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さて空海の父の佐伯直って、どんな人?

さて、空海の父親の佐伯氏について。

『日本書紀』の景行天皇の条に「佐伯」について、色々書かれている。

しかし、景行天皇って身長が3メートルのある巨人と
書かれてたりして・・・まぁ、ある種のハルクだと思ってね!

ヤマトタケルノミコト(日本武尊)が毛人(えみし)=北関東の住人
を征伐した際に、「捕虜」として毛人=蝦夷(表記が変わってる)を
熱田神宮に献上した。

もしもし、ヴァイキングみたいな物語がすでにあってビックリよ!

ともかく征伐したところの住民を大勢連れてきて熱田神宮に差し出した。

その蝦夷たちを、播磨・阿波・讃岐・伊予・安芸の五か国に配置して
「佐伯部」としたってある。

このことから、佐伯部は大和朝廷に征伐された蝦夷を指す言葉だとわかります。

佐伯部の「部」とは、大和朝廷や地方の豪族に従属した農民や漁民
あるいは特定の技能集団につけられた呼称でもあるの。

五か国に配置された蝦夷集団の「佐伯部」の取り締まりや管理を
その地方の豪族がしていたの。

地方豪族は非農耕民だった蝦夷に農耕を教えて蝦夷を農耕民にさせた。

そういうわけで、そういう管理する地方豪族に「佐伯直」という位を与えた。

その佐伯直を名乗る地方豪族を、統率管理したのが軍事を司る
名門「大友氏」の支族である佐伯連(さえきのむらじ)という
中央の豪族です。

複雑で、紛らわしいけれど

佐伯連(中央豪族)と佐伯直(地方豪族)の2種類があって
両者は系列が全く違う!

だけど、そのうちゴッチャになって、後の空海=真魚は
中央育ちなら、中央の佐伯とも同族だっていう、ある種の
優越感は持ってたんじゃないか?

と思っちゃたりして・・・

それで、阿刀氏のところで英才教育を受けてたとしたら

まぁ、子供のころの逸話はなるほど~と納得します。

歴史って、勝者が編纂したんだから。

真魚の2人の兄について、全然知られてないのも
わかるよね?

どちらにしても、真魚の父、佐伯田公が善通という法名になったのが
善通寺というお寺の名前になった。

この四国での子供時代は、自然に親しんだと想像するけど
後の空海の空白期間はきっとここで学んだキャンプを
あちこちでしてたと思っています。

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