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●ロバート・フォード・ジュニア、70歳で死去~ヒップホップをごく初期に紹介、レコード制作にも関与


ロバート・フォード・ジュニア、70歳で死去~ヒップホップをごく初期に紹介、レコード制作にも関与


(本作・本文は約2800字。「黙読」ゆっくり1分500字、「速読」1分1000字換算すると、6分から3分。いわゆる「音読」(アナウンサー1分300字)だと9分くらいの至福のひと時です。ただしリンク記事を読んだり、音源などを聴きますと、もう少しさらに長いお時間楽しめます。お楽しみください)

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●ロバート・フォード・ジュニア、70歳で死去~ヒップ・ホップ黎明期に活躍

【Robert Ford Jr. Dies At 70】

訃報。

ヒップ・ホップ黎明期に業界で初めてヒップ・ホップの紹介をし、その後、ヒップ・ホップ・レコードの制作に関与するようになったロバート・フォード・ジュニアが2020年5月19日、いくつかの疾患のためにブルックリンで死去した。70歳だった。愛称は「ロッキー」。

ブログ ロバートフォード ラリースミス、JBムーア、ロバート3人

(左から故ラリー・スミス、JBムーア、故ロバート・フォード・ジュニア)

ビルボード誌の音楽エディターとして活躍、その中で大きな動きとなりだしたヒップ・ホップの記事をいち早く掲載。さらに、1979年、カーティス・ブロウの実質デビューにかかわり、1980年「ザ・ブレイクス」が大ヒット。以後、カーティス・ブロウとマネージャーともなるラッセル・シモンズ、その弟ジョセフ・シモンズ、のちのランDMCのメンバーらとつながりを持ち、初期ヒップ・ホップの隆盛に大きな力を寄与した。

評伝。

ロバート・フォード・ジュニアは、1949年(昭和24年)6月30日ニューヨーク・ハーレム生まれ。父はキカーズ・アイランドのレストランでシェフをしていたという。高校卒業後、キーンズボロー・コミュニティー・カレッジに。その頃、一時期俳優やスタンダップ・コメディアンを目指したこともあるという。一方、在学中からフォーブス誌でアルバイトなどをしつつ、1973年、ビルボード誌に入社。

雑用の他に記事やコラムを書くようになり、1978年7月1日付けビルボード誌で当時盛り上がり始めたヒップ・ホップの動きを取材。DJクール・ハークや、パーティーを仕切っている人たち、MC(当時はまだラッパーとは言わなかった)たちなどに取材。「“B-Beats Bombarding Bronx: Mobile DJ Starts Something With Oldie R&B Disks,”」という記事を書いた。これはメインストリームの出版物で初めてヒップ・ホップについて書かれた記事とされる。

ちょうどこの頃、路上で自分たちのイヴェントのポスターを貼っていたジョセフ・シモンズと出会い、ジョセフの兄ラッセルに自分の名刺を渡すよう授けた。ジョセフたちは自分たちのバンド、ランDMCのパーティーのポスターを貼っていた。

ブログ ロバートフォード訃報 ランDMC

(ランDMC=左からジェイソン・マイゼル=DJ、ダリル・マクダニエルス=ラッパー、ジョセフ・シモンズ=ラッパー)

こうして知り合ったラッセル・シモンズとはその後親しくなり、ラッセルの弟ジョセフを含むランDMCやラッセルが売り出そうとしていたカーティス・ブロウらともつきあいが広がった。この頃からR&B関連のコラムを毎週執筆。

ブログ ロバートフォード訃報 ラッセルシモンズ

(ラッセル・シモンズ)

1979年5月には「“Jive Talking N.Y. DJs Rapping Away in Black Discos,”」という記事を書き、ここでDJハリウッド、カーティス・ブロウ、エディー・チーバ、ラヴバッグ・スタスキーなどの人気ぶりを紹介した。

ロバートは、ビルボードにも寄稿していたジェームス・ビッグス・ムーア(J.B.ムーア)とともにカーティス・ブロウのデビューに力を貸し、1979年「クリスマス・ラッピン」のラップ部分を手伝った。ところがこの「クリスマス・ラッピン」、当初20社以上にリリースを断られ、最後にメジャーのマーキュリーがなんとか拾う形で単発契約でリリース。これがニューヨークの人気DJフランキー・クロッカーに気に入られ、プレイされたところ、大いに話題になった。

さらにこの後、「ザ・ブレイクス」を制作。これが1980年に大ヒットし、初のゴールド・ディスク12インチになった。(これより先にリリースされたシュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・デライト」のゴールド認定はその後) この大ヒットで、カーティス・ブロウはメジャー・レーベル初のラップ・アーティストとしての契約をものにした。ちょうど今年はその「ザ・ブレイクス」リリース40周年となった。

