェリー・ウェクスラー本人は自らの肩書きで一番気に入っているものは、レコード・プロデューサーや、宣伝マンなどではなく、「レコード・コレクター」(レコード収集家)だと言うそうだ。

ローリング・ストーン誌が数年前に、ジェリー本人によるお気に入り自作曲ベスト20のリスト(リストは年代順)を掲載した。その20曲は次の通り。まさにアメリカ・ブラック・ミュージックの歴史を作り上げたアーティスト群だ。

2.ジェリー・ウェクスラーのお気に入り20曲(年代順)

Jerry Wexler’s Own Favorite Tracks

そのユーチューブ映像を集めた。いまどきだとプレイリスト作ればいいのかな(笑)

1. Professor Longhair -- "Tipitina" (1953)


https://www.youtube.com/watch?v=p-lsiDJWMsQ

2. Ray Charles -- "I Got a Woman" (1954)


https://www.youtube.com/watch?v=CnI_LuCJ4Ek

3. Big Joe Turner -- "Shake, Rattle and Roll" (1954)


https://www.youtube.com/watch?v=YhELpSeeipg

4. LaVern Baker -- "Tweedlee Dee" (1954)


https://www.youtube.com/watch?v=GoqmtBKp1tY

5. Champion Jack Dupree -- "Junker’s Blues" (1958)


https://www.youtube.com/watch?v=WMTXO1z95uw

6. The Drifters -- "There Goes My Baby" (1959)


https://www.youtube.com/watch?v=i3HXy9mGPpI

7. Ray Charles -- "What I’d Say" (1959)


https://www.youtube.com/watch?v=fCm9RUV03dc

8. Solomon Burke -- "If You Need Me" (1963)


https://www.youtube.com/watch?v=osfd8PasOtg

9. Booker T. & the MG’s -- "Green Onions" (1962)


https://www.youtube.com/watch?v=0oox9bJaGJ8

10. Wilson Pickett -- "In the Midnight Hour" (1965)


https://www.youtube.com/watch?v=FGVGFfj7POA

11. Aretha Franklin -- "Respect" (1967)


https://www.youtube.com/watch?v=6FOUqQt3Kg0

12. Dusty Springfield -- "Son of a Preacher Man" (1969)


https://www.youtube.com/watch?v=DjydOI4MEIw

13. Dr. John -- "Iko Iko" (1972)


https://www.youtube.com/watch?v=S_UYPu5RFXI

14. Doug Sahm -- "(Is Anybody Going to) San Antone" (1973)


https://www.youtube.com/watch?v=COEFaWZhSjg

15. Willie Nelson -- "Bloody Mary Morning" (1974)


https://www.youtube.com/watch?v=NbrB4B5FoBQ

16. The Sanford/Townsend Band -- "Smoke From a Distant Fire" (1977)


https://www.youtube.com/watch?v=wCWVuCCWqzQ

17. James Booker -- "Winin’ Boy Blues" (1978)


https://www.youtube.com/watch?v=9l5xT-H2I-c

18. Etta James -- "Take It to the Limit" (1978)


https://www.youtube.com/watch?v=nJVfGZpqHoU

19. Dire Straits -- "Lady Writer" (1979)


https://www.youtube.com/watch?v=BlD6jCGVU4A

20. Bob Dylan -- "Gotta Serve Somebody" (1979)


https://www.youtube.com/watch?v=wC10VWDTzmU


1. Professor Longhair -- "Tipitina" (1953)
2. Ray Charles -- "I Got a Woman" (1954)
3. Big Joe Turner -- "Shake, Rattle and Roll" (1954)
