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〇 マイケル・ベイカー(ドラマー、ホイットニー音楽ディレクター)癌で死去

〇 マイケル・ベイカー(ドラマー、ホイットニー音楽ディレクター)癌で死去
 
【Michael Baker, drummer, Musical Director for Whitney Houston Dies At Around 66】
 
訃報。
 
ドラマーとして、また音楽ディレクターとして、ジャズ畑からR&B畑まで幅広く活躍していたマイケル・ベイカーが2023年7月9日、現在居住しているイタリアで亡くなった。1957年頃の生まれで66歳前後とみられる。過去10年ほど癌と闘病していた。
 

 

https://www.bruuuce.com/2023/07/10/michael-baker-obituary/

 
1957年頃、ミネソタ州生まれ。1975年にミネソタ州ドゥールースのセントラル高校を卒業。(なお、この高校は最近閉鎖され後に残された建物が3百万ドルで売却されたという) 十代からドラムスをプレイし、1970年代中期にノース・テキサス州立大学に進みジャズを学んだ。その後、80年代初期にロスアンジェルスへ移住。ここでジャズ・ピアニスト、ビリー・チャイルズと意気投合、彼のグループでウィンダムヒルなどにアルバムを録音。当初はジャズをプレイ。ジョー・ザヴィヌル、ジミー・スミスなどと共演。また、ブロードウェイ・ミュージカルの『ソフィスティケイテッド・レディーズ』のロスアンジェルス版に参加。1994年から2012年まで、ホイットニー・ヒューストンのバンドでドラムス、音楽ディレクターを務めた。
 
音楽的にはジャズからポップ、R&Bまでなんでも叩けた。
 
ビリー・チャイルズ(ピアニスト)のアルバムから 「クワイエット・ガール」

 
1994年ホイットニーのブラジルでのライヴ映像(フルサイズ・約1時間38分)

 
ここには、パーカッションのバシリ・ジョンソン、キーボードにウェイン・リンゼイ、ドラムスにマイケル・ベイカー、サックスにカーク・ウェイラムらが映っている。ホイットニーが最高に輝いていた時期の映像。一部映像と音声があっていないところがある。
 
ライヴやレコーディングに参加したアーティストには、アリーサ・フランクリン、ミッシー・エリオット、スティング、クリスティーナ・アギレラ、ジェームス・テイラー、メアリー・J・ブライジ、アッシャー、ルーサー・ヴァンドロス、レイ・チャールズなど多数。ほかにも、テレビのHBOスペシャル、スポーツ・イラストレイテッドのイヴェントなどにも参加した。そのほかにもドイツで行われたホイットニーなどをフィーチャーした『ソウル・ディーヴァ・ツアー』、2010年の『アメリカン・ミュージック・アワーズ』、マイケル・ジャクソンの2001年9月7日と10日にマジソン・スクエア・ガーデンで行われたマイケル・30周年ライヴ・イヴェントに「ハウス・バンド」(ゲスト・シンガーのバックをつけるバンド)の一員として参加した。(「マイケル・バンド」のドラムスは、ジョナサン・モフェット)
 
2012年のグラミー、カーネギー・ホールでのスティング主催の『セイヴ・ザ・レイン・フォーレスト』シリーズにもかかわった。
 
1980年代後期には、ポリースのギタリスト、アンディ・サマーズ、ベース奏者、ジェリー・ワッツとトリオを組んだ。
 
ホイットニーのバンドがないときは、ブルース・ホーンズビーのバンド(1998-1999)にも参加。また、アリスタ・レコーズ25周年のイヴェントにもかかわった。
 
ホイットニーの最後の日本ツアー(2010年2月)でも来日していた。
 
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2010年2月に少し話をした。
 
なんと、4歳から数年間、父親が米空軍にいた関係で、横田基地近くに住んでいたという。おそらく、1960年代初期と思われる。1957年頃生まれとすると、1961年頃から65年頃か。そろそろヴェトナム戦争が激化するかしないの時期か。
 
また、彼がホイットニーで来日したその2010年時点でイタリアに住んでいた。
 
ホイットニー・ヒューストン・ライヴ@さいたまスーパーアリーナ (パート2)
2010年02月15日(月)

 
彼は親しい友人からは、「マイク」、あるいは「ベイク」などと呼ばれる。
 
また、マイケル・ベイカーという名前はひじょうに一般的で、音楽業界にもまた、その他の業界にも多数の同名異人がいる。
 
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OBITUARY>Baker, Michael (around 1957 – July 9th, 2023 – around 66 years of age)

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