訃報 ジャズ・ピアニスト、アーマッド・ジャマル92歳で死去~宝石はなかなか探せない
訃報 ジャズ・ピアニスト、アーマッド・ジャマル92歳で死去
【Ahmad Jamal Dies At 92】
伝説的なジャズ・ピアニストアーマッド・ジャマールAhmad Jamal が2023年4月16日マサチューセッツ州の自宅で死去した。前立腺がんからの合併症。92歳。
https://wapo.st/43AeDi.
https://www.washingtonpost.com/obituaries/2023/04/16/ahmad-jamal-jazz-pianist-poinciana-dead/
1930年(昭和5年)7月2日ペンシルヴェニア州ピッツバーグ生まれ。誕生名はフレデリック・ラッセル・ジョーンズ。3歳頃からピアノを弾き始め、7歳からピアノ・レッスンを受けるようになった。多くの先達に影響を受けながら徐々に自分のスタイルを構築。
彼自身は1950年代に入ってデトロイトにツアーに行ったときに、イスラム教に接し、改宗。名前をアーマッド・ジャマールに変えた。
1951年オーケー・レコーズと初契約。以後多数のレーベルで多数の作品を出した。基本的には、ピアノ、ドラムス、ベースのトリオ。
マイルス・デイヴィスにも大きな影響を与えたとされる。また、日本の上原ひろみのメンターでもある。
2003年10月、東京のブルーノートでライヴを見た。そのときの感動文(2パート)を追悼で再掲載する。「宝石はなかなか探せない」。そして、このときツーショットを撮ってもらった。
ワシントンポスト誌の訃報
Ahmad Jamal, jazz pianist with a spare, hypnotic touch, dies at 92
By Gene Seymour
Updated April 16, 2023 at 7:34 p.m. EDT|
https://www.washingtonpost.com/obituaries/2023/04/16/ahmad-jamal-jazz-pianist-poinciana-dead/
アーマッド・ジャマル~定番「ポインシアーナ」
Ahmad Jamal Poinciana Olympia Paris Live
Artists :
Ahmad JAMAL, piano
Yusef LATEEF, flute, saxophone, clarinet
Reginald VEAL, bass
Herlin RILEY, drums
Manolo BADRENA, percussions
Ahmad Jamal Just The Way You Are
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2003/10/29 (Wed)
Magician Of Minimalism: Ahmad Jamal Speaks Language In The Name Of Music
宝石
https://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200310/diary20031029.html
宝石。
階段を降りて中に入るとふと不思議に思った。「あれ、ピアノの位置がいつもと違う」 まあ、でも、トリオだし。これもありか。日本公演は12年ぶりということで、一度は見ておこうと足を運んだライヴ。名前くらいは知っていて、アルバムも1-2枚持っていて、その中の「ジャスト・ザ・ウェイ・ユー・アー」(ビリー・ジョエルのカヴァー)が気に入っていたくらいの予備知識しかなかった。
ベースのジェームス・カンマック、ドラムスのアイドリス・マハマドがステージにあがって準備をする。向かって左にドラムス、中央にベース、そして、中央やや右にピアノが置かれている。ブルーノートの通常のピアノの位置と違う。普通はピアノの位置は、向かって左だ。例えばジョー・サンプルは、そこからバンド全体を見回して、ミュージシャンにアイコンタクトなどで指示をだす。だが、この日のピアノの位置はなぜか逆だった。彼らが準備万端となり、この夜の主人公が足取り軽くステージにあがる。すでに拍手が巻き起こっている。二人の前を足早に通り、ピアノの前に進む。椅子に座ろうという瞬間、もうすでにその10本の指は鍵盤の上にあった! 彼は立ったまま演奏を始めたのだ。すぐに座ったが、その「いきなりぶり」にまず度肝を抜かれた。「1,2,3・・・」などのカウントさえないのである。鍵盤を叩いた瞬間が、ゲームの開始を告げるゴングだった。ゴングが鳴った瞬間、雷が落ちた。雷を轟かせたその男の名はアーマッド・ジャマル。
演奏が始まっても、ときどき、アーマッドは無意識のうちに瞬間立ち上がったりする。時に左右に、上下に体が動く。ゆったりと動くときもあれば、激しく震えるときもあり、背中が静止しているときもある。その対照的な動と静から、体がジャズを、体が音楽を自然に醸し出している様が読み取れる。普通に話すように音楽を紡ぎだし、普通に歩くようにリズムを生み出す。何度も、アーマッドは後ろを振り返り、ドラムスとベースの二人を見る。なぜ、ピアノを逆サイドに置かないのだろう。鍵盤側を舞台右手に置けば、正面にベースとドラムスが来るので、振り返らずにすむのに。
