スイート・チャールズ死去~ジェームス・ブラウン・バンドのベース奏者
スイート・チャールズ死去~ジェームス・ブラウン・バンドのベース奏者
【Sweet Charles Dies At 80 :James Brown Band’s Bass Player 】
訃報。
ジェームス・ブラウンのバンドのベース奏者として活躍したスイート・チャールズ・シュレルが2023年3月29日、現在居住していたオランダのマールステンダルクで肺気腫のため死去。本人名義のSNSで遺族が最期の様子を明かした。
→ https://bit.ly/3ZoWOje
ソウルトラックス訃報→
(born Charles Emanuel Sherrell; March 8, 1943 – March 29, 2023)
スイート・チャールズは、1943年テネシー州ナッシュヴィル生まれ。当時ナッシュヴィルに住んでいた無名だったジミ・ヘンドリックスらとバンド活動をしていた。スイート・チャールズは、カーティス・メイフィールドから個人的にギター・レッスンを受けるようになり、その後質店で買ったベースを弾くようになった。
一時期、アリーサ・フランクリンのバックバンドでベースを弾いていたこともある。
その後、1968年8月からジェームス・ブラウンのバンドに参加。これは、そのときのベース奏者ティム・ドラモンドが病気のために参加できなくなったため、交代してはいった。
この時期のレコーディング、ツアーなどに参加。
レコーディングでは、ジェームス・ブラウンの大ヒット「セイ・イット・ラウド、アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウド」、「マザー・ポップコーン」、「ギヴ・イット・アップ、オア・ターンイット・ルーズ」などでベースを聞かせている。その後、ジェームス・ブラウン・バンドのメンバーはいちど総入れ替えとなり、その後、1970年7月以降ベースはブッツィー・コリンズに変わった。ブッツィーなどにも大きな影響を与えた。
その後、スイート・チャールズは、ジェームス・ブラウンのバンドを出たり入ったりするようになる。また、1974年、ジェームス・ブラウンの持つピープル・レコーズから『フォー・スイート・ピープル・フロム・スイート・チャールズ』のソロ・アルバムを出す。(下記リンク)
また、ジェームス・ブラウンの2度目の来日以降、数回バンド・メンバーとして来日。ほかに、ジェームス・ブラウン・バンドを辞めた後、同僚のメイシオ・パーカーのバンドにも参加、来日している。
ちなみに、スイート・チャールズの来日履歴は次の通り。仙台スーパーグッドの佐藤潔さんのご厚意によります。これによると、ジェームス・ブラウンで7回、メイシオで1回来日している。
1974年2月10~16日
ジェームス・ブラウンの2回目の来日(以下同)。東京(2回)、札幌、大阪(2回)、福岡の6公演。
1975年4月16~22日
3回目の来日。東京(3回)、札幌、大阪の5公演。
1979年12月10~17日
4回目の来日。大阪、東京(3回)の4公演。
1986年2月4~8日
5回目の来日。大阪、東京(2回)の3公演。
1987年10月4日
6回目の来日。立川・昭和記念公園でのジャパン・エイドでの公演。
1992年4月1~4日
7回目の来日。札幌、東京(2回)の3公演。
1993年4月12~22日
8回目の来日。横浜、仙台、札幌、大阪、東京、名古屋、福岡、広島の各都市を回る全国縦断ツアー。
1998年3月
メイシオ・パーカーのバンドにて。ブルーノート東京での公演。
メイシオと他にも帯同来日しているかもしれない。
フォー・スウィート・ピープル・フロム・スウィート・チャールズ(生産限定盤)
スウィート・チャールズ 形式: CD
2022/6/22
¥1,297 税込
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スイート・チャールズは2回目の来日、1974年に勝本さんがやっていた六本木エンバシーで、バンドメンバーが遊びにやってきたところで会い、たぶん、その後の来日でも顔をあわせていた。やはり、JBズのフレッド・トーマスなどともに馴染み深いメンバーだった。
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OBITUARY>Sweet Charles>March 8, 1943 – March 29, 2023, 80 year old
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