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〇 ソウル・サーチン・ラウンジ54~江守藹のアラバマ物語(パート1)

〇 ソウル・サーチン・ラウンジ54~江守藹のアラバマ物語

2020/07/04/05

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5か月ぶりソウル・サーチン・ラウンジ54~江守藹のアラバマ物語

Emori Ai’s Alabama Story

1.アラバマ物語

毎月第3水曜日に新宿歌舞伎町の「カブキ・ラウンジ(54回)」が5か月ぶりに行われた。これは当初2020年4月に予定されていたものが延期されたもの。トークゲストは、日本のソウル界、ダンス界、ブラックカルチャー界の伝説(レジェンド)江守藹(江守アイ)さん。

ブログ ラウンジ54江守13 3ショット(上田写真)

熱を測り、手をアルコールで消毒し、シールド型マスクを二人でつけて、ソーシャル・ディスタンスを十分取って、大声でしゃべらず、マイケル・ジャクソンのようなソフトスポークンで敢行したトーク・イヴェント。

江守さんがこのラウンジに登場するのは2018年6月以来2年1か月ぶり。前回は江守さんが1960年代後期から新宿歌舞伎町のディスコやジャズ・クラブに出入りするようになった頃から、1970年代に伝説のディスコ六本木「アフロレイキ」をプロデュース、あるいは赤坂「ブーツィー」という当時としてはまだまだ斬新だったレストラン/ライヴ・ハウスを始めたり、ソウル、ディスコ、そしてブラック・カルチャー界のトップランナーとして走り続け、1992年に長年の憧れだったエディー・ケンドリックスを招聘するあたりまでで、時間切れとなっていた。

今回はその1992年以降の話を中心に聞いた。

エディー・ケンドリックス招聘の話はその前年(1990年)くらいからあった。ニューヨーク在住の佐藤さんから彼がアッパーウェスト・サイドにあるレストラン・ライヴハウス、スイート・ウォーターズで「エディー・ケンドリックス、デイヴィッド・ラッフィン、デニス・エドワーズ~フォーマー・リード・シンガー・オブ・ザ・テンプテーションズ」らのショーを見たところ、楽屋でエディーが日本に行きたがっている、という話を聞き、それを江守さんに伝えたところから始まった。

江守さんは日本のプロモーターやレコード会社と掛け合ったが、どれくらい客が入るか読めず、時間だけが過ぎて行った。そんな中、1991年6月1日、デイヴィッド・ラッフィンが50歳の若さでドラッグのオーヴァードーズ(過剰摂取)で死去してしまう。

ブログ ラウンジ54 江守12 エディケン

(エディー・ケンドリックス)

「ラッフィン/ケンドリックス/エドワーズ」のライヴが不可能になる。

しかも、ほぼ同時に、エディー・ケンドリックス自身が肺がんに侵されていることが発覚し来日自体が危ぶまれた。エディーは1991年の暮れに手術をしていた。しかし、紆余曲折あって1992年7月にエディーとデニスらでの来日が何とか決まる。

彼らは大阪から入り、大阪でライヴ後、東京で2日コンサートが組まれた。そしてその大阪のライヴのリハのときに、江守さんは「デイヴィッド役は誰がやるのだろう」と思っていた。デニスが多くの曲のリードを取るが、「マイ・ガール」で当時はまだ無名だったデイヴィッド・シーがリードを取り、えらく感激する。デイヴィッド・シーは一枚インディでアルバムを出していたが、それが一部でちょっとした評判を得ていたが、もちろん生で誰も見ていなかったので、その迫力ある生の歌声に関係者みなやられてしまったのだ。

そして東京2日間、新宿の今はなき日清パワー・ステーションでライヴが行われた。しかし、この段階でエディー・ケンドリックスの癌はかなり進行していて、ステージ中もほぼ舞台のそでで酸素ボンベを手に座っていたほどだった。何曲かでリードを取るもののすぐにそでに引っ込み、酸素吸入をするという、まさに満身創痍だった。

それでも江守さんは「エディーはもうあこがれのスターですから。なんといってもかっこいいし」という。

そしてそれから2か月もしない1992年10月5日、エディーが故郷のアラバマ州バーミングハムで死去した。52歳の若さだった。

2.バーミングハム、アラバマへ

エディー死去の連絡を受けた江守さんはすぐにエディーの葬儀へ出席することを決意。取る物もとりあえず、機上の人となった。

バーミングハムまで行く直行便はなく、シカゴで5時間ほど待たされてからやっとバーミングハム行きの飛行機に乗り、現地に到着したのは夜もかなり遅かった。江守さんにとってもアラバマ州に行くのも初めて、葬儀に出るのも初めて、何もかも初めての体験だった。

