■■「ソウル・サーチン・アーカイヴ・シリーズ」003 ■■ ジェームス・ブラウン・ショウの秘密 (ジェームス・ブラウン:パート1)

■■「ソウル・サーチン・アーカイヴ・シリーズ」003 ■■
2020/05/03

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『ジェームス・ブラウン・ショウの秘密』

1998年12月ジェームス・ブラウン(5月3日が誕生日)が赤坂ブリッツ(2020年9月で閉鎖)でライヴを行った。そのときのレポートの一部(オリジナルの3分の1程度約3000字)を当時あったFMファン誌(1999年5月3日~16日号=現在廃刊)に掲載していただいた。その後、このフル・ヴァージョン(約1万字)を日本語で書かれているジェームス・ブラウンのウェッブ「エスケイピイズム」(佐藤潔さん運営)に掲載していただいた。当時はまだ「ソウル・サーチン・ブログ」もなかった。今回いろいろなアーカイヴを掘り起こしている中で、やはりこれはぜひ再掲したいということで「エスケイピイズム」主催佐藤潔さんの了解も得て、アーカイヴとしてご紹介する。22年前のライヴ。ミスター・ブラウンの誕生日、ブリッツ閉鎖のニュースが流れた日、アーカイヴ日和だ。(笑) 本文約1万字。

(本作は約1万字。黙読ゆっくり1分500字、早い人で1分1000字換算すると、20分から10分。いわゆる「音読」(アナウンサーは1分300字くらい)だと33分くらいの至福のひと時です)

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JAMES BROWN
ジェームス・ブラウン・ショウの秘密

ACT 1 ● 喧騒の楽屋

 エイメン!

 「8ミニッツ(本番まであと8分)!!」
ジェームス・ブラウンのマネージャーであり、右腕といってもいいアル・ブラッドレーが、ミュージシャンたちに言う。
 赤坂「ブリッツ」のショウが始まる前の喧騒の楽屋廊下。ミュージシャンやスタッフが気ぜわしく行き来している。
 ミスター・ブラウンが、ホーン・プレイヤー3人に、あれこれ指示している。白いスーツに赤い蝶ネクタイをつけた3人は、両手を体の前でそろえて、ほとんど、直立不動で話を聞いている。すると、狭い廊下をバック・コーラスの女性が通った。ミスター・ブラウンは、軽く会釈をし、両腕を広げて「さあ、どうぞ」というしぐさをした。ミスター・ブラウンは女性に優しいジェントルマンだ。
 ミュージシャン、シンガー、ダンサー、スタッフ皆が、彼のことをミスター・ブラウンと呼ぶ。そのミスター・ブラウンも、スタッフやミュージシャンを呼ぶときに、男性なら「ミスター」をつけ、女性なら「ミス」をつける。組織がきっちりしつけられていることがわかる証拠の一つだ。
 「3ミニッツ!!」 大きなかばんを持ったミスター・ブラッドレーが言う。彼は、皆から「ジャッジ」の愛称で親しまれている。(元々弁護士だったため) 廊下の人の動きが慌ただしくなる。ミスター・ブラウンは、依然身振り手振りを交えながら、あれこれ話している。
 まもなく、ミュージシャンたちが舞台袖に消えた。
 彼らは舞台袖の暗がりで、全員手をつなぎ、目を閉じ、下を向いて、お祈りをしていた。「今日も無事にステージができますように」 全員の「エイメン!」のかけ声とともに、彼らは舞台の方に進んでいった。ミュージシャンが、ステージに歩きだすと、一斉に拍手と歓声が巻き起こる。いざ、ショウ・タイムの始まりだ。

