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ファンク・ロック・ベース奏者、T.M.スティーヴンス72歳で死去

ファンク・ロック・ベース奏者、T.M.スティーヴンス72歳で死去
 
訃報。
 
ファンク系、ロック系、ジャズ系などあらゆるタイプの音楽でベースをプレイしてきたT.M.スティーヴンス T.M.Stevens (Thomas Michael Stevens) が2024年3月10日死去した。72歳。
 
マイルス・デイヴィス、ホイットニー、ブッツィーら多数でベース担当。
 
友人らがSNSで公表→
https://x.gd/Bap2n
https://x.gd/PHy7r
 
しばらく前から入院していた。
 
T.M.を最初に見出したのが日本のジャズマン、増尾好秋だったこともあってか、日本びいきに。一時期、日本人の奥さんがいたこともあり、親日家で来日も多数。
 
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2011年8月7日(日)、T.M.スティーヴンスがブーツィー・コリンズのライヴで来日したときに、インターFMの『ソウル・ブレンズ』に生ゲストで登場。そのときの様子。
 

 

 
日曜午後2時前に、スタジオでT.Mに会うと、その元気さ、エネルギーいっぱいの迫力から、こちらまで熱などどこかに行ってしまうほどだった。
 
スタジオで初顔合わせし、名刺を渡すと、「ソウル・サーチンかあ。名前がいいな。気に入った」と言って、いきなり旧知の仲ムード。そこにいる誰とでも瞬時に友達になれる究極のフレンドリー男だ。『ソウル・ブレンズ』前の番組「レイジー・サンデー」のジョージとも、一言二言話をして、「シャシン、シャシン」と言ってベースまで持ち出し、写真を撮り出す。
 
T.M.は、なんと、「ラジオに出るなら、新曲をかけろよ」とブーツィー自らその朝にメールをもらい、それをその場で焼いて、オンエアに用意してくれた。その新曲のひとつは、アル・シャープトンのラップのようなものがはいったもの、もう一曲はなんとヴォーカルがボビー・ウーマックのもの。すごい、びっくりした。
 
"Don't Take My Funk Away" by Bootsy Collins (New Single, 2011)

 
それにしても、元気なこと、声も大きい。ベースも持ってきて、「弾けっていうなら、なんでもやるぜ」みたいな頼もしいことをどんどん言ってくれる。
 
ナラダ・マイケル・ウォルデンの「アイ・シュダ・ラヴド・ヤ」は彼が書いた最初のヒット。それから、ジェームス・ブラウンの「リヴィング・イン・アメリカ」もベースを弾き、バックコーラスをすべて歌っている、という。
 
Narada Michael Walden - I Shoulda Loved Ya

 
James Brown Living In America

 
T.Mが言う。「ミスター・ブラウンがね、あそこでは誰もジェームスなんて言わない。みんな、ミスター・ブラウンと呼ばなければならない。ベースを録音した後、自分のヴォーカルを録ってたんだが、そこにバックコーラスがないんで、どうしてもノリが悪く、先にコーラスを入れようということになった。ところが、そのときは、コーラスのシンガーが車の渋滞で遅れてたんだ。そうしたら、スタジオにいた僕を指差して、『お前、コーラスやれ』という。『ミスター・ブラウン、僕、歌ったことないんです』というと、『かまわん、歌え』という。それで歌ったというわけだ。ははは」
 
生ゲスト中も、ベースを離さず、いつでもベンベンベンベン弾いている。彼の元奥さんが徳島出身の方で、それで少し関西なまりの日本語をカタコト話す。いや、カタコトどころではない。僕が日本語で質問しても、英語だが、答えるのである。聴いている方は不思議に思ったのではないだろうか。僕が彼の目を見ながら、日本語でちょっとした質問をすると、彼はうなずいているので、「ああ、理解してるんだな」と思って、そのまま英語にせずに、やってしまったのだ。で、彼も言いたいことがたくさんあるときは、英語でペラペラ言って、適当なところで僕に「じゃあ、訳して」とキューを振ってくる。実に、やりやすい。
 
