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〇「ピーター・ノーマンを知っているかい?」 メキシコ五輪銀メダリストのその後の人生


〇「ピーター・ノーマンを知っているかい?」 メキシコ五輪銀メダリストのその後の人生

(本作・本文は約5000字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字換算すると、10分から5分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと17分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴きますと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください)

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(写真一番左が銀メダルを取ったピーター・ノーマン。真ん中が優勝したトミー・スミス、右が3位銅メダルのジョン・カルロス。二人がこぶしをあげて「ブラック・パワー・サリュート」を捧げている。ピーターもその主張に同意しそのバッジを胸につけている)


〇 「ピーター・ノーマンを知っているかい?」~ メキシコ五輪銀メダリストの「五輪と政治」に翻弄されたその後の人生

差別。

4年に一度行われるオリンピックは常に政治の嵐にさらされる。1936年のベルリン・オリンピックはヒットラーのナチス政権下で行われ、ナチスの政治プロパガンダに使われた。1940年の東京オリンピック、1944年のロンドン・オリンピックは戦争のために中止となり、1980年のモスクワ・オリンピックはソ連のアフガン侵攻のため西側諸国が参加をボイコットした大会となった。

1968年10月17日メキシコ・オリンピック男子200メートル表彰式で思わぬことが起こった。金メダルと銅メダルを取ったアメリカの2人の黒人選手が全米で巻き起こっていた人種差別反対運動に共鳴し、アメリカ国家が流れる間黒い手袋をはめこぶしを振り上げるパフォーマンスを見せたのだ。これ自体は比較的有名な話だったが、その時の2位のオーストラリア選手のその後の人生がこれまた激動のものになった。

1968年アメリカは揺れていた。4月にはメンフィスで公民権運動の平和的指導者として非暴力を謡っていたマーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺され、その2か月後にはジョン・F・ケネディーの弟ロバート・ケネディーが暗殺され、8月にはデトロイト暴動が起こり、それが全米の主要都市に飛び火していた。反戦の機運と人種差別に対する抗議運動、公民権運動の高まりなどが盛り上がっていた。

オリンピックで銀メダルを獲得したのはオーストラリアのピーター・ノーマンという選手。その彼のその後の人生を書いていた「イミシン」というサイトの無署名記事→


https://bit.ly/2YYj5Z8

簡単にまとめると、アフリカン・アメリカンの二人が表彰台で黒い手袋をし「ブラック・パワー・サリュート」(黒人パワーを見せる行動、具体的にはこぶしを空に突き立てるパフォーマンス)を見せた。このとき、銅メダルのピーター・ノーマンはこぶしこそ挙げなかったが、スミスとカルロス二人の気持ちに賛同、二人が付けていた「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(略称:OPHR)」のバッジを付けていた。

二人のアメリカ人アスリートは母国に戻ってもスポーツ界から追放されるが、このオーストラリア出身のピーター・ノーマンも事実上母国のスポーツ界から排除されてしまったのだ。ノーマンは次の1972年のミュンヘン・オリンピックの選考基準に足りていたのに、選考されなかった。

その後、この3人はいばらの道を歩むことになるが、ノーマンが2006年10月3日に64歳の若さで心臓発作のために死去すると、スミスとカルロスはオーストラリアに飛び、葬儀でノーマンの棺を担いだ。アメリカのトラック&フィールド連盟は2006年10月9日の葬儀の日を「ピーター・ノーマン・デイ」と認定した。そして、2012年10月、オーストラリア政府は死後6年、1968年から44年経ってやっとノーマンに対して正式に謝罪をした。

ブログ ピーターノーマン3 ノーマンの棺をかつぐ二人

(ノーマンの棺をかつぐトミーとジョン)

ノーマンの母国オーストラリアにも実は、先住民=アボリジニに対する人種差別・隔離政策が長くあった。

そして、このことを上記イミシンのサイト記事を読んで知ったシンガー/ソングライターの中川五郎さん @GoroNakagawa がこれを題材にして「ピーター・ノーマンを知っているかい?」という曲を制作した。これがその曲のライヴ・パフォーマンス(英語字幕付き)→