ACT 2 ● ゴングの音

 ゴング。

 オープニングのインスト曲「ホンキー・トンク」が始まると、ミスター・ブラウンは、廊下脇にあるステージを映しだすモニター・テレビを見だした。腕組みをしながら見ていた彼は、やがて、舞台の袖に移り、「ホンキー・トンク」を演奏するバック・バンド、ソウル・ジェネラルを見つめる。続いて、ダニー・レイに紹介されて、今年になってミスター・ブラウンのレヴューに入った新人、日本初登場のトミー・レイの歌を見る。ジェームス・ブラウンの新作『アイム・バック』の日本盤ボーナス・トラックとしてジャニス・ジョプリンの持ち歌「トライ」という曲が収録されているシンガーだ。単独で2曲歌うことを許されており、彼女はオーティス・レディングの「アイ・キャント・ターン・ユー・ルーズ」と「トライ」を歌う。このレヴューの中では、特別の扱いだ。かつての、ジェームス・ブラウン・ファミリーのディーヴァたち、マーヴァ・ホイットニー、リン・コリンズ、ヴィッキー・アンダーソン的な位置にいるといっていいだろう。トミー・レイが戻って来ると、ミスター・ブラウンは、 手を差し伸べて、袖で出迎える。ジェントルマンなのだ。
 そして、ブラウン・ショウの司会歴35年以上のダニー・レイが再度登場。例の名調子であおりながら、5人組の女性バック・コーラス、ビタースイートたちがミスター・ブラウンのヒット曲をワン・フレーズずつ歌う。「ギミ・サム・モア」、「ペイバック」、「トライ・ミー」、「ドゥーイン・イット・トゥ・デス」・・・。充分にウォーム・アップしてきた会場は、一曲ごとにさらに盛り上がっていく。ミスター・ブラウンは、その様子を見て、待機している。そして、熱気も最高調になり、ダニーが「ジェーーーーーーームス・ブラウン!!!」と叫ぶと、興奮は大爆発する。ダニーの声と共に、舞台袖からミスター・ブラウンがステージへ飛びだしていく。それは、あたかもリング上のボクサーがゴングの音とともに、リング中央に飛びだしていくかのような勢いだ。ダニー・レイのその声は、ミスター・ブラウンにとって、ボクシングのゴングの音と同じなのだ。
 照明が舞台に降り注ぎ、観客席の方は、熱気のせいか、薄く「もや」がかかったようで、見えにくい。だが、舞台側からでもステージ真ん前に立っている興奮した観客たちはよく見える。一階席から「ジェームス・ブラウン!! ジェームス・ブラウン!!」の熱狂的な大歓声が聞こえる。暗闇の中のあれだけの観衆から、自分の名前を連呼されたら、一体どのような気持ちになるのだろうか。ただでさえ、気分を高揚させているのに、さらに、興奮し、アドレナリンが吹き出るにちがいない。
 ショウが始まってしまえば、あとは、一気呵成だ。「ゲッタップ・オッファ・ザット・シング」、「コールド・スゥエット」、「リヴィング・イン・アメリカ」と続く。「リヴィング・・・」では、都市名を連呼するところで、「トウキョウ」の名前をいれることを決して忘れない。ミスター・ブラウンは、気遣いの男なのだ。

ACT 3 ● モニター・スピーカーのないステージ

 モニター・スピーカー。

 ところで、舞台中央に、マイクスタンドが立っているが、そこには普通のライヴではよく置かれているモニター用スピーカーがない。一般的には、シンガーやミュージシャンは、まわりが出している音をステージ上ではなかなかうまく聴けない。観客席の方向に向いているスピーカーはハウリングが起こらないように、指向性が強く、ステージ側には音があまり返ってこないようになっているからだ。そこで、ステージ上の、ミュージシャンやシンガーの足下には、それぞれ小さなスピーカーが置かれているのが普通だ。そのモニターからでてくる音で、全体的な音を把握して、自分の音を出したり歌ったりする。特にシンガーは、バックの音が聴き取れないと、なかなかうまく歌えない。ステージでは本当に、バンドの音がよく聴こえない。だが、ミスター・ブラウンは、そのモニター・スピーカーを使っていなかった。今のミュージシャンやシンガーには考えられないことだろう。30年以上やっていて、ライヴに生きているミスター・ブラウンならではのことだ。その経験とおそらく絶対音感に近いものと自信をもっているのだろう。だから、モニターがなくても歌えるにちがいない。モニター・スピーカーのないところに、僕はミスター・ブラウンのライヴに対する計り知れぬ自信をかいま見た。