出演が終わった後も、「なんでもやるぞ」「ソウル・サーチンのポスター撮影しようか」とまで言ってくれる。最高にやさしい。そして、ことあるごとに「オレはリアル・ミュージックが大好きなんだ。コンピューターのピコピコやる音楽はダメなんだ。ソウル・サーチンもリアル・ミュージックなんだろ。すばらしい」と言う。そして、番組用IDをやってもらうことにした。
 
「Hi, I’m T.M.Stevens, you are listening to Soul Blends, R&B Connect」これをベースをちょろっと弾いてから、しゃべってくれたのだ。最初のテイクワンでは、ベース演奏が長く全部で50秒くらいになったので、まるで1曲のような感じになったら、「もう少し短いのやり直そうか」と、ショート・ヴァージョンを作ってくれた。
 
そういえば、本編終わりで、「本日のゲストはTMスティーヴンスさんでした~~」というところで、本人から、「はい、一本ジメ~。いよーポン」というのにはおそれいった。(笑)
 
T.M.最高です。あのテンション、素晴らしい。そして、歳を聞いたら、先週(7月28日)に60歳になったばかり(1951年7月28日生まれ=ウィキにも書いてない情報だ!)だという。こんな還暦、ほかにいるか??? 
 
一目会って、惚れました。(笑) 
 
ブーツィー・ライヴで会おう、TM。


2011.08.07 @Inter FM 


 
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評伝。
 
T.M.スティーヴンスは1951年7月27日ニューヨーク生まれ。
 
11歳頃(1962年頃)、アポロ・シアターでジェームス・ブラウンを見て以来、ブラウンのファンになり、「あなたと一緒にプレイしたい」と言ったが、ブラウンは「ドラッグには手をだすな、学校に行け」とアドヴァイスをしたという。その後、ボーイスカウトのリーダーからギターを手渡されるが、なぜかベースの音のほうに興味を持ち、ベースを手に入れ、プレイするようになった。
 
1970年代後期からニューヨークを本拠にベース奏者として活躍を始めた。音楽シーンに登場したかなり初期の段階で日本の増尾好秋(ギター)に認められ、増尾の1978年~82年のアルバム6枚にクレジットがある。
 
初めて全米ヒットチャート入りを果たした楽曲は、ナラダ・マイケル・ウォルデンと共作したナラダのヒット「アイ・シュド・ラヴド・ヤ」(1979年)。ここでひじょうに印象的なベース・プレイを聞かせる。
 
また、ジェームス・ブラウンの1985年末からのヒット「リヴィング・イン・アメリカ」では、ベースとバックヴァーカルも担当している。
 
そのほか、ジョー・コッカー、プリテンダーズなどロック、ポップ系のアーティストなどとも次々と仕事をするようになる。そんな中、ジャズの帝王マイルス・デイヴィス、さらにジョン・マクラクリンなどとも共演している。
 
ジャズ、ロック、ポップ、ソウル、あらゆるジャンルを横断してベース・プレイを聞かせている。プリンスのドラマー、ジョン・ブラックウェルや、ジーン・ポール・ブーリーとのトリオや、自身のバンド、ショッカズールーでも活躍している。ショッカズールーは、マイケル・バーンズ(ギター)と、ゲイリー・サリヴァン(ドラムス)とTMのトリオ。ヘッドハンターズの一員としてもツアーをしている。そして、このところ、ブーツィー・コリンズのバンドで世界ツアーにでている。
 
自らソロ・アーティストとしても1995年『ブーム』以来多数リリース。セッション・ベース奏者としても多数のものに参加。
 
2011年8月はブーツィーのバンド・メンバーとしての来日。ブーツィーのライヴは金曜(12日)と土曜(13日)が川崎チッタでの単独公演、日曜(14日)がサマーソニックに出演。また、この翌年2012年にもブーツィーのバンドで来日した。
 
また、2011年には日本の映画『リムジン・ドライム』に主演している。
 
多くのアーティストとユニットを組み活躍。
 
■ 過去関連記事
 
2011年05月12日(木)
ブーツィー・コリンズ8月に来日、チッタで単独公演

 
 
OBITUARY>Thomas Michael Stevens (July 28, 1951 – March 10, 2024、72 years old)

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