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〇 ピー・ウィ・エリス・インタヴュー~ジェームス・ブラウンの片腕~「セイ・イット・ラウド~」共作者


(本作・本文は約4000字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字換算すると、8分から4分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと13分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴きますと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください)

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〇ピー・ウィ・エリス・インタヴュー~ジェームス・ブラウンの片腕~「セイ・イット・ラウド~」共作者

【Pee Wee Ellis Interview: C0-writer of "Say It Loud I'm Black And I'm Proud",  "Cold Sweat", "Chicken"】

インタヴュー。

ワシントンDC在住の翻訳家押野素子さんが教えてくれたジェームス・ブラウンの一時期片腕だったピー・ウィ・エリスのインタヴュー。これと、過去の「ソウル・サーチン・ブログ」でのピー・ウィの記事などをまとめてみた。

ブログ ピー・ウィ・エリス 本人 Pee_Wee_Ellis

(ピー・ウィ・エリス)

イギリスのインディペンデント紙のウェッブサイトに出たもの。2020年6月17日付け。

https://bit.ly/2ZdOMg8

https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/music/features/pee-wee-ellis-jazz-musician-saxophonist-slavery-james-brown-van-morrison-a9567176.html

昨今の「ブラック・ライヴズ・マター」の盛り上がりの中で、ジェームス・ブラウンの1968年のヒット「セイ・イット・ラウド、アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウド」が爆発的にストリーミング再生されているそうだ。一説によると1万5千パーセント以上の上昇ぶりとか。(100%増で2倍なので、1万パーセント以上って何倍になるのかw) 「セイ・イット・ラウド~」は、「自分が黒人であることを声高に言い、それを誇りに思おう」という、まさに「ブラック・ライヴズ・マター」に沿った象徴的な作品。当時は公民権運動の盛り上がりが大変すごく、「ソウル・パワー」の掛け声のもと「ブラック・パワー」を誇示することが一般的になっていた。

「セイ・イット・ラウド~」は、1968年4月マーティン・ルーサー・キング牧師がメンフィスで暗殺された後、いつものようにツアー・バスの中で基本的なリズムパターンを作った。その後、ミスター・ブラウンが歌詞をつけて完成。8月7日にロスで録音。そのときは地元ワッツ地区の貧しい家庭の子供たちを30人ほどスタジオに集めてコーラスを録音した。1人に10ドル払ったという。

ピー・ウィが16歳のとき、ニューヨークの楽器店でばったり会ったソニー・ロリンズにレッスンを申し込むと快諾。毎週水曜飛行機代55ドルをかけてニューヨークの北部の街まで通った。その頃、ピー・ウィはバンド仕事で週に90ドルほど収入があったので通えた。ソニーはそれほどギャラは取らなかったという。

ブログ ピー・ウィ・エリス ソニー・ロリンズ

(ソニー・ロリンズ)

1955年、当時住んでいたテキサス州ルボックでは人種隔離が当たり前だった。ダンスホールで義理の父が白人女性からダンスを申し込まれ踊ると、それを見た白人から刺された。地元の病院が彼が黒人であることから治療を拒否、彼は死亡、長く心のトラウマに。当時の黒人差別の話のひとつだ。以来、ピー・ウィ本人は静かで平和なところに住みたいという気持ちが芽生えたという。イギリスの穏やかな街に30年以上住んでいるのもそうしたせいかもしれない。

ブログ ピー・ウィ・エリス ルボック。テキサス

1965年、ジェームス・ブラウンと出会い、彼のバンドに加入。ピー・ウィ・エリスとジェームス・ブラウンは26曲、共作したという。最初の大成功は「コールド・スゥエット」。


また、このところ、回顧録(自伝)を書き始めているという。最近ではボブ・ディラン、アート・ガーファンクル、ビル・ウィザースのライヴ・アルバムなどを聴いているという。

■ピー・ウィ・エリス過去関連記事(ライヴ評など)

ピー・ウィ・エリス、2月に急遽来日~「コールド・スウェット」「チキン」作者
2016年01月29日(金)


https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-12120506193.html

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「ソウル・サーチン・レイディオ」第15回~ピー・ウィ・エリスの魅力
2013年07月10日(水)
https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11569411957.html

「フィーチャード・アーティスト」は元ジェームス・ブラウン・バンドのサックス奏者、アレンジャーでもあるピー・ウィ・エリス。

「チキン」について。

「『チキン』は、フィラデルフィアからサンフランシスコに向かうジェームス・ブラウンのツアー・バスの中でできたんだよ。僕はかつてジェームス・ブラウンのバスで、けっこうたくさん曲を書いていたんでね。バンドのメンバーとはいつも一緒のバスで移動していたんで、いつも練習ができた。バスが目的地に着いたら、みんなでレコーディングした、というわけだ」

さらに「コールド・スウェット」について。

「『コールド・スウェット』もニューヨークからオハイオ州シンシナティーに向かうジェームス・ブラウンのツアー・バスでできた。そのとき僕は、(マイルス・デイヴィスの)『ソー・ホワット』を聞いていた。だから、『コールド・スウェット』を作曲したとき、頭のどこかに『ソー・ホワット』があったんだ。そうやってできあがった」

ピー・ウィは体は大きいが、顔は小さい。(笑)

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ピー・ウィ・エリス・ライヴ~ジェームス・ブラウン・ファミリー卒業生
2013年07月08日(月)


https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11568214846.html 


ピー・ウィ・エリス・ファンク・アセンブリー~若さと老練さのクロスオーヴァー
2012年04月12日(木)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11220350101.html

