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佐藤剛さん、71歳で死去~音楽プロデューサー、作家 THE BOOM、由紀さおり&ピンク・マルティーニ他、著作『ムーンウォーク』『上を向いて歩こう』他多数

佐藤剛さん、71歳で死去~音楽プロデューサー、作家 THE BOOM、由紀さおり&ピンク・マルティーニ他、著作『ムーンウォーク』『上を向いて歩こう』他多数
 
【Producer, Author Go Sato Dies At 71 : Producer for Music And Books】
 
訃報。
 
佐藤剛さん。Go Sato 音楽プロデューサー、作家。2023年6月20日、都内で死去。71歳。しばらく体調を崩し闘病していた。複数の関係者に連絡が入った。1952年1月21日岩手県盛岡出身、仙台育ち。1974年、音楽業界誌「ミュージック・ラボ」、その後新興音楽出版社で甲斐バンドをヒットさせ、1982年、自身の会社ファイブディーを設立。THE BOOM(ザ・ブーム)、ヒートウェイブ、小野リサ、スーパー・バター・ドッグなど多数のアーティストをプロデュース。
 
日本の音楽シーンで、まずアーティストのマインド、やりたいことなどを尊重し、アートとして完成しつつも、商業的に売れることにも心血を注いだ稀有なプロデューサー。また、2011年、由紀さおりとアメリカのジャズ・グループ、ピンク・マルティーニが共同制作した『1969』が世界的な話題になった。近年ではリトル・グリー・モンスターなどにも助言を与えていた。
 
一方、1988年、マイケル・ジャクソン自伝『ムーンウォーク』で初の出版プロデュース。訳者に田中康夫氏を抜擢し、成功を収めた。2011年、佐藤剛著ノンフィクション書籍『上を向いて歩こう』(岩波書店)上梓。これは、坂本九の同曲がいかに全米1位になったかなど徹底取材で明らかにし、2013年同曲をめぐる『上を向いて歩こう』展示会も行った。2017年、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」 : 天才たちはいかにして出会ったのか 』(文藝春秋)上梓。2022年3月、NHK Eテレの『星野源のおんがくこうろん』~中村八大の回で、「ゴウかいせついん」として声の出演もしていた。
 
音楽をプロデュースし、音楽について執筆するまさに二刀流だった。また音楽業界が激変する中で、著作権、原盤権、音楽出版などについても一家言あり、特に最近の配信についても積極的に意見を発信していた。また日本の音楽を世界に発信することにも注力していた。
 
レコード/CD作品プロデュース、原稿執筆・出版書籍など多数。(詳細後送) 葬儀は家族葬ですませ、後日、お別れの会などが企画されそうだ。
 
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思い出。
 
佐藤剛さんとの最初の接点は、彼が出版プロデュースを手掛けた最初の書籍、マイケル・ジャクソンの自伝『ムーンウォーク』(1988年11月1日発売、CBSソニー出版)のお手伝いをしたとき。たぶん、その年の8月か9月くらいに、「こんどマイケルの自伝を出すので、その訳や事実関係などをチェックしてほしい」といった話だったと思う。もちろん、この本はすでに同年4月にアメリカ版がでていたので、ふたつ返事で引き受けた。しかも、このときに翻訳を田中康夫さんがやるというので、度肝を抜かれた。「これは話題になりそう」と思ったものだ。田中さんとは、『なんとなく、クリスタル』以後、個人的に知り合いになっていたので、おもしろいところで、仕事がご一緒できるなあ、と思った。田中さんのあとがきにも僕の名前を出していただいた。
 
この本は見事にベストセラーとなり、その後2009年11月、2019年5月と再度新装発売された。
 
その後、剛さんは「スキヤキ~上を向いて歩こう」について徹底リサーチして、一冊の本にまとめる。その過程で、テイスト・オブ・ハニーの「スキヤキ」や、その頃のアメリカのブラック・ミュージックの事情について教えて欲しい、ということでいろいろお話をしたが、そのときに、「スキヤキ」のプロデューサー、ジョージ・デュークはよく来日しているので、インタヴューされたらどうでしょうと提案し、2012年3月の来日時にインタヴューをセッティングした。もちろん、そのインタヴューの内容は著作の中に反映している。
 
さらにその後、湯川れい子さんとともに高山広さんの一人芝居(『ルーサー物語』と『アレサ物語』を2018年9月にご覧いただき、大変気に入っていただき、彼がプロデュースしていた「せたがや音楽プロジェクト」の一(いち)出し物として2019年2月、成城ホールにかけることに尽力いただいた。たぶん、今となっては直接お会いしたのはこのときが最後かもしれない。
 
その後、高山さんの『マイケル・ジャクソン終わらないDの物語』を2019年6月、没後10周年で目黒ブルース・アレイで敢行したときに、お誘いしたが、何かの都合で来られなかった。以後、メールのやりとりなどはあったが、ツイートなどは拝見していた。
 
しかし、2023年5月29日の結果的に最後のツイートとなったこの文字が、今となっては胸に刺さる。
 
「生きている喜びを感じる」
 
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昨日(2023年6月25日)都内斎場で行われた家族葬に田中康夫さん、松尾潔さんのご尽力で参列することができた。安らかに眠られていた。




 
音楽と映画と本が大好きだった佐藤剛さん。そしてそれを半世紀以上、仕事とされた佐藤剛さん。残された音源、著作は、永遠に残ります。
 
剛さんが自身の会社「ファイブディー」を設立して、最初にてがけた仕事がマイケル・ジャクソンの『ムーンウォーク』だったという。そして、この葬儀の日(6月25日)は奇しくもマイケルの命日でもあった。5つのDは、たとえば、ドリーム、デザインなどのDだったという。高山広さんのマイケルの一人芝居の主人公『ミスターD』も、そのDの意味がディスティニーからドリームに変わっていく。この日、高山さんはマイケルの一人芝居を演じていたが、ファイブディーの佐藤剛さんにも捧げたそうだ。
 
剛さん、天国でゆっくり思う存分読書をして、音楽を聴き、映画を見てください。
 
 

 (『スキヤキ~上を向いて歩こう』展にて、2013年4月)

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OBITUARY>Sato, Go (January 21, 1952 – June 20, 2023, 71 year old)

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