ACT 4 ● 5パーセント

 単純明快。

 次の日、ミスター・ブラウンは、ホテルの一室にトミー・レイ、マーサ・ハイ、ルーズベルト・ジョンソンとともにいた。「ミスター・ブラウン、あなたはなぜ、モニター・スピーカーを使わないのですか?」と僕は尋ねた。
 「いいか、モニター・スピーカーを置くとな、音が回り込んで、ハウリングを起こす。だから使わない。それにな、曲を知っていれば、そして、曲のフィーリングを知っていれば、そんなものは必要ない! (きっぱり) 昔は、誰もそんなモニター・スピーカーなんか使っていなかったんだ」
 単純明解である。ミスター・ブラウンが、そう言うのであれば、そういうことなのである。
 「僕は、3日連続であなたのショウを見たんですが、今回は、特に感激しました。いつものことですが、あなたは毎日、曲を変えますね」と言った。
 「ははは、だが、君は私たちができることの5パーセントしか見ておらんよ。我々は、実に多くのことができるんだ。2時間半でも、3時間でも、いくらでもできる。来年の1月から、またバンドのリハーサルに入る。もっと、もっと、よくなるぞ」
 ジェームス・ブラウンのインタヴューは、質疑応答というよりも、むしろ、ミスター・ブラウンの独演会になることが多い。のって来ると、話しは止まらず、質問を遮って話しを続ける。
 持って行ったエクスプロージョン誌(当時出していたディスコ情報誌)の表紙にR・ケリーが映っていた。ミスター・ブラウンがそれを見て言う。
 「R・ケリーはオウガスタ出身なんだ。マイ・ホームタウンだ」 僕が「シカゴ出身かと思っていました」というと、「オウガスタなんだよ。(註、ミスター・ブラウンがケリーをなぜオウガスタ出身と言ったかは不明。実際はシカゴ生まれ) 私みたいな人間が、オウガスタのような小さな街から出て来ると、その街はそのことで知られるようになる。オウガスタには、マスターズがある。ゴルフのトーナメントだ。タイガー・ウッズが勝った。マイノリティーとしては初めての勝利だった。私は、最高にうれしかったよ。タイガー・ウッズを誇りに思っている。タイガー・ウッズは最高だ。大好きだよ。彼はかつてモハメド・アリがボクシングでやったことを、ゴルフで成し遂げたんだ」
 「音楽ではあなたがそれを成し遂げましたね」とちょっと持ちあげると、室内がどっと沸いた。
 「タイガー・ウッズのことを尊敬しているよ。彼はゴルフを次のもう一歩高い次元に持ちあげている」
 話はどんどん進む。
 「私は、自分が不遇の時も、自分がすべきことをやってきた。いいか、人々は成功を収めた者に嫉妬し、足をひっぱるようになるんだ。私に(過去40年間)起こったことは、すべて、私の成功に起因しているんだ。ひとつだけ確かなことがある。人々は、他人の成功を許そうとしないのだ。しかし、友達ならばそうは思わないだろ。人が上に行けば、誰かが下に引っ張る。成功は嫉妬を生み、嫉妬は憎しみを生むのだ。だが、私はそんなことは気にしないよ。友達は理解してくれるからな」
 ミスター・ブラウンは、友達(フレンド)をことの他重要視する。