4. LaVern Baker -- "Tweedlee Dee" (1954)
5. Champion Jack Dupree -- "Junker’s Blues" (1958)
6. The Drifters -- "There Goes My Baby" (1959)
7. Ray Charles -- "What I’d Say" (1959)
8. Solomon Burke -- "If You Need Me" (1963)
9. Booker T. & the MG’s -- "Green Onions" (1962)
10. Wilson Pickett -- "In the Midnight Hour" (1965)
11. Aretha Franklin -- "Respect" (1967)
12. Dusty Springfield -- "Son of a Preacher Man" (1969)
13. Dr. John -- "Iko Iko" (1972)
14. Doug Sahm -- "(Is Anybody Going to) San Antone" (1973)
15. Willie Nelson -- "Bloody Mary Morning" (1974)
16. The Sanford/Townsend Band -- "Smoke From a Distant Fire" (1977)
17. James Booker -- "Winin’ Boy Blues" (1978)
18. Etta James -- "Take It to the Limit" (1978)
19. Dire Straits -- "Lady Writer" (1979)
20. Bob Dylan -- "Gotta Serve Somebody" (1979)

(ジェリー・ウェクスラーについては続きます)

■ 訃報記事

http://www.nytimes.com/2008/08/16/arts/music/16wexler.html?_r=1& ;pagewanted=2&partner=rssnyt&emc=rss&oref=slogin

http://voices.washingtonpost.com/postrock/2008/08/rip_jerry_wexler.html?hpid=topnews

http://www.rollingstone.com/news/story/22595667/the_record_collector_jerry_wexler_dies_at_age_91

ENT>OBITUARY>Wexler, Jerry, (January 10, 1907  - August 15, 2008, 91)


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3.ジェリー・ウェクスラーが成し遂げたこと~彼は墓石になんと書かれたいか

★ジェリー・ウェクスラーの業績
2008年08月17日(日)
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10128222006.html

★Jerry Wexler (Part 2): “More Bass” Or What On Tombstone

【ジェリー・ウェクスラーの業績】

墓石。

レコード・プロデューサーであり、レコード・エグゼクティヴでもあったジェリー・ウェクスラーが過去半世紀以上にわたって成し遂げてきたことをまとめてみたい。なお、ジェリーはR&B、ブラック・ミュージックの世界で多大な功績を残した人物だが、彼自身はユダヤ系の白人である。

1)「レイス・ミュージック」の呼び名を「リズム・アンド・ブルーズ」にした。

これだけで、彼の音楽業界での評価は十分だ。

2)アレサ・フランクリンをコロンビアから引き抜き、アメリカ1の女性R&Bシンガーに育てた。

これだけでも、プロデューサーとして十分だ。

3)レイ・チャールズ、ソロモン・バーク、コースターズ、多くの黒人アーティストのヒット曲を作った。

レイ・チャールズとジェリーとのやりとりは、レイの自伝映画『レイ』の中でも、少し出てくる。

4)ブラック・アーティストを南部に連れて行き、南部のスタジオで南部のミュージシャンで録音した。

南部のミュージシャンたちは扱いにくかったが、それでもジェリーは彼らのサウンドがベストだと信じて、多くのレコーディングを南部で行った。アラバマ州のマスル・ショールズ、メンフィスのスタックス・スタジオなどをじつにうまく使った。イギリスの白人シンガー、ダスティ・スプリングフィールドをメンフィスに連れてきて、ソウルフルなサウンドでアルバムを作ったりもした。

5)ミュージシャンたちに対して黒人、白人の差別をしなかった。

そのマスル・ショールズなどでのミュージシャンは、白人だったが、その泥臭いサウンドは実にソウルフルであり、音楽を作るうえで白人、黒人を分け隔てしなかった。また、彼自身当初は黒人ミュージシャン、シンガーを多くてがけてきたが、1970年代になってからは、多くの白人アーティストもてがけるようになった。ジェリーは南部のミュージシャンが作り出すファンキーなサウンドが好きだった。特にベースの音が前面にでている音が好みだった。彼が作った作品はいずれもベースがいきいきとしている。

