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■■ソウル・サーチン・アーカイヴ・シリーズ 015~1976年の夏を思い出させるボズ・スキャッグスの『シルク・ディグリーズ』+76年夏初アメリカ紀行(書き下ろし) ■■

ボズ・スキャッグスの『シルク・ディグリーズ』がリリースされた1976年、その7月、僕は初めてロスアンジェルスとニューヨークを訪れた。『シルク・ディグリーズ』からの「ロウ・ダウン」の大ヒットのアーカイヴと、今回の書き下ろしによる1976年夏のLA、ニューヨーク紀行のほんの一部をご紹介します。

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オリジナル・サイト

2005/01/07 (Fri)
Boz Scaggs' "Silk Degrees" Remind Me Summer Of 76
http://www.soulsearchin.com/soul-diary/archive/200501/diary20050107.html

2005/01/07 (Fri)
Boz Scaggs' "Silk Degrees" Remind Me Summer Of 76
76年の夏を思い出させるボズ・スキャッグスの『シルク・ディグリーズ』

青い空。

シルク・ディグリーズ

昨年(2004年)暮れ、ボズ・スキャッグスのアルバムが一挙に廉価盤で再発売され、その中にあの名盤『シルク・ディグリーズ』(1976年作品)があったので、何度も聴いている作品だが、また久々にCDを聴いてみた。

1976年の夏、ちょうど「ロウダウン」がR&Bラジオや、ディスコでもかかっていたことを思い出す。白人の作品ながら、ソウルフルなサウンドで、R&Bステーションでも支持を集めたのだが、やはり、このベースラインが醸し出すグルーヴ感は素晴らしい。アヴェレージ・ホワイト・バンドなどのいわゆるブルー・アイド・ソウルが話題になっていた時期でもあり、「ロウダウン」もある種ブルー・アイド・ソウル的に受け入れられていたことも納得できる。

とはいうものの、僕は当時は完璧にソウル・ミュージック至上主義(笑)で曲を聴いていたので、みんなが黒っぽいといったこの「ロウダウン」でさえも、白さを感じていた。だが、抜群なポップ感覚はこの曲に感じていたから、これがポップ・チャートを駆け上るのは容易に理解できた。

1976年7月、僕は初めてアメリカに行った。友人がロスにいてその彼を訪ねておよそ一週間の予定で機上の人となった。で、その時レンタカーを借りたのだが、カーラジオから繰り返し流れてきた曲のひとつが「ロウダウン」だった。僕が聴いていたのはもちろん、局はどこだったか忘れたが、ブラックステーション、R&Bステーションだったにもかかわらずだ。(おそらくKJLHかKDAYあたりだったかもしれない)

当然、ロスの風景と、カーステレオから流れてくる多くのソウル・ヒットの中に混ざってこの「ロウダウン」がかかってもまったく違和感はない。たしかアメリカのラジオというものにどっぷり浸かったのもあの時が初めてだったかもしれない。そこで、アメリカのラジオはヒット曲が一時間に1回かかるものだということを知った。

Boz Scaggs - Lowdown (Official Audio)


https://www.youtube.com/watch?v=I-hKBmTAADo

天辰保文さんが2004年10月に書き下ろしたCD解説によれば、天辰さんはこのアルバムがヒットした1976年12月にサンフランシスコでボズのライヴを見た、という。しかも、そのライヴは男性ブラックタイ、女性ドレスというドレスコードがあったそうだ。もうそんなころからボズの音楽とそのファンは、おしゃれだったのかと改めてびっくりした。