ACT 5 ● 司祭

 司祭。

 それにしても、エネルギッシュで、動きに無駄がない。すぐに汗がにじみでる。マイクスタンドをポーンと客席側に倒して、マイク・コードでぱっと引き寄せるおなじみの技も、手慣れたものだ。左右前後に動かす足さばきも完全に現役だ。本当に、彼は65歳なのだろうか。実際は、35歳くらいなのではないか? この若さとエネルギーの秘密は何なのだろう。ますます不思議に思えてくる。(1933年ということは昭和8年生まれ。あなたの両親と同じくらいかもしれない) なぜだ、なぜだ、なぜだ。なぜ、あんなに踊り続けられるのだ? 彼は、かつて「200歳マイナス1年まで生きるんだ」、と言っていた。こういうステージを見ていると、本当に、そのあたりまで長生きしそうな気さえしてくる。
 そして、観客を背にして、ミュージシャン側に向くと、彼はこんどは指揮者さながらになる。両手を広げたり、人差し指で、ミュージシャンに指示を出したり、その一挙手一投足に、バンドが確実に反応していく。その姿は、オーケストラの指揮者というだけでなく、何かのメッセージを伝えるプリーチャー、司祭のように思える。教会では、牧師が説教をし、その一言一言に参加者が「オー、イエー」と言って反応する。いわゆるコール・アンド・レスポンスが成立する。ミスター・ブラウンは、ミュージシャン側を向いたとき、ミュージシャンたちを自由自在に操るコンダクター(指揮者)となり意志疎通をはかり、観客側を向いたとき、観客を司る司祭となる。この瞬間、会場のすべての空気と物体は、ミスター・ブラウンの手中にあるのだ。こんなライヴはミスター・ブラウンのもの以外にない。
 強烈な個性、リーダーシップ、組織をオルガナイズする力。そうした力量が、ミスター・ブラウンはずば抜けている。そして、彼がステージからミュージシャン側に向くとき、そして、観客側に向くとき、ともに証明されている。

ACT 6 ● 秘密のキュー

 密度。

 ミスター・ブラウンのライヴ・ショウで驚くべきは、実は、演奏される曲目が事前にはほとんど決まっていない、ということだ。一曲目から、ジェームス・ブラウン登場のいわゆる「ウォームアップ」までは大体決まっている。そして、ミスター・ブラウンが登場しての一曲目は、「ゲッタップ・オッファ・ザット・シング」だが、それ以降は、その曲が終わるたびに、ミスター・ブラウンがミュージシャンたちに様々なキューで、次の曲の指示を出す。ミュージシャン、コーラス・シンガーたちは、そのキューを決して見逃がしてはならない。そのキューは様々だ。腕の振り方、なにがしかのかけ声、また、歌詞の頭を歌った瞬間にその曲を演奏し始めるというパターンもある。
 例えば、ミスター・ブラウンが「パワー!」と声を上げると、それは「ソウル・パワー」へのキューだ。「1965」と叫ぶと、その瞬間、ギターが響き「パパズ・ガッタ・ア・ブランド・ニュー・バッグ」が始まる。そして、「ビッグ・ストロング・D」というと、「アイ・フィール・グッド」へのキューだ。また、ときには指で数字のサインを送ることもあるという。その数字で曲が決まるわけだ。また、「グッドフット」や「トライ・ミー」、「マンズ・マンズ・ワールド」などは、冒頭の歌詞を歌い始めるとバンドがすぐに演奏を追いかけていく。つまり、歌詞頭がキューになっているのである。
 だが、ミュージシャンも皆人間だ。過ちを犯すこともあるだろう。どうなるか。トランペット奏者でソウル・ジェネラルのメンバーになって約6年のホリー・ファリスが説明する。彼は右手を広げて、「もし間違えると、ミスター・ブラウンがそのミュージシャンに向かってこうするんだ。つまり、罰金5ドルということだ。二度間違えれば10ドル。どんどん増えて行くわけだ。え、僕の一晩での最高かい? 25ドルかな。ははは」
 それだから、ミュージシャンは常にミスター・ブラウンを凝視し、次のキューを決して見逃さないようにする。緊張感があふれるのだ。もちろん、罰金は結果的についてくるものだが、ソウル・ジェネラルが、そうしたライヴ・バンドとして緊張感を持続する秘密のひとつはそのあたりにある。
 それにしても、そうした多くのキューだけで、次々とメドレーが演奏されるその様はまさに奇跡である。見ている者は、それが即興で、その瞬間に曲が決まったことなど知る由もない。これはまさにライヴ・バンド歴40年を数えるミスター・ブラウンのライヴ芸術の粋を凝縮した「神業」といってもいい。
 ミスター・ブラウンのライヴをもし「オールディーズのライヴ・ショウ」などと思ったら大間違いだ。完全に現役のショウであり、今現在のライヴ・ショウだ。そして、そのショウには、お金と、知恵と、経験と、なによりも、40年以上のステージ上での歴史が凝縮されている。これほど、密度の濃いライヴ・ショウは、他にない。