https://bit.ly/3eUTSo9 

2016年夏、中川さんは、この記事を読んだあと様々な文献などを調べて「ピーター・ノーマンを知っているかい?」を書いた。

24番まであるので曲は20分近くになる。
別の動画→

https://bit.ly/3dXUzvx 

中川さんが言う。

「この歌でぼくがいちばん歌いたいことは19番から24番までの歌詞に込められている。ぼくは『50年前の昔、こんなことがありました』、『みなさん知っていますか?』と、昔あった物語をみんなに伝えたくてバラッドの『ピーター・ノーマンを知っているかい?』を作ったわけではない。1968年のメキシコシティ・オリンピックのブラック・パワー・サリュートのことを、ピーター・ノーマンのことを、2010年代後半の今ぼくが歌いたいのは、今現在も差別があり、人権が踏みにじられ、ひとつの国や民族が排斥され、醜いヘイト・スピーチが繰り返され、これは決して過去の物語ではなく、今の物語、今も繰り返されていることだからこそ、ぼくは2010年代後半の今、歌いたいと思った。差別が続き、人権が踏みにじられ、ヘイト・スピーチが渦巻くところ、それに立ち向かう人たちのそばには、いつもピーター・ノーマンが、ピーター・ノーマンのような人がいるとぼくは信じている。」

ピーター・ノーマンの母国オーストラリアでの人種差別問題を描いた映画があった。『ソウル・ガールズ』という作品だ。これも舞台は奇しくも1968年である。

この映画について→


https://amba.to/3f0yv4F 

◇映画『ソウル・ガールズ』~2014年1月11日公開~ソウルの魅力を力説

【The Sapphires : Australian Movie Focus On Aborigine】

(少しネタばれになりますが、鑑賞の妨げにはなりません)

先住民。

舞台は1968年初め、オーストラリア。アボリジニ(オーストラリアの先住民族)の姉妹3人、ゲイル(デボラ・メイルマン)、ジュリー(ジェシカ・マーボイ)、シンシア(ミランダ・タプセル)は地元で歌のオーディションに参加。しかし、彼女たちは肌の色が濃い黒人ということで、はるかに実力の劣る白人シンガーに負けてしまう。そのときの審査員で売れないミュージシャン、デイヴ(クリス・オダウド)はそのインチキぶりに怒るが、主催者にそのことでクビにされてしまう。そんなとき、彼女たちは新聞でヴェトナム慰問のグループ募集の広告を見つけ、そのオーディションを受けようとデイヴに相談。

彼女たちはその落ちたオーディションではカントリー・ソングを歌っていたが、黒人兵の多いヴェトナムを慰問するには、カントリーではダメだ、ソウル・ミュージックを歌えと説得。さらにグループをパワーアップするために、少し肌の色の薄いいとこケイ(シャリ・セヴェンス)を加え、4人組その名もサファイアズを結成し、オーディションに挑戦する。ジュリーをリードにした4人組は「フーズ・ラヴィング・ユー」を歌って見事に合格、ヴェトナムへ飛んだ。そこで彼女たちが見たものはーー。ヴェトナムで彼女たちは受け入れられるのかーー。

これは元々オーストラリアに住む先住民アボリジニのガール・グループを元にした実話を2004年、舞台劇『ザ・サファイアーズ』にして、それが好評を得て映画化したもの。2011年に製作され、2012年5月カンヌ映画祭でプレミア公開、さらに同年8月にオーストラリアで一般公開されヒット。2013年3月から全米でも公開され、ヒットしている。総予算約10億円(約1000万豪ドル)、現在まで20億円の興行収入を得ている。日本では2014年1月11日ロード・ショー公開となる。

差別。

僕は今回アボリジニたちが、オーストラリアで黒人(black)と呼ばれ、激しく差別されていたことを初めて知った。また、肌の色の薄いケイが政府に拉致され「白人」として育てられたという歴史も初めて知った。

そんな彼女たちが、落ちこぼれの白人ミュージシャンにソウル・ミュージックの魅力を教わる。「君たち、ヴェトナムで何を歌うつもりだ?」と問われ、「私たちは、チャーリー・プライド(黒人のカントリー・シンガー)なんかが好きなのよ」と言い、デイヴはソウル・ミュージックについてこうぶち上げる。

「君たちは黒人だ。黒人がカントリーを歌ってもダメだ」 「じゃあ、何を歌えばいいの?」
「今の音楽は90%がクソで、残り10%はソウル・ミュージックだ。オーティス・レディング、サム・クック、ジェームス・ブラウン!」「白人のアンタに何がわかるっていうの?」「オレは肌は白いが、血は黒いんだ」

そして、4人に練習をつけているとき彼はこうも言う。

「カントリー(・ミュージック)は喪失(lost)を歌う。ソウルも喪失を歌う。そしてカントリーでは、人はあきらめ、故郷に戻って嘆き、暮らす。だが、ソウル・ミュージックはそれを取り戻そうと闘う。失ったものを求めて必死にそれを探す。そのせつなさを魂を込めて歌え」

