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〇伝説のエンジニア、ブルース・スウェディーン86歳で死去~独自のアキューソニック・サウンド・システムを構築~クインシー・ジョーンズとともにマイケル・ジャクソン作品を多数てがける


〇ブルース・スウェディーン86歳で死去

【Bruce Swedien Dies At 86】


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〇ブルース・スウェディーン86歳で死去~独自のアキューソニック・サウンド・システムを構築

【Bruce Swedien Dies At 86】

訃報。

アメリカ・レコード業界の最高峰のエンジニアの一人、ブルース・スウェディーンが2020年11月16日、現在居住していたフロリダ州の病院で死去した。86歳だった。しばらく前から体調を崩し入院していた。コロナに罹患していたという。

エンジニアとして1960年代から活躍、特にクインシー・ジョーンズと仕事をし始めた1970年代以降、その活躍が注目、評価された。独自の録音方法を編み出し「アキューソニック・サウンド・システム」と命名。これが素晴らしい奥行き感もある独特のサウンド空間を生み出した。スウェディーンは、「音を3次元で録る。右、左、そして(前後の)スペースだ」と言う。特にその手法が確立した70年代中期以降の作品は他の追従を許さない高音質の作品を生みだした。

クインシー・ジョーンズの右腕として多くのクインシー作品にかかわった。クインシーの『スタッフ・ライク・ザット~』、ブラザーズ・ジョンソンの各アルバム、そして、何よりマイケル・ジャクソンの『オフ・ザ・ウォール』以降のアルバムをてがけ、世界にその名を轟かせた。

エンジニアとしてグラミー賞も12回ノミネートされ、5回受賞している。

「エンジニア界の神」、「伝説のエンジニア」とされ、多くの後輩にも多大な影響を与えた。

ブルース・スウェディーン オンボード

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評伝。

ブルース・スウェディーン(Bruce Swedien)は1934年(昭和9年)4月19日ミネソタ州ミネアポリス生まれ。両親はスウェーデン系で、どちらもクラシック音楽のミュージシャンだった。(当時移民はアメリカになじみやすい英語名をつけたが、スウェーデン出身なので、スウェディーンとしたのかもしれない) ブルースが10歳のときに親から与えられた録音機でいろいろなものを録音し、その面白さに魅せられ、将来そうした方向性の仕事をしたいと思ったという。1944年(昭和19年)、戦争中の話だ。録音機やラジオなど様々な電気機器に興味を持ち、自作などしているうちに、17~18歳頃には、自身で電波発信機を作り勝手に小規模な放送局(イリーガル[非合法=免許のない]放送局)を作って音楽を流していたという。

ミネアポリスではクラシック音楽に傾注し、それらを録音するようになったが、1957年23歳の時により大都会のシカゴに移り住み、そこでRCA/ビクター・スタジオでの仕事を得て、その後ユニヴァーサル・スタジオに移った。当時RCAのスタジオでクラシック音楽を録音していたが、徐々にポピュラー音楽もてがけるようになる。

この時期シカゴに本社があったマーキュリー・レコーズの副社長でもあるクインシー・ジョーンズと知り合い、クインシー本人がてがけるポップスの録音にもかかわるようになる。

クインシーとブルースはダイナ・ワシントン、サラ・ヴォーンなどの録音で仕事をし始め、関係を深めていく。

シカゴ・ベースのエンジニアとしては多数の作品にかかわるようになるが、1962年のフランキー・ヴァリー&フォー・シーズンズの「ビッグ・ガールズ・ドント・クライ」が大ヒットしてからは業界内の知名度があがったという。

1960年代後期にブランズウィック・レコーズのスタジオに移籍。そこで、同レーベル所属のアーティスト、シャイ・ライツ、タイロン・デイヴィスなどの作品をてがけた。

1970年代になり、マルチ録音が4チャンネル、8チャンネル、16チャンネルとどんどんと増えていく中で、複数のレコーダーを同期させて多チャンネルを使用する方法と、長年培ったマイクのセッティングなどの方法で、独自のサウンドを形成することに成功した。そうした試行錯誤の中で、徐々に左右のステレオだけでなく、前後の奥行き感を生み出すことにも成功、一聴してブルース・スウェディーンの音ということがわかるようになった。

また多チャンネルを使用することによって、楽器間の音の混ざりをかなりシャットアウトすることができ、セパレーションのよいクリアな音を録音することができるようになった。

1970年代後期のクインシー作品、ブラザース・ジョンソン、マイケル・ジャクソンの『オフ・ザ・ウォール』(1979年)以降、ジェームス・イングラム、パティー・オースティン、ジョージ・ベンソンなどの作品群はどれも音響・音質的にも素晴らしいものになっていった。

ただし多チャンネルで録音していくと、スタジオ時間が膨大な量となるため、制作費もかなりかさんでいく。1980年代初期で、すでに96チャンネル、90年代になると192チャンネルも使用することがあったという。