ACT 7 ● ソウルがあるシンガー

 ブラック・シンガー。

 ジェームス・ブラウンが一気にしゃべると、「どうも、私ばかりしゃべりすぎたな。彼らにも訊いてやってくれ」と言って、ミスター・ブラウンの横に座っているミス・トミー・レイへ質問するように僕に促した。
 「このミスター・ブラウンのファミリーにはいったいきさつは?」
 「今年初め、友達のビタースイート(ジェームス・ブラウンのバック・コーラス・グループ)のメンバーが、ビタースイートのオーディションがあるけど来ないか、と誘ってくれたの。で、そこに行くと、ミスター・ブラウンがいて、私はジャニス・ジョプリンの歌をアカペラで歌った。すると、ミスター・ブラウンが気に入ってくれて、私にレコードを作るチャンスを与えてくれたというわけ。今年(1998年)の2月8日のことよ。それまでも、私はずっと歌ってきて、マーヴェリック・レコード(マドンナが持つレーベル)からレコードを出したこともあるんだけど、全然成功しなかった。理由はわからないけれど、誰もチャンスを与えてくれなかった。一時期、歌手をやめようとも思ったわ。でも、そんなとき、ミスター・ブラウンが私にチャンスを与えてくれたの」
 ミスター・ブラウンが割って入る。「最初はな、ビタースイートのオーディションで来たんだが、彼女の声を聴いたら、グループにはフィットしないことがわかった。とても、ディープな声をしている。そこで、ソロのプロジェクトでやることにしたんだ」
 こうして、彼女の曲はミスター・ブラウンの最新作『アイム・バック』に日本盤のボーナス・トラックとして入っている。来日も今回が初めてだ。
 ステージでも、少しだけアカペラで歌うが、その迫力はなかなかのものだった。僕は「最初にCDに入っている『トライ』を聴いたとき、あなたはブラック・シンガーだと思いました」と言った。すると、ミスター・ブラウンらみんなが大笑いになった。そして、「彼女にはソウルがあるからな」とミスター・ブラウンが言った。

ACT 8 ● マジックのソロ

 マジック。

 今年のライヴで、もうひとり初めて登場したのが、ショウ半ばにでてきたロジャー・ウィンブッシュという名のマジシャンだ。(3日目だけ、最後に登場) この一年ほど、ジェームス・ブラウン・レヴューに参加している、という。彼が簡単なテーブル・マジックを見せる。新聞紙を使ったマジック、ステッキをハンカチに変えてしまうマジックなどが披露される。マジックとしては決して大がかりなものではなく、子供騙しのようなものだ。だが、自分の歌と踊りだけでなく、レヴューのシンガー、ダンサー、ミュージシャンのソロなどを交えて、つねに観客を飽きさせないエンタテインメント・ショウを作る、その一環にマジック・ショウまでいれてしまったのだからおそれいる。サーヴィス精神旺盛のミスター・ブラウンならではだ。
 ウィンブッシュは、「ミュージシャンたちがサックスとか、ギターとかベースのソロのパートを演じるだろ。僕の出番もそんな風に考えているんだ。マジックのソロだ」と言う。ミスター・ブラウンは、手品の種を教えてくれ、と言ってこないかと尋ねた。
 「こないよ。ミスター・ブラウンは、マジックを楽しんでいるようだ」
 「では、もし彼が教えないとクビにするぞ、と言ったら?」
 「ははは、やはり教えないよ!」
ウィンブッシュは、アトランタを本拠とするプロのマジシャン歴約15年。ダグ・ヘニングのマジックをテレビで見て、マジシャンになりたいと思った、という。そして、本などを読み、独学でマジックを習得した。約一年前、ジェームス・ブラウンのマネージャーが彼をコンヴェンションで見て、ミスター・ブラウンに引き合わせた。そして、彼の目の前で、いくつかマジックを見せたところ、ミスター・ブラウンが気に入ってくれ、その場で契約書にサインした。前回(1997年11月)のミスター・ブラウンの来日時には、すでにブラウン・ファミリーに入っていたが、パスポートが間にあわず来日できなかったという。
 ミスター・ブラウンが言う「ショウはどんどんよくなっていく」とは、こうしたことも含めてのことだ。