ここには、他に「ハーバー・ライツ」という傑作バラードやあるいはリタ・クーリッジでヒットした「ウィ・アー・オール・アローン」も入っている。まさに名盤である。

Boz Scaggs - Harbor lights


https://www.youtube.com/watch?v=Ry19uowIgAo

We re all alone 訳詞付 Boz Scaggs


https://www.youtube.com/watch?v=fSXsUC4O3FI

ボズはサンフランシスコ出身だが、僕にはこの「ロウダウン」とカリフォルニア、それもロスの青い空が結びついている。それはちょうどこのジャケットの雲ひとつない青い空のイメージである。76年、日本では雑誌ポパイが誕生する年だ。アメリカ、カリフォルニアが日本の若者にぐっと近づこうとしていた時期でもある。

SILK DEGREES CD, オリジナルレコーディングのリマスター, インポート
ボズ・スキャッグス

ジャケ写 ボズ・スキャッグス シルク・ディグリーズ


https://amzn.to/3etuZzb

POPEYE (ポパイ) 創刊号 1976年 SUMMER カリフォルニア特集 雑誌 – 1976/7/31

書影 ポパイ創刊号 


https://amzn.to/3c9Deif

Boz Scaggs / Vinyl Album "Silk Degrees" 1976 full/complet


https://www.youtube.com/watch?v=cmmmzNFykAY&list=PLuJVd8CEAt6bDACLLBl2XU1ljIRn9WMgk

Diary Archives by MASAHARU YOSHIOKA
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2020年5月29日記

◎ あれから44年~1976年に思いを馳せて

【44 Years Later, 2020】

初アメリカ。

1976年7月にアメリカに行ったときのことはいろいろとよく覚えている。44年も前なのに。

すでにレコードの輸入業を始めていた僕はその取引先の人と一度顔を合わせておいてもいいだろう、くらいの軽い気持ちで出向いた。当時は国際線はまだ羽田発のみだった。

LAに着くと以前東京で知り合っていた友人のOさん(日本人)が空港まで迎えに来てくれた。サンセット・ブルヴァードのモーテルを予約してくれておいたのも彼だ。いろいろあちこちを案内してくれたが、LAでのちょっとしたことも教えてくれた。

僕はといえば、アメリカのことをテレビや映画などでちょっとだけ知っていたつもりだったが、実際は見る物聞くものすべてが真新しく、なにからなにまでカルチャー・ショックだった。

空港にOさんが迎えに来てくれたので、レンタカーはモーテル近くのレンタカー屋で借りた。もちろん、左ハンドルの右側通行など初めてでかなり戸惑ったが、2-3日で慣れた。

モーテル近くのカフェ(いまでいうファミレスだったかも、デニーズのような)で朝食か昼食をOさんと取っていると、その店の中に汚い身なりの見るからにホームレスが入ってきた。するとOさんは、「絶対に金や物をあげるな」と言う。僕なんかは1ドルくらい恵んでもいいのではと思ったが、「絶対ダメだ」という。というのは、「一人にやると、それがまわりのホームレスに伝わって、ほかの連中があいつにやったのに、なんで俺にくれなんだ、と文句を言ってくるからだ」という。「マジか、そんなことがあるのか」と驚いたが、現地に住むOさんの言うことはきいたほうがいいに決まっているので、無視することにした。そのとき、財布を見せるな、現金は人前で数えるな、など、今となっては当たり前のことを強く言われた。

車椅子。

かと思えば、ハリウッドかどこかのアイスクリーム・ショップに行ったときのことだ。僕は一番定番の「ヴァニラ・アイスクリーム」が欲しかったが、これがまったく通じない。どうも「バ・ニ・ラ」がダメでちゃんとV音を発音して「ヴァッ」とやらなければならなかったようだ。結局でてきたのは、「バナナ・アイスクリーム」だった。

