〇 ジョン・アスリー死去~フィラデルフィアのアレンジャー
〇 ジョン・アスリー死去~フィラデルフィアのアレンジャー
【John Usry Dies At】
訃報。
ジョン・アスリー Johnny Usry 2023年5月29日までに死去。74歳とみられる。ニュージャージー在住。1948年12月29日生まれ。親しい友人らがSNSに投稿した。
https://x.gd/vI0Eg
フィラデルフィアのシグマ・サウンドなどに出入りするようになり、シグマを中心にアレンジの仕事などに携わるようになり、1975年頃、スリー・ディグリーズのバンドでカナダ・トロントに出向いたとき、同地のレコード会社からディスコ・アルバムを作らないかと誘われ、同地のミュージシャンを起用し制作。
これが、ストラタヴァリアス名義でカナダで発売後、米ルーレットから76年発売された。
アスリーは、しばらくカナダに居住していたこともあるようだ。
ここからディスコ・ヒットが誕生。アルバムからの「アイ・ガット・ユア・ラヴ」がディスコ・チャートで36位を記録した。
当時は、MFSBを始め、ジョン・デイヴィス・オーケストラ、リッチー・ファミリーなどのオーケストラでディスコをやるものが大変なブームになっており、これもそうした流れの中ででた一枚。
その後、1970年代中期からフィラデルフィアのシグマ・サウンド・スタジオで仕事をするようになり、ラヴ・コミティー、オージェイズ、テディー・ペンダグラス、アンソニー・ホワイトなどの作品にかかわっている。テディー・ペンダグラスの「ドゥ・ミー」も彼のアレンジ。これは、日本ではドリフターズの志村けんが「ひげダンス」として使用。お茶の間で大ヒットとなった。
しかしその後シグマ/フィラデルフィア・インターなどで仕事をするも、恵まれず、一時期はホームレスにもなったという。2009年の映画『プレシャス』のサントラに、1979年 フィラデルフィア・インターナショナル・レコーズ(PIR)から出したジーン・カーンのWas That All It Wasが起用された。
彼はしっかり譜面がかけるため、アレンジャーとしての仕事がコンスタントにできた。
長く、CD化されていなかったストラトヴァリアスのアルバムが、2021年1月日本の @tgroovemusic の尽力で世界初CD化された。このストラトヴァリアスのアルバムは、オーケストラによるディスコ作品で、フィラデルフィアのMFSBを模して、カナダで作った。
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ストラタヴァリアス〔ボーナストラック8曲収録/国内プレス盤/日本語解説付き/CDSOL-1948
ストラタヴァリアス 形式: CD
5.0 5つ星のうち5.0 2個の評価
¥2,108 税込 2021/1/27
このCDは、これが世界初CD化で、本人も大変喜んでいたという。
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