ACT 9 ● バラード4曲メドレー

 バラード。

 3日目(9日)は、ミスター・ブラウンはのりにのっていた。日本最終公演ということもあったのだろうか。アップ・テンポのインスト曲「ブルーズ・ウォーク」、「アイヴ・ガット・ユー」のあと、いつも通り、バラードの「トライ・ミー」を歌いだすと、続いて「ロスト・サマー」を歌う。バラードを2曲続けるのは珍しい。すると、さらに「アイヴ・ガット・ファウンド・サムワン」、「ジョージア・オン・マイ・マインド」と何と4曲もバラードを連続して歌うではないか。よほど、歌いたい気分だったのだろう。こんな4曲連続バラードは初めての経験だった。
 しかも、それに続いては「ソウル・パワー」と「ソウル・マン」をメドレーにして、(マネージャーでもある、愛称RJ)ルーズベルト・ジョンソンとの強烈なツイン・ダンスまで披露する。その踊りが、ふたりで踊ることもあってすごい。雷に打たれたように、まさに、エレクトリファイングという形容がぴったりするようなダンスだ。それは、何か、きっと神かなにかに乗り移られたようにさえ見えた。

ACT 10 ● ティアーズの夜

 (1998年12月)9日深夜2時。六本木のソウル・バー、「ティアーズ」。ジェームス・ブラウンのバンド、ソウル・ジェネラルのメンバーやスタッフたちが集まっている。白人で大柄な、かなりおなかのでているジェフ・ワトキンスと、ブラックでボールド・ヘアのウォルド・ウエザースは、自分のサックスを持ってきている。ハウスDJが、1970年代のソウル・ヒットを次々とかける。ハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツ、オージェイズ、フォー・トップス、テンプス、そして、もちろん、ジェームス・ブラウン、JBズのヒットの数々。みんな我を忘れて踊り、話し、パーティーを楽しんでいる。モータウンのヒットでは、台の上に上り、レコードに合わせて振りをつけ口ぱくで歌う。テンプスやフォー・トップスの振りをそっくり真似るのがじつにうまい。心底から音楽を楽しむ姿を見て、彼らにとって、音楽が本当に生活の一部になっているのだなということを改めて痛感した。
 「ソウル・パワー」がかかった。すると、ジェフとウォルドが、レコードにあわせてサックスを吹きだした。大きなスピーカーから流れて来るサックスと、ジェフとウォルドがその場で生でプレイするサックスが微妙なハーモニーをかなでる。タンバリンを叩くものもいる。ティアーズが、ジェームス・ブラウン・ハウスになった瞬間だ。ジェフたちは、心から演奏するのが好き、という感じがひしひしと伝わってくる。「セックス・マシーン」では、レコードと寸分と違わない演奏を聴かせた。
 ソウル・ジェネラルの中では、最古参でJBズ時代からのベース奏者、フレッド・トーマスとミスター・ブラウンの司会者として35年以上しゃべり続けているダニー・レイがやってきた。フレッドは、大の日本酒好きで、ティアーズのママに日本酒を注文したが、置いてないので、ご機嫌ななめだ。それでも、強いブランデーを飲み、にこにこ酔っ払っている。フレッドとダニーは、お互い長くミスター・ブラウンの元で仕事をしているだけに、いつも外にでかけるときは一緒だ。ふたりは、ジョークを言い合い、ちょっとしたボケとツッコミの漫才コンビさながらだ。
 ダニー・レイが、DJブースのところに行って、マイクを握り話し始めた。その声は、ジェームス・ブラウン・ショウのMC(司会)のときとまったく変わらない。彼がひとたび口を開けば、そこはジェームス・ブラウン・ショウの会場になってしまう。文字どおり、ジェームス・ブラウン・ショウのもうひとりの司祭だ。彼がしゃべった後、「ドゥーイン・イット・トゥ・デス」がかかる。そのイントロは、ダニーのMCから始まる。レコードの声の方が少し若かった。それもそのはず、これがレコーディングされてからもう25年以上もの月日が流れているのだ。ブラウン・ショウの歴史が感じられる一瞬でもあった。
 ティアーズの夜は、大騒ぎのうちに更けていく。