だがその疑問はすぐに解けた。ドラムスのアイドリスとベースのジェームスが、ものすごく集中してアーマッドの手元を見ていたのだ。だから、ピアノの位置はこの場所、この角度でなければならなかったのだ。僕は残念ながら見ることができなかったのだが、今年のオスカー・ピーターソンがやはりこの位置にピアノを置いていた、という。ブルーノートで舞台右にピアノを置いていたのは彼ら二人だけだ。
アーマッドのピアノを聴いていると、聴く側がものすごく集中していくことに気付く。特にピアノの音が小さくなればなるほど、一音も聴き逃すまいとどんどん集中力が高まりアーマッドの世界に吸い込まれていく。それは、ひとたび足を踏み入れたら決して逃げることができない蟻地獄のようだ。
一体この緊張感は何なのか。それは、ステージ上の3人の間にある目には見えないが、しかし、確実に存在するぴーんと張り詰めた糸ゆえだ。これを緊張の糸という。本当に3人の間に隙がない。この最小限の編成で最大の効果を出すそれは、マジックさながらだ。アーマッドのトリオは、ミニマリズムのマジシャンたち。何度も書いているが、そのエッセンスはless is more. 少ないもののほうがより多くを伝えられる。アーマッドからジェームスへ、アーマッドからアイドリスへ。アイドリスからジェームスへ。張り詰められた糸のトライアングルの中に緊張の極限があった。しかし、それは心地よい。
彼のピアノにはソウルがあった。そして、スウィングがあり、グルーヴがあり、何事にも妥協を許さない厳しさがある。彼のピアノを表現すればスウィング&ソウルだ。メインストリームではなくオルタナティヴ。決して日和らず、媚びず、後ろを振り返らず、この前向きなアグレシヴさ。それも、彼の73歳という年齢を知れば、この前進あるのみの姿勢に感動も倍増だ。ジェームス・ブラウンの70歳にも驚嘆したが、73歳のアーマッドにも驚愕した。
時に地から足が離れるが如くの浮遊感を与えてくれ、その心地よさに身を委ねた瞬間、アーマッドのソウルが、ジェームスのソウルが、そして、アイドリスのソウルが、僕のソウルに触れた。
ここで、よく知っているスタンダードでもやられた日には泣きそうだ、くらいに感じていたら、彼は僕の気持ちを見透かしたかのように名作「ポインシアーナ」を演奏し始めた。今日の曲目の中で唯一のスタンダードだ。ピアノの神様の声がどこからともなく聞こえてくる。「むずかしい曲は実は簡単なんだ。本当にむずかしいのは、シンプルで簡単な曲なんだよ」 3歳からピアノを弾き、11歳の時にはすでに神童と呼ばれたアーマッドの指先から、慣れ親しんだ「ポインシアーナ」のメロディーが流れてきた瞬間、目頭が熱くなった。別にこの曲に思い入れや、とりたてて思い出など何もないのにもかかわらずだ。
このピアノの音には、彼がピアノを弾き始めて70年という濃厚な歳月が凝縮されているのだろう。実に軽いこのメロディーにその「時の重み」が乗り移った瞬間、メロディーは翼を持ち、空に舞い上がった。その気持ちよさといったら筆舌に尽くし難い。70年の経験を持つ70年目のピアニストが醸し出す音だけができる奇跡だ。
さらに圧巻だったのは、アンコール2曲目の途中のアーマッドとアイドリスとのかけあい、さらに、アーマッドとジェームスのかけあいだ。アーマッドが弾くメロディーをジェームスが追いかける。ジェームスのメロディーをアーマッドがなぞる。そして、「後はおまえがやれ」とでも言った風にジェームスに任せ、彼のソロが続く。アコースティック・ベースで、しかも一音一音が実にクリアだ。舞台左で小休止しながらも、アーマッドはジェームスを暖かいまなざしで見つめる。ミュージシャンシップの暖かさと厳しさがそこに同棲していた。
このトリオが繰り出すリズムは、まるで人が呼吸をしているかのようだ。呼吸するリズム。呼吸する音楽には命が宿る。命が宿った音楽は、そこで生き生きと輝き、華々しく生命力の美しさを放っていた。アーマッドはステージで一言も聴衆に向けてしゃべらなかった。唯一彼がマイクを取ったのは、最後にメンバー紹介をしたときだけだ。しかし、彼らがステージにいた84分間、彼ら3人は、英語でもなければ、日本語でもフランス語でもない言葉ーーー音楽という名の言葉(ランゲージ)をずっとしゃべり続けていたのだ。そしてその言葉のメッセージは強烈に僕たちに届いた。
彼がちょんと鍵盤を叩くと、それがゲーム終了のゴングだ。壮絶な早弾きを見せた2曲目のアンコールが終った瞬間、観客席から思わず声があがった。「Yes, Sir!」 その言葉以外、かける言葉はない。
アーマッドは言う。「私の頭には無数のメロディーがある。だがそれ全部を書き留めるわけではない。私が書き下ろすのは、宝石だけだ。だから、宝石を手にしたら、私はスタジオに入る。宝石はめったに見つからない。深く深く掘っていかないと」("I have a thousand melodies in my head, but I don't write them all down. I write down the jewels. So when I have a jewel I go into the studio. Jewels are hard to find--you have to dig.")