映画音楽もてがけ、クインシーとの『ザ・ウィズ』(1978年)を始め、『カラー・パープル』(1985年)、『ランニング・スケアード』(邦題、シカゴ・コネクション/夢みて走れ)(1986年)などをてがけた。

グラミー賞にも12回ノミネートされ、5回受賞している。受賞作は、『スリラー』、『バッド』、『バック・オン・ザ・ブロック』、『デンジャラス』、『Qズ・ジューク・ジョイント』。

ブルース・スウェディーン Q マイケル ブルース

1980年代初期あたりから、レコーディングにデジタルが入ってくるようになったが、ブルースは80年代中期からデジタルにも対応するようになった。

晩年はフロリダ州マイアミに移住し、自身のホームスタジオなどで仕事をしていた。

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伝説。

まさに「伝説のエンジニア」といっていいだろう。僕も1970年代後半から1980年代初期にかけてクインシー作品の「音がいい」ことに気づき、いろいろと調べた。

その中で独自の録音方法を開発していることを知った。自宅の普通のステレオで聴いていても、他のレコードとぜんぜん音が違っていて、不思議だった。

間違いなく、アナログ録音では最高峰のエンジニアだ。それは30年以上の経験と蓄積があってのものだ。しかし、デジタルになりだした1980年代中期以降は、ブルースでさえ再度試行錯誤した。そんな中で、一時期、ブルースはアナログですべてを録音して最終段階でデジタル化するという方法を使った。

僕はブルースのサウンドはなにより立体感がある、奥行きがある、そして、ヴォーカルを含み全楽器がクリアに聴こえるというところに惚れ込んだ。

彼の書籍やインタヴューなどを見ると、その中で「自分は自分が知っていることはすべて(後輩に、若い人に、教えを請いに来る人に)教える」と繰り返す。「何も自分には秘密はない」とも言う。彼が生み出した技術、方法などを惜しげもなく次世代へ手渡していく、素晴らしい人物だ。これは、彼が最初に師事したシカゴでユニヴァーサル・レコーディング・スタジオを作ったビル・プットナム(1920年~1989年)というエンジニアの影響だそうだ。彼について、ブルースはなんでも教わった。プットナムはなんでも他の人がチャレンジしないことにチャレンジし、さまざまな「初めて」のことを成し遂げてきた。それをブルースも見様見真似で学んだ。

違い。

ブルースの仕事ぶりがちょっとわかるのが、マイケルの『オフ・ザ・ウォール』(1979年)とジャクソンズの『トライアンフ』(1980年)だ。前者がもちろん、ブルースの仕事、『トライアンフ』は別のエンジニア。この2枚、内容的には同じようなミュージシャンが参加しどちらも素晴らしいのだが、音質的には圧倒的に『オフ・ザ・ウォール』のほうがいい。この違いがブルースの「マジック・タッチ」だ。

金言。

ブルース・スウェディーンの金言はいくつもある。

アットランダムに書いてみよう。

〇スピーカーはあまりに大きな音をだすな。イヤホーンは使うな。聴覚に悪影響を及ぼす。

〇コンプレッション(圧縮=音を圧縮すること。たとえば、ラジオ局などは送出する音にコンプレッションをかけてかっこよく聞こえるようにする)は嫌いだ。アンナチュラル(不自然)だから。

〇(200チャンネルくらい一曲のレコーディングに使用することについて。通常は24~48チャンネル) フー・ケアーズ? 誰が気にする? 気にするな。

〇(エンジニアリングについての心得と訊かれ)何より、まず音楽を好きであること。

〇ライヴをとにかくたくさん聴きに行け。UCLAでマスター・クラスを持ったとき、その10人の生徒をまずLAフィルハーモニックを聴かせに連れて行った。

〇マイケルの「ヒューマン・ネイチャー」などを録音したヴォーカル・マイクの最高峰のひとつノイマンのU47は1953年頃、たしか390ドル(約14万円=もちろん、当時は大金。1日1ドルで生活できたような時代)で買った。2本持ってる。しばらく前に15000ドル(約150万円)で売ってくれと言われたが、断った。

〇クインシーから学んだこと。それは、be prepared (常にセッションに臨むとき、準備万端にしていろ)ということ。マイケルはいつもスタジオに入る前は準備万端だった。すべての歌詞を完璧に覚えていた。録音時に歌詞カードを見たことはなかった。前日の夜中まで彼はとにかく覚えようとしていた。マイケルが録音ブースでヴォーカルを録るときは、けっこう暗くしていた。だから歌詞カードは読めない。

〇クインシーは自身で車を運転しない。(できない) 運転免許講習会に13週行ったが、ぜんぜん運転が上手にできずに、学校から「決して路上で運転しないように」と言われ、講習料が全額返金された。

〇生まれ故郷のミネソタは、両親の出身地スウェーデンによく似ている環境だった。みんなは「ミネスノータ」(Minne-snow-ta雪が多いから)と呼ぶ。

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スタジオ・レコーディングの究極の匠が、とにかくライヴを聴きに行け、というのはひじょうに重い言葉だと思った。

心よりお悔やみ申し上げます。

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