6)優れた耳を持ったクリエイティヴなプロデューサーでもあったが、同時に音楽ビジネスの仕組みを熟知したビジネスマンでもあった。

何が流行るか、何が支持されるかを敏感に知っていたが、同時にレコードのプロモーション、マーケティングについても、熟知していた。1950年代には自社作品をプレイしてもらうために、DJに賄賂を贈ったこともあった。また、彼がアトランティックに入る際、株式の一部をもらうことを条件にして、アーメット・アーティガンを驚かせたという。結局、アーメットが折れ、一部の株を持った。

7)アトランティック・レコードの傘下にいくつものサブ・レーベルを作ったこと。アトコ、コティリオン、ローリング・ストーンなどなど。

これは1960年代にラジオのDJにプロモーションに行くと、同じレーベルのシングルばかりを持っていくと、1曲はかけてもらえても、同レーベルの別のアーティストのものは「またか」といってかけてもらえなかったため、デザインと名前の違うレーベルを作って、一見別物のように見せた。同じくモータウンも、いくつものサブ・レーベル(傘下のレーベル)を作った。同様の理由による。

ブログ ジェリー・ウェクスラー アトコ・レーベル盤面


ブログ ジェリー・ウェクスラー コティリオン・レーベル盤面

8)人生最大の過ち。ジェリーは、1967年、成功を収めていたアトランティック・レコードの株式をワーナー・セヴンシーズ社にわずか1750万ドル(当時のレートで約63億円=それでも膨大な金額)で売却してしまう。これは、オウナーであるアーメットとともに、後々大きな後悔として語り継がれる。ただし、2人とも株を売り、オウナーの座からは離れたが、運営には携わった。

9)アーティガンは、ポップで売れるものへ傾注していくが、ジェリーはより南部のピュアな音楽を求めるようになる。そうしたものは多くの場合、あまり売れずに、マニア向けになっていき、二人の間に微妙な溝が生まれる。その結果、1975年にはジェリーはアトランティックを去ることになる。

ブログ ジェリー・ウェクスラー アーメット・アーティガン

(アーメット・アーティガン)

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2000年、彼に焦点を当てたドキュメンタリーが制作された。そのタイトルは、「イマキュレート・ファンク(純粋なファンク)」。ウェクスラーがしばしば自らのアトランティック・サウンドを評するときに使う言葉だった。ちょっと探したのだが、この映像作品は確かにあるようだが、ユーチューブなどには見つからなかった。その代わり上映会後のトークショーの映像があった、(約54分)

https://www.youtube.com/watch?v=8cfdt2gantk

1993年、彼は作家デイヴィッド・リッツとともに、自伝『リズム・アンド・ブルーズRhythm and the Blues : A Life In American Music』を書き、発表した。

ジェリーは3回結婚している。葬儀は3番目の妻と、最初の妻との間に生まれた子供たちによって行われる。最初の結婚で生まれた娘アニタは1989年、エイズで死去している。

ジェリーはドキュメンタリーを作ったトム・サーマン監督に「墓石になんと書いて欲しいか」と尋ねられ、こう答えたという。More Bass (もっとベースをだせ)

しかし、葬儀を取り仕切る息子のポール・ウェクスラーによると、葬儀後の墓石にはこう書かれる予定だという。He Changed The World。

ENT>OBITUARY>Wexler, Jerry, (January 10, 1907 - August 15, 2008)

私はリズム&ブルースを創った ―― 〈ソウルのゴッドファーザー〉自伝 (日本語) 単行本 – 2014/5/24
ジェリー・ウェクスラー (著), デヴィッド・リッツ (著), 新井 崇嗣 (翻訳)
https://amzn.to/2XMVz08

同原書
Rhythm And The Blues: A Life in American Music (English Edition) Kindle版
Jerry Wexler (著) 形式: Kindle版(1130円)
https://amzn.to/2XN4nDw

「もっとベースを」か…。いい言葉だなあ。

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