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アブドゥール・デューク・ファキール(ザ・フォー・トップス・オリジナル・メンバー)88歳で死去~最後の生き残りオリジナル・メンバー

アブドゥール・デューク・ファキール(ザ・フォー・トップス・オリジナル・メンバー)88歳で死去~最後の生き残りオリジナル・メンバー
 
【Abdul “Duke” Fakir Dies At 88 : Original Surviving Member Of The Four Tops】
 
訃報。
 
アブドゥール・デューク・ファキール Abdul "Duke" Fakir (The Four Tops)2024年7月22日デトロイトの自宅で心不全で死去。88歳。モータウンなどで多くのヒットを放ちR&B史アメリカ音楽史に大きな足跡を残したザ・フォー・トップス4人のうち最後の生き残りメンバー。
 
Abdul 'Duke' Fakir, last member of Motown's the Four Tops, dies at 88

 

 
 

 
 
愛称デュークは、1935年12月26日ミシガン州デトロイト生まれ。ハイスクール時代の友人たちとヴォーカル・グループ、フォー・エイムズを結成。この名でインディからレコードを出すが、シカゴのチェスと契約するときに、エイムス・ブラザーズとの混同を避けるために、フォー・トップスとグループ名を変更した。その後モータウンに移籍。
 
60年代モータウンでは、テンプテーションズと並んで、2大ヴォーカル・グループとして君臨。「アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ」「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」「イッツ・ザ・セイム・オールド・ソング」などの大ヒットを出した。これらはいずれもモータウンのプロデューサー、ソングライター、ホランド・ドジャー・ホランド(HDH)がてがけたもので、彼らの作り出すサウンドは1960年代「モータウン・サウンド」を代表するものとなった。その後、1972年、ABC/ダンヒルに移籍。ここでも「キーパー・オブ・ザ・キャッスル」「エイント・ノー・ウーマン」などがヒット。その後、1981年にカサブランカに移籍。ここでも「ホエン・シー・ワズ・マイ・ガール」がヒットした。
 

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The four tops - I can't help myself (sugar pie, honey bunch) - Live HQ

左からリーヴァイ、オービー、デューク、ローレンス。
 
Four Tops - Reach Out (I'll Be There) (1967) HD 0815007

左からリーヴァイ、オービー、デューク、ローレンス。
 
The Four Tops - Aint No Woman Like the One Ive Got

左からリーヴァイ、オービー、デューク、ローレンス。
 
メンバーは、リーヴァイ・スタッブスのほか、ロナルド・オービー・ベンソン、アブドゥール・デューク・ファキール、ローレンス・ペイトン。
 
曲でリードを取るのはリーヴァイ・スタッブスだがそのリーヴァイは2008年、レナルド・オービー・ベンソンは2005年、ローレンス・ペイトンは1997年に逝去。
 
デュークと4人の創立メンバーで40年以上活動。
 
The Four Tops - "When She Was My Girl" Live - 'Fridays' (1981)

 
左からリーヴァイ、オービー、デューク、ローレンス
 
現在もローレンスの息子などを含めグループとしてはそのレガシーを継いで、グループは存続、ライヴなども行っている。しかし、オリジナル・メンバー4人の逝去はひとつの時代の終焉を表す。黒縁の眼鏡がデューク。
 
デュークはグループではファーストテナー。基本的には、リーヴァイ以外はコーラスをつけ、振りを踊る役回り。1990年ロック殿堂入り。彼らはプロデューサー、ホランド・ドジャー・ホランドらが作ったいわゆる「モータウン・サウンド」を体現するアーティストの一組。
 
3人のメンバーはいずれも癌で亡くなりデュークは引き続き歌っていたが、今年(2024年)引退を表明。
 

 
1972年モータウンが本社をロスアンジェルスに移転したときも、デュークはデトロイトに留まった。
 
モータウンのテンプテーションズとは永遠のライヴァルとなり、1983年の大イヴェント『モータウン25』でのテンプスVSトップスのバトルは伝説に。

これも、左からリーヴァイ、オービー、デューク、ローレンス
 
1974年1月来日、東京厚生年金他各地でライヴ。
 

 
グラミー賞は一般部門では受賞していないが、「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」(1966年)が「グラミー・ホール・オブ・フェイム」を1998年に受賞している。



 
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不変の4人。
 
ザ・フォー・トップスの一番の素晴らしい点は結成から40年以上メンバー・チェンジを行わなかったこと。テンプテーションズ(テンプス)は、リード・シンガーも何度も変わった。そうした一度でもテンプスに所属したシンガーが「テンプテーションズの分派」を次々に作るようになった。だが、フォー・トップスはメンバーがずっと変わらなかったので、そうした分派はできなかった。シカゴのザ・デルズも同じだ。メンバー不変で、分派はできず。
 
そういう意味で、変遷の激しいアメリカ・エンタテインメント界で、メンバーが変わらず長く続けてきたグループというのは稀有な存在だ。
 
また、彼らはモータウンに入る前に、シカゴの名門チェスなどでレコーディングを経験していたから、モータウンではちょっとした「外様」的な扱いを受けた。それはミラクルズ、テンプスらの本家・生え抜きと比べると、という意味だ。同じくジョージア出身のグラディス・ナイト&ザ・ピップスも、モータウンではちょっとした冷や飯を食わされた。それもあって、モータウンが1972年に本拠をデトロイトからLA(ロスアンジェルス)に移すときに、彼らはモータウンを離れる。
 
また、フォー・トップスのメンバーは、テンプスらと比べると、皆3~5歳年上で、経験も若干多かったので、若手対年長組として表にはださないが、ちょっとした確執もあったようだ。
 
いずれにせよ、そんなことはファンからしてみればどうでもいいこと。あれだけの名曲とあれほどの名パフォーマンスを見せてもらえれば、そんな些細なことは気にもならない。

それにしても、彼らの唯一のパフォーマンスを1974年新宿の厚生年金で見たのは、もう50年も前なのか。光陰矢の如しだ。
 
これで4人全員が天国へ。天国のソウル・パーティーがまたまた賑やかになる。
 
 
ENT>OBITUARY>Fakir, Abdul “Duke” (The Four Tops) 12/26/1935 – 7/22/2024, age 88

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