ACT 11 ● アンコール

 熱狂。

 「ソウル・マン」が終わり、ミスター・ブラウンが「アイ・ウォナ・ゲッタップ・アンド・ドゥー・マイ・シング、アイ・ウォナ・ライク・ア、ライク・ア・・・」と叫ぶと、観客には次の曲がもうわかる。「ライク・ア、ライク・ア・・・」と言ったあと、やにわにマイクをつかむと、「セックス・マシーン」といって、15分に及ぶロング・ヴァージョンの「セックス・マシーン」が始まった。ミュージシャン全員が、ありったけの力を振り絞って、持ち場の楽器を演奏する。ミスター・ブラウンの、そして、ミュージシャン、コーラスの人々の額に汗が光る。15分間の熱狂だ。まさに、ブリッツがニューヨークのアポロ・シアターに変身する瞬間でもある。そして、それが終わると、ミスター・ブラウンは何事もなかったかのようにステージの袖に戻ってくる。一見、息など上がっていないようだ。すぐにお付きの者が白いタオルを渡す。
 だが、この日はミュージシャンやビタースイートたちも、袖で待っている。普段はアンコールをやらない。「アンコールをやるのだろうか」 みんなが不安そうに顔を見あわせる。会場からは、拍手と「ジェームス・ブラウン、ジェームス・ブラウン」の声が響く。それに答えるように、ミスター・ブラウンが「ジャム」を指示し全員ステージに戻った。この「ジャム」では、珍しくミスター・ブラウンはドラム・ソロまで見せた。そして、およそ、10分「ジャム」が続いた。
 そして、その「ジャム」を終えると、最高に上機嫌で、舞台の袖でも「サンキュー」と言い続けながら、楽屋へ消えていった。
 会場からは、再び、拍手と「ジェームス・ブラウン! ジェームス・ブラウン!」の連呼が聞こえ始めた。だが、まもなく、会場の照明が点灯した。
 興奮の夜の幕が下りた。
 ミュージシャンやスタッフらが戻り、再び、楽屋の廊下に、慌ただしさと喧騒が戻った。

おわり
(1998年12月・記)

追記:

ジェームス・ブラウンは、2006年12月25日、73歳で死去。トミー・レイはその後、ジェームス・ブラウンと2001年結婚、2006年離婚。マジシャンのウィンブッシュはその後、ツアーには帯同しなかった。ルーズベルト・ジョンソンはミスター・ブラウン・トリビュート・ライヴ・バンドで来日した。ダニー・レイは、ミスター・ブラウン逝去後、2014年9月ジャズ・ベース奏者、クリスチャン・マクブライドのビッグバンド・ショーのMCとして来日。六本木「ティアーズ」は、現在は逗子に移転し営業中。サックスのジェフ・ワトキンスとトランペットのホリー・ハリスは2007年4月のジョス・ストーンのバンド・メンバーとして来日し、再びティアーズに足を運んだ。2014年全米公開のジェームス・ブラウンの伝記映画『ゲット・オン・アップ(邦題:ジェームス・ブラウン~最高の魂(ソウル)を持つ男~)』2015年5月日本公開。

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(佐藤潔さんのメモ) いや~、素晴しいレポートでした。これをカットしてしまうFM FANは、なんて思ったのですが、吉岡さんからは「短くても出ないより出たほうがいいわけで」とたしなめられてしまいました(^^;)。J-WAVEへの生出演、「笑っていいとも」への出演、タワーでのサイン会等、ライヴ前には非常に盛り上がりを見せた割にはその後のフォローアップとしての音楽関係のマスメディアへの露出が非常に少なかった今回のJBのライヴ。彼等はJBのライヴをオールディーズだと思っているのでしょうか。この吉岡さんのレポートは、文中でも書かれている通り、それに対するカウンターパンチでもあったのではないかと思います。

ARCHIVE>Brown, James>Live

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