今夜は宝石箱からジュエリーがあふれんばかりにこぼれていた。宝石は見ているだけで楽しく、幸せになる。
(2003年10月28日・火曜・東京ブルーノート・セカンド=アーマッド・ジャマル・ライヴ)
今後のライヴ予定
Oct 27-28 The Blue Note - Tokyo, Japan
Oct 29-30 The Blue Note - Fukuoka, Japan
Oct 31-Nov 1 The Blue Note - Nagoya, Japan
Nov 3-4 The Blue Note - Osaka, Japan
ブルーノート東京のホームページ
http://www.bluenote.co.jp/art/20031027.html
アーマッド・ジャマルのホームページ
ENT>MUSIC>LIVE>Jamal, Ahmad
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2003/10/30 (Thu)
Jewels Are Hard To Find: Name Of Jewel Is Ahmad Jamal
集中。
https://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200310/diary20031030.html
集中。
昨日の続き。アンコールが終って、3人がステージでお辞儀をする。その時、アーマッドはアイドリースと腕をしっかり組んでいた。手をつなぐのはよく見るが、腕を組むんだ、彼は。そして、通路へ。その間中、みな「すごいね、すごいね」の連発だ。「あ〜〜〜、ピアノ弾きたくなった!」とソウルメイトN。「これはすごいねえ、終りそうで、終らないとこなんか息を飲むね」とソウルメイトM。「マイルスが彼を見て、自分のバンドに欲しがるの、わかるよねえ」 僕が「音が小さくなったところがすごいなあ」というと「でも、輪郭がはっきりしてるんですよね」とソウルメイトU。「ホント、レス・イズ・モア(少ないほうが、より多くのものを)・・・だよなあ。まさに!」と僕。するとMが「そうそう、それがヨシオカさんに欠けてるとこよ。いつも、モア&モアなんだから」(一同爆笑)
確かに日記も長い・・・。だが、モア・イズ・モアだ! (多く書けば書くほど、より多くのものを) 初心に戻ってもっと短くするか。そうなると、レス・イズ・レスになったりして。
それはおいといて。いいライヴを見ると、本当にそのライヴを見た感想をできるだけはやく文字にしたいと思う。書かないと忘れてしまうから。とりあえず書けば残る。そこで、書くためにはメモをする。その音を聴いた瞬間浮かんだ言葉や、イメージをちょこっと書くだけで、後で文章にするときに助けになる。仮にミュージシャンがよくしゃべる人だと、それもキーワードを書いておく。これがおもしろいもので、当たり前と言えば当たり前なのだが、あんまり心にこないライヴはイマジネーションも広がらないから、メモする文字も少ないのだ。アーマッドのライヴは、見ながら次々と言葉が浮かんできた。いいライヴは聴くものにたくさんのイメージやらインスピレーションを与えてくれる。
これだけの興奮のライヴを見せられたら、ちょっとそのスターたちとお話がしたい。この感動を相手に言葉で伝えたい。アーマッドさんへの面会を申し込むものの、残念ながらお疲れのようで却下。しばし一緒に行ったソウルメイトたちとアーマッド談義。
「彼の音楽は、媚びてないねえ。あくまで攻撃的だよな」とM。その通り、本当に媚びない。それを受けて、ふと感じた。「あ、そうか、今、ふと思ったよ。彼、ブラック・モスリムでしょう。アーマッド・ジャマルってくらいなんだから。ってことは、やっぱり、媚びないでしょう」 「ええ? 意味わからない」とN。「うん、つまり、このアーマッド・ジャマルっていう名前、これ本名じゃないと思うけど、その名前からしてブラック・モスリムっていう宗教に入っている人たちの名前なのよ。(ちょうどもっていた紙資料に本名フレデリック・ラッセル・ジョーンズとある) そこに入ると、アーマッドとか、マハマドとか、ジャマールとかそういう類の名前をつけるの。これは60年代に大きな勢力になった黒人急進派の考え方なんだよね。だから絶対に白人には日和らないし。かなりとんがってる。だから彼も昔はもっととんがってたんじゃないかな。でも、そのベースには前向きに、アグレシヴに行く姿勢が絶対にある。そういうのも、彼の音楽が媚びてないところの理由のひとつでもあるんじゃないかなあ」