「一応、デイヴィッドとチャールズが迎えに来てくれると言っていたが、もし来なかったらこんな南部の街でどうしよう、と不安になった」と言う。「まあ、シェラトンを取っていたので、最悪タクシーで行けばいいかなと思っていた」 

すると、飛行場にはデイヴィッドとチャールズが迎えに来てくれていた。以後、このバーミングハム滞在時はデイヴィッドがどこでも連れてってくれるようになった。

アラバマ州バーミングハムは、1960年代に黒人の公民権運動が巻き起こったときに、いくつかの事件が起き、キーとなった都市のひとつだ。中心的な場所ともいえるかもしれない。

たとえば、アラバマ州はウォーレスという稀代稀な人種差別主義者が知事を司っており、公民権施行後(1964年7月)も黒人に対する暗黙の弾圧を続けていた。そこでアメリカでもっとも人種差別がひどい州とも言われ、バーミングハムと州都モンゴメリーはその中でも特に何かと衝突が起こっていた。

ブログ ラウンジ54江守14

(バーミングファム、アラバマ州)

それはたとえば「バーミングハム運動」などと呼ばれ、デモ隊への高圧放水、警察犬をデモ隊に放つなどして、その模様がテレビで放映され人種差別反対の運動へ弾みをつけることにもなった。キング牧師がデモをして初めて逮捕されたのが、バーミングハムで1963年4月のことだった。

江守さん。「バーミングハムには10回以上行ったと思う。公民権博物館があり、その隣にあるのがケリー・イングラム公園といって犬がデモ隊に襲い掛かった公園とかある。警察、州兵、消防隊などが放水して鎮圧したところ。この模様は世界で初めて報道で流され、僕も子供の頃NHKのニュースで見て覚えてる。『一体何をやってるんだ、これは』って思った。

南部の人たちって車で(気軽に)あっちこっち行ったりする。バーミングハムからメンフィスなんかもすぐ、車で行っちゃう。ちょっと用事があるからナッシュヴィル行こうとか、マッスルショールズ行ったりとか」

1963年9月15日(日)にはこのバーミングハムでKKK(クー・クラックス・クラン=白人至上主義者による結社。白い三角巾を頭にかぶることで知られている)がシックスティーンス・ストリート・バプティスト・チャーチを爆破し、子供4人が死亡、22人がけがをする大惨事になった。この教会はバーミングハムで初めての黒人教会でわずか2年前(1961年)に建てられたものだった。

ちなみにエディーの出身地はアラバマ州バーミングハムだが、メルヴィン・フランクリンもアラバマ州モンゴメリー、デニス・エドワーズもアラバマ州フェアフィールド、ポール・ウィリアムスもバーミングハム出身だ。デイヴィッド・ラッフィンもミシシッピー州、オーティス・ウィリアムスもテキサス州出身で、つまり全員南部生まれだ。彼らが北部のデトロイトで出会い、グループとして活動を始める。

アラバマ州はテンプテーションズのメンバーにとってもホームだ。

バーミングハムは、1960年代からアメリカの公民権運動のカギとなる街でもあった。

エディーの葬儀出席のために初めてそのバーミングハムに行ったときのことを振り返る。

「バーミングハムって、ほんと、遠いのよ。シカゴで5時間くらい待って。最初はそれほどでもなかったけど、近づくにつれてだんだん不安になってきた。もうじき着くと思うと、到着時間が夜の11時で、迎えが来てるってことになってたけど、もし来てなかったらどうしよう、とか。ちょっと不安な気持ちで行ったんですよ。この不安というのは、たぶん、アラバマ州バーミングハムだから。


3.リアルな人種差別体験

ただ僕自身は、いつもまわりには(デイヴィッドやチャールズなど)黒人ばっかりだったので、怖い思いや人種差別的なことを感じたことはなかった。どちらかというと、僕が初めて友人のリオスに連れられて三鷹ハイツのプールに入ったときに、(黒人の)リオスが入るとそこにいた白人の何組かがみなプールを出たときに、「生の」人種差別を体験したわけだけど、以降はほとんどないなあ。ラッキーといえばラッキーだし。アメリカで、自分がイエローだということを考えなければならないこともあまりなかった。アメリカに行くときには、観光で行くか、ブラックの人とのつながりで仕事で行くかくらいしかないのでね」

このとき僕がニューヨークに行ったときに、「シノワ」だか、「チン」だったか覚えてないが、中国人をバカにする言葉をかけられたことがあった。しかし、そのときは何なのかわからず、後から現地の人に聞いてアジア人をバカにした侮蔑語だったと聞いて知った、と言う話をした。