これらの大ヒットを受けて、ロバード・フォードはビルボードを辞め、ラッセルらとともにヒップ・ホップ・アーティストのマネージメント、制作などに進む。

ロバートはJBムーアとともにカーティス・ブロウのアルバム5枚にプロデュースなどで関与。ヒップ・ホップ・プロデューサーとして、またマネージメントとしても評価を確立した。

ブログ ロバートフォード訃報 カーティスブロウ ブレイクス ジャケ写

(カーティス・ブロウ=ファースト・アルバム)

カーティス・ブロウは、彼の人生にもっとも影響を与えた人物としてロバード・フォードをあげる。それまでシャイだった彼が人前でラップをする勇気を与えてくれたという。

当初ロバートがカーティスをマネージしていたが、ある程度落ち着いたところで、次のマネージャーとしてラッセル・シモンズを推薦したという。最初カーティスは戸惑ったが、ロバートの言う通りにして、ラッセルはその後デフ・ジャムを作り、ラップ界の大物起業家として活躍する。

ビルボード時代には、のちにR&Bエディターとしてまた映像作家として活躍するネルソン・ジョージをインターンとして引き入れた。

ブログ ロバートフォード訃報 アー写 ネルソンジョージ

(ネルソン・ジョージ)

カーティス・ブロウのヒット以降は、ラップを中心にレコード制作などを中心に活躍、なかでもコメディ・ラップとしてロドニー・デンジャーフィールドの「ラッピン・ロドニー」(1983年)、「シティ・オブ・クライム」(トム・ハンクスとダン・アイクロイドの1987年の映画『ドラッグネット』に収録)などをてがけた。

当初から一緒に曲作りをしてきたJBムーアは、「曲をゼロから作りあげるのに、ひじょうに才能をもっていた」と語り、「R&B業界でいつもサドル・シューズ(革製のリッチな靴)を履いている唯一の人物だった」と振り返る。そして、ロバートは最低10年以上のものすごい量のR&Bヒットの歴史がすべて頭の中に入っていて、とても重要だったともいう。

彼らはカーティス・ブロウののちに、ブルックリン出身のファンク・バンド、フル・フォースなどをてがけた。

ロバートは、ラッセル・シモンズのラッシュ・コミュニケーションズ(デフ・ジャムはレコード会社で、これはマネージメントや他の仕事をする会社)のヴァイス・プレジデント(副社長)となり、ここでLLクールJ、パブリック・エナミー、ビースティー・ボーイズ、DJジャジー・ジェフ&フレッシュ・プリンスなどをてがけた。


その後、独立し、自身でマネージメント会社を設立、フォードはテキサス出身のR&Bヴォーカル・グループ、ハイ・ファイヴを迎え入れ、「アイ・ライク・ザ・ウェイ」が1991年にビルボード・ホット100で1位を獲得。

ブログ ロバートフォード訃報 hi five ジャケ写

(ハイ・ファイヴ)

1997年、R&Bグループ、ネクストがカーティス・ブロウの「クリスマス・ラッピン」をサンプリングで使った「トゥー・クロース」がビルボード・ポップ・チャート(ホット100)とR&Bチャートで1位になり、ASCAPの「リズム&ソウル・アワーズ」を獲得した。

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黎明期。

個人的に面識はないのだが、ビルボードのコラムや初期ヒップ・ホップ作品(カーティス・ブロウ)に名前がでていたのでその名前はよく覚えている。カーティス・ブロウの記事の中で先月亡くなっていたとありびっくりした。

カーティスのデビュー作のライナーノーツを1980年に書いたが、そのときにかなり詳しく、その時点で分かりえるヒップ・ホップ、ラップについて書いた。

ビルボードで毎週読んでいたコラムのロバート・フォードがネルソン・ジョージをインターンで引き入れたことは知らなかった。ロバートのコラムに続いて、ネルソン・ジョージが書きだし、こんどはそれを毎週読むようになった。

ヒップ・ホップの黎明期に活躍した人たちが徐々に鬼籍に入っていく。時代の流れと言えばそれまでだが、実に寂しい。


OBITUARY>Ford, Jr. Robert (June 30, 1949 – May 19, 2020, 70 year-old)

■カーティス・ブロウ・ライヴ評

カーティス・ブロウ、ビッグ・ダディー・ケイン
2012年04月29日(日)

https://ameblo.jp/soulsearchin/entry-11235680169.html

■カーティス・ブロウ・ベスト

https://amzn.to/3e2AwwV


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