このデイヴは、オーティス・レディングの「ディーズ・アームズ・オブ・マイン」を初めて聞いたときの衝撃が忘れられず、ソウル・ミュージックの虜になった。

白人のデイヴが黒人の女の子たちに「ソウル・ミュージックのすばらしさ、魅力」を語っているところがなんともすばらしいではないか。この台詞はいつでも、どこでも使える。僕もこんご使わせていただこうと思う。(笑)

当時の音楽も存分に使われ、ソウル・ミュージック好きにはたまらない映画だ。しかもここで多くを歌うジェシカ・マーボイは、オーストラリアですでに「オーストラリアン・アイドル」(オーストラリア版アメリカン・アイドルのようなオーディション番組)で2位まで行き、レコード契約も持ち、CDを出しているソウル・シンガーだ。

人種差別、肌の色の濃い薄いによる確執、ヴェトナム戦争、生と死、ラヴ・ストーリー、そしてグッド・オールド・ソウル・ミュージック。

邦題はわかりやすくていいと思う。『ドリーム・ガールズ』や1960年代ソウル、ガール・グループを好きな音楽ファンにはまちがいなくお勧め。2014年1月11日からロード・ショー公開。

『ソウル・ガールズ』公式ホームページ


http://soulgirls.jp/

予告編


http://youtu.be/rnq0fRAybbw

主演ジェシカについて→


https://amba.to/2BzJLXa 

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ピーター・ノーマンがアメリカのアフリカン・アメリカンである二人のアスリートたちの「人権」「人種差別」問題の抗議にすぐに賛成したのも、ひょっとしたら、母国での人種差別問題を認識していたからかもしれない。あるいはアメリカでの公民権運動の盛り上がりを知っていたからかもしれない。

もうひとつ、この話で思い出すのは、1960年ローマ・オリンピック・ボクシングで金メダルを取ったカシアス・クレイ(モハメド・アリ)のことだ。彼は人種差別とアメリカに抗議し、激化するヴェトナム戦争への反対、徴兵を拒否し、やはりスポーツ界から事実上追放される。アリはその金メダルをオハイオ川に投げ捨てる。それから36年後、1996年、アトランタ・オリンピックでメダルを再授与され最後の聖火ランナーとして聖火台で火を灯したがその時、彼はすでにアルツハイマー病を患い、聖火を持つ手が震えていた。(この部分は拙著『ソウル・サーチン R&Bの心を求めて』第3話モハメド・アリの人生に聖火を灯した男 マイケル・マッサー、に描いた)

ブログ ピーターノーマン5 カシアスクレイ

(カシアス・クレイ、のちのモハメド・アリ)

ソウル・サーチン R&Bの心を求めて (日本語) 単行本 – 2000/7/13
吉岡 正晴 (著)


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2005年、アメリカのサンホセ州立大学は同大出身のスミスとカルロスの表彰台での姿の彫像を制作することにした。そのときにピーター・ノーマンのところは本人の希望で、空白のままにされた。ノーマン曰く「そうすれば、見に来た人がそこに立って記念写真が撮れるだろう」と。

ブログ ピーターノーマン4 サンホセ大学彫像

(2位のノーマンのところは空白になっている。サンホセ大学)

ピーター・ノーマンについては、オーストラリアで死後ドキュメンタリー映画『サリュート:ザ・ピーター・ノーマン・ストーリー』(2008年)が製作された。これはピーターの甥にあたるマット・ノーマンがプロデュース、監督したもの。

予告編
Saliute (trailer)


https://www.youtube.com/watch?v=k9NsN0ybTec

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別のドキュメンタリーに関する動画

John Carlos, 1968 Olympic U.S. Medalist, on the Sports Moment That Changed The World. 1 of 2


https://www.youtube.com/watch?v=D35uvpN3IKk

その後、ピーター・ノーマンも、ジョン・カルロスも、またトミー・スミスもいずれも公民権運動、人権問題の活動家して活躍した。

(1967年、デトロイトで起こった暴動を描いた劇場映画『デトロイト』)

そして、中川さんも言うように1968年に起きて問題になっていることが、2020年の今もまるで何も変わらぬように起こっているところが恐ろしい。

(1968年9月からヒットしたジェームス・ブラウンの「セイ・イット・ラウド、アイム・ブラック・アンド・プラウド」)

「ブラック・ライヴス・マター」は1968年(本当はもっと前)から2020年まで、ずっと続いている。人間は歴史に学ばなければならないのに、学んでいない。歴史に学ばないものは、歴史に必ずしっぺ返しされる。


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