「たぶん、それはニューヨークのような大都市だからということもあるかもしれない。アラバマなんかはもともと人種差別は強いところだけど、そこに住んでいる人たちは『サザン・ホスピタリティー』(南部の人たちの、南部流のおもてなし)って言って、みんなやさしくて、『ウェルカム』っていう感じがした。アラバマや周りの州にでかけてもそういう(人種差別的な)ものは受けなかった」

50年以上、人種差別の生体験をしたり、見て来たりした江守さんからは、では最近の全米のブラック・ライヴズ・マターの動きについてはどう思われますか。

「僕はブラックの人たちとのつきあいが長くあったので、そういった公民権運動のことなんかを自分なり勉強するようになりました。そして実際そうした運動をしてきた人たちともつきあいがありました。僕は今の『ブラック・ライヴズ・マター』の動きについては、一歩引いて見ています。(60年代の)公民権運動っていうのは、公民権、選挙権という当然の権利を、人権を獲得するために、本当に大きな目的を達成するために一丸となって、何十年という歴史を背負って戦って勝ち得たものでしょう。(当時のは)共通の大きな目的があったけど、最近のは、何でもかんでも人種差別に結びつけて、不満のある連中が暴れてるって感じがしてますね。(笑) それでそうした連中を扇動する集団もいるみたいなんですよね。白人至上主義の人たちや左翼主義の人達もいるみたいですね。なんかそういう人たちに扇動されて、みんな流行りごとのようにのっかちゃってるようなところがあるなあ、って見ちゃってるかな。

こんなことがありました。デイヴィッドと一緒に出掛けたときのこと。確か、メンフィスかどこかに行くとき、彼の車で行ったんだけど、僕が助手席に座るでしょう。そうすると、そこに銃があるんですよ。エンタテイナーは法律で銃の所持を許可されているそうです。というのはエンタテイナーというのはツアーなどであちこに移動する。それで途中で何が起こるかわからないので、護身用に銃を持つことが許可されてる。ものすごい銃が置いてある。僕は今回のこともポリスは決して擁護しないし、だけど彼は彼で(相手が大きいんで)必死なんだよ。デイヴィッドは僕より3つ上(1945年生まれ)で、ヴェトナム戦争を体験してるんで、実践で撃ってると思う。デイヴィッドの家に行くと自動小銃みたいなのもある。(銃は)許可制だけど、スーパーマーケットで売ってるんだからね。そのへんの社会の仕組みがあるから、今回の事件なんかも起きちゃって、今回は殺されたのがたまたま黒人で、大きなことになってしまった。(ミネアポリスの事件の)横にいた警察官はチャイナ系かアジア系で何もしてなかった。アメリカの構造的な問題だと思う。いまや、ブラック対白人みたいな、大きな対立になってきちゃってるでしょう」

ここ数年のブラック・ライヴズ・マターの動きで、最近の大きな特徴は、これまでの動きは基本黒人が多かったが、最近は白人もこの動きに賛同してサポートしているという点。そして、もう一点、そもそもこの人種問題は黒人の問題ではなく、白人がかつてアフリカから人を連れてきて、それを奴隷にしてきたという点で、白人が作り出した問題だということが浮き彫りにされていることがある。だから、白人が心を入れ替えなければどうにもならない、という視点だ。

もう一点は、最近はスマホで警官の暴力行為がすかさず録画され、それがSNSで一瞬にして広がるというところがこれまでと大きな違いだ。

「まあ、構造的な問題で、難しいよね。これは。そこには長い歴史、長い時間がある。最近はそういう人たちの彫像などを壊したりする絵を撮って、それを流したりして、それがまた拡散するというか。そういうメディアの在り方も正してかないといけないんじゃないかな、とも思いますね」と江守さん。

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David Sea - (If Loving You Is Wrong) I Don't Want To Be Right


https://www.youtube.com/watch?v=b2FZp1kqSmE

David Sea - Distant Lover

Lynyrd Skynyrd - Sweet Home Alabama


https://www.youtube.com/watch?v=ye5BuYf8q4o

David Sea – I Stand


https://www.youtube.com/watch?v=YPW6Bh2GTFQ

(この項つづく)


Setlist :

1st set

Show started 19:30
TM What’s Going On – David T. Walker

M01 Searchin For Love – David Sea
M02 If Loving You Is Wrong – David Sea
M03 Distant Lover – David Sea
Ended 20:42

Started 20:58
2nd Set
M01 Sweet Home Alabama – Lynyrd Skynyrd
M02 I Stand – David Sea
Show ended 22:20

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Soul Searchin Lounge #053B

司会・吉岡正晴
ゲスト・江守藹
DJ・DJオサ
@カブキラウンジ

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