バスルームに行こうとすると、なんとベースのジェームスがカウンターにいるではないか。早速バスルームに行くのをやめ、声をかける。「ヨシオカです。ジェームスさん! いやあ、すばらしいショウでした。彼とは何年ほど?」 「20年かな」 「最後のあなたとアーマッドとのベースとピアノのバトルがすばらしかった! いつもあんな風にやるんですか」 「ああ、いつもだよ。とても自由な形でやる。インプロヴァイズ(即興)でやる。僕は、アーマッドの音を緊張して聴かなければならない」 「事前にやる曲のセットリストはないんですね」 「ないよ。ぱっと、でたらその曲。こうでたら、別の曲だ。アーマッドが何かを弾いたら、それについていくんだ。アレンジもなければ、事前の予想もない」
「なるほど、今日の演奏曲目の中で唯一知っていたのは『ポインシアーナ』でした。他は知らない曲だった。でも、とても僕のソウルに触れました」 「ははは、サンキュー。もちろん基本的なコード進行は知ってるよ。何百曲ってレパートリーが頭には入ってるんだが、あんまりめったに弾かない曲だと、最初の音を聴いて、頭の中のコンピューターが『これは、なんだっけ』って回るんだ。(笑) で、思い出せないときもあるが、まあ、大体ついていけるな。アーマッドは、その瞬間にアレンジするんだよ。アレンジは自然発生する。僕は、彼に反応しなければならない。だから、集中して、緊張して、彼の音を聴かなければならないんだ」
「となると、いろんなキューがあるんですか」 「うん、いくつかあるよ。これ(両手でバツを作るジェスチャー)は、ストップ、これ(別の指サイン)はブリッジに進むとかね。もちろん、なにかいいものができるときもあれば、できないときもある。言ってみれば、『リスニング・セッション』なんだ。とにかく集中して(アーマッドの音を)聴かなければならない。Very intense! 」 「レパートリーは何曲くらい?」「(笑) さあ、わからないなあ。100? ノーノー、もっとだ。5−600? あるかもしれないな」
「リハーサルはしますか?」 「We never rehears(リハーサルなんか決してしないよ)! 唯一、彼が新曲を書いたときだけだな。(笑) サウンドチェックのときかなんかに、彼が言うんだ。『新曲、書いたんだ。ちょっとやってみよう』、こうやって、ああやってと指示を受け、それをやる。僕は、速攻で覚えなければならない。簡単な楽譜を書くこともあるけど、彼が弾いてそれを覚えるということもやるよ。音楽は流れに乗らないとだめなんだ。例えば、海に行くだろう。サーフボードを持って海に入る。波に逆らってはだめだ。なぜなら波はあまりに大きすぎるから」
このアーマッドのライヴは、もう一度見たいと思ったが、残念ながら東京は2日だけ。しかも、この4回、セットリストはほとんどちがったらしい。あと別の地方のブルーノートが今週いっぱいある。見たいなあ。それも一番前で見てみたい。アーマッドとジェームス、アイドリース(みんなはアイドリースと言ってるように聞こえた。リにアクセントがくる)のその瞬間のやり取りを見てみたい。
10年に一度ではなく、毎年来て欲しい。この形式のトリオをもっと見てみたい。でも、100回見ても、これほどの衝撃のものは、1回あるかないかだろう。宝石は滅多にでてこないのだ。掘って、掘って、掘りまくらないと。だからこそ回数見た中でこういうライヴに巡り会えたときは、喜びもひとしおだ。
アーマッドがブルーノートのヴィデオインタヴューで言った。「(私の)ライヴは観客にも多くのものが要求されるよ。緊張し、集中して見てくれ」 それにしても、いつのまにかいつになく緊張し、集中させられていた。そうさせたのは、もちろん、アーマッドたちである。すごいことだ。
ほとんど観客が帰った後、アーマッドが帰りのエレヴェーターに乗るところに遭遇した。「写真、一緒にいいですか?」 「もちろん」というと、彼は僕の腕をしっかり組んでポーズをとってくれた。
(2003年10月28日・火曜・東京ブルーノート・セカンド=アーマッド・ジャマル・ライヴ)
ENT>MUSIC>LIVE>Jamal, Ahmad
OBITUARY> Ahmad Jamal (July 2, 1930 – April 16, 2023, 93 year old)
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