このときに、カウンターの向こう側にいた店員の一人が車椅子で客の注文を取り、その味をスクープし、客に渡し、お金を受け取っていたのを見て、大変驚いた。「おおっ、アメリカは車椅子でも働けるようになってるんだ」とえらく感嘆した。日本では街中ではほとんど病院以外で車椅子など見る機会はなかったから、普通のそうした店で車椅子の人が、他のスタッフと同様に仕事をしているのが新鮮だった。1976年、44年も前のことだ。そう思って注意していると、意外とすでに車椅子の人がレストランやスーパーなどにもいることに気が付いた。そのとき、アメリカのトイレはめちゃ広いなあと感じたのだが、それは車椅子でも利用できるようになっていたのだ。日本でバリアフリーなどと言われるようになったのは、たぶんこの20年くらいだと思うので、その1976年の体験はなかなか斬新だった。



英語の発音で通じなかったのが、「コーヒー」と「コーク」「コーラ」の違い。コーヒーをオーダーしてコーラが来て、コーラをオーダーしたのにコーヒーが来たことがなんどあったか。(笑)

LA滞在中には、上記のブログでも書いた通り、ラジオ、FM局をずっと流していた。車はもちろん、モーテルにいるときもそうだ。そのとき持って行ったラジカセにそのラジオをかたっぱしから録音した記憶があるのだが、どうもそれが手元にない。その次にLAに行くのは1983年なので、ひょっとしたらラジオを録りまくったのはそのときだったかもしれない。

タワー・レコードに行ったのもこのときが初めてだった。それはそれは楽しかった。あんなに大きくて広いレコード店など見たこともなかったから、何時間でもいられた。当時はあの黄色い袋が本当にまぶしかった。

ただ1976年の時点ではすでに新譜アルバムは自分で輸入してほとんど欲しい物は買っていたので、旧譜の古いものなど、いわゆるカット盤を漁ってきた。

そういえばこのときチップの払い方も、Oさんに教わった。この10%から15%というのがなかなかめんどうくさかった。

初ニューヨーク。

このとき、一日だけ「レッド・アイ・スペシャル」(西海岸を夜中出発、東海岸に朝到着する便。時差3時間をカウントすると8時間半から9時間時計が進む。夜23時にLA発だと朝8時頃ニューヨークに到着する。みんな眠くて目が赤くなるので、レッド・アイ・スペシャルという)でLAからニューヨークに行った。今思えば、ニューヨークとLA3泊ずつくらいにわけてもよかったかなとも思うが、ニューヨークにはOさんのような人がいなかったので、勝手がわからなかったのだ。

このころ母親にLAとニューヨークの違いをよく聞かれ、LAがコロンボが住んでいる所でニューヨークがコジャックが住んでいる所だと説明すると、なんとなく理解してくれたようだ。ついでに説明すると、アイアンサイドはサンフランシスコだ。刑事でアメリカの都市を覚えるのかという話だが。(笑)

そして、ナップザックのようなものひとつで朝方ニューヨークに着いた僕はマンハッタンまでバスで行き、まだ時間が早かったので、空いてるカフェで朝食を取ってから唯一の知り合いLさんに電話をした。住所を聞いていたので、その近くまで来ていたが、電話をすると入口で部屋番号と名前を言えば、ガードマンが通してくれる、という。たしか52丁目あたりのけっこうな高層マンションでドアマンがいるちゃんとしたところだった。

その彼の部屋は40何階で、窓からはマンハッタンが一望できた。彼は夕方はJFKまで送っていくと言ってくれた。

まあ、半日しか一緒にいなかったのだが、その雑談の中で超びっくりしたのが、その高級マンションの少し下の階は映画の撮影スタジオになっていて、『コジャック』をいつも撮影していると言われたことだ。「よくテリー・サヴァラスに会うよ」と言われ「へえ、これがニューヨークか」と思ったものだ。そう、コジャックはまちがいなくニューヨークに住んでいたことがわかったのだ。

あの頃、もっとずうずうしければ、そのスタジオに案内してくれ、テリー・サヴァラスとツーショット写真撮りたい、と言っただろうなあ、と今は思う。

結局、僕が次にニューヨークに舞い降りるのは1983年7月、それから7年後のことだ。

それはまた別の機会に。

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