バンド全体としてはかなりまったりしたバンドで、特段何がうまいとかではなく、抜群のテクを見せたりはしないで、一本背骨が通った感じはしないのだが、たとえば、エレクトリック・エンパイアーやベン・ロンクル・ソウルのようなバンドなら日本人でも出来そうに思うが、このバンドは日本人では到底できない、そういう独特のミュージシャンの雰囲気、間、黒さを持っている。安いバンドなんだが(褒め言葉です)、日本人には出せないものがあるのだ。何なのだろう。

もう一点、バンド・リーダー、ピー・ウィは70歳だが、ドラマーなどまだ若いはず。30代か。そのためか、若さのあまりけっこうがんばってちゃって、走る走る。そういう意味で、若さと老練さのクロスオーヴァーも見所ではあった。

統率力。

メイシオにせよ、フレッド・ウェスリーにせよ、このピー・ウィにせよ、そのライヴを見ると、やはり、ジェームス・ブラウンというアーティスト、人物のバンド統率力の卓越ぶりが如実に感じられる。みな、サイド・ミュージシャンとしてものすごくいい味を出すのは、ジェームス・ブラウンという、その才能を引っ張りだすのがめちゃくちゃ優れた人物がいるからなのだな、とつくづく感じる。

ピー・ウィの曲間のトークは、南部訛りのせいか、年(現在70歳、1941年4月21日生まれ。まもなく71歳)のせいか、なかなか聴き取りにくいが、「コールド・スウェット」のところでこんな昔話をした。

「1960年代のある日、アポロ・シアターにジェームス・ブラウンと10日間連続で出たことがあった。一日3ショーやってね。そのとき、ジェームス・ブラウンがグルーヴ・メイカーを思いついた。『ヘイ、ヘイ、フィール・オールライト! ワンタイム! アッ~』というやつだ。トゥ・タイムだと、アー、アー、だ。あれ以来、これが定番になった」 当時は一日3ショーというのが、当たり前とは言え、やはりすごい。

ジェームス・ブラウンの定番曲はさすがに盛り上がるが、ピー・ウィが書いた「チキン」は、ジャコの演奏などでも知られ、ジャズ・ミュージシャンたちの超定番になり、これも観客から受けていた。

やはり、ピー・ウィやメイシオ、フレッドらのライヴを見ていると、ジェームス・ブラウンへの思いが募るものだ。

ブログ ピー・ウィ・エリス ジェームス・ブラウン また割

(ジェームス・ブラウン)

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ファンク・オール・スターズ・ライヴ~事前セットリストなしのライヴ
2008年05月24日(土) (ドクター・ロニー・スミスがリーダーのライヴ)
http://ameblo.jp/soulsearchin/entry-10099570917.html

ブログ ピー・ウィ・エリス  Dr. Lonnie Smith

(ドクター・ロニー・スミス)

5人のミュージシャンとしてのレベルには驚かされた。何がどうきても、なんなく対応する。まるで、その様は「こんなの朝飯前だよ」という感じだ。プロ野球の選手が、難しいフライやゴロを簡単に捕って裁くのと同じだ。プロたちは何事も一見、「簡単に」見せるのだ。

そこでこの夜飛び出したのは、ジャジーなラウンジ風作品。1曲目はフレディー・ハバードの「リトル・サンフラワー」、スロー・ジャムで各メンバーにソロをまわし、30分近くやった。途中で、この日のセットは3曲だけか、とさえ思ってしまったほど。(笑) 続いて、ジェームス・ブラウンの「コールド・スウェット」のような曲、これが唯一、のりのりのファンク系作品だった。

一言でまとめれば、優れたジャズミュージシャンが、それぞれの持ち場で一流のライヴ・パフォーマンスを見せたジャズ・ライヴといったところか。このあたりが、ちょっと想定外。ギターのロニーは、メイシオの盟友だけあって、かつてのジミー・ノーランを思わせるファンクさいっぱいだった。

セットリスト、まったくわからなかったので、ライヴ後にでてきたマイ・フレンド、フレッド・ウェスリーに尋ねたら、親切に思い出してくれた。「2曲目はどんな曲だったっけ?」 「ちょっと、『コールド・スゥエット』に似た感じ(Like a “Cold Sweat”)の曲でした」 「じゃあ、『ライク・ア・コールド・スゥエット』だ」(笑) 「そうだな、『ホット・スゥエット』てとこだな」。すると、ギターのロニーが「それは、『オレンジ・ピール』だよ」と助け舟。ちなみに、ステージで紹介されたIdris の発音は、「イードリス(・モハメド)」だそうだ。

「セットリストは、事前にわからないんですね」と聞くと、「知らないよ。今でも(ライヴ後も)知らない。ワハハハ。曲は全部、ドクターが決めるからね」とフレッドは答えた。ということは、明日はまたまったく違うセットリストになるのかもしれない。

ブログ ピー・ウィ・エリス フレッド・ウェスリー

(フレッド・ウェスリー)

というわけで、フレッド先生から教わった楽曲とセットリストを元に、そのオリジナル・アルバムなどを調べてみました。下記セットリストをごらんあれ。なんと、一番古いのは1932年作品、新しくて1969年なんですね。このあたり、ジャズ・マニアにとってはスタンダードということで、「常識」というか「基礎教養」のようです。勉強になる~~。


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