あの日の光と今日の雨。

店を出ると、霧のような雨が降り出していた。
最近背伸びをして買った腕時計は既に明け方の4時を示していた。
ここ神楽坂から歩いて、麹町の家に帰るには距離は長いか、
とはいえこんな夜半にタイミング良くタクシーに出くわすだろうかと不安になりつつも、
通りに面した不動産屋の、かろうじてせり出した屋根で雨宿りをしながら、その到来を待っていた。

今夜は、仕事が終わった夜遅くから、旧友と久しぶりに会ったのだった。
彼とは昔、京都の仕事場で一緒だったのだが、彼が退職してからも、偶に彼が上京する時には連絡をくれた。
いつもお互いの仕事が終わった後のタイミングだから、飲み始める時は大体が終電間際で、そのまま夜が明けそうな時間まで飲むことが多かった。
疲れているからか酒はいつもより早く自分を回りつつ、また旧友との話題は自分にも親和性があって、そのひと時が気に入っていた。
お互いの近況や、その時の自分自身の人生に対するトピックなどを語り合い、
ふーんそうかそれは大変だったな、などと酒を飲みながら理解しあうのが自分は好きだった。
しかし今日に限っては、「お前が付き合っていたあの子、結婚したらしいぞ。知っているか?」という、言葉を聞いて、こればかりは複雑な思いになったのだった。

自分が京都で彼と一緒に仕事をしていた頃に、同じ職場に居た女の子のことだった。
地元が同じ市内で、就職先も同じであったこともあって、内定者時代から付き合うようになり、付き合い始めて3年が経つころ、異動の可能性が近まっていた私から、別れを切り出したのだった。
泣いている彼女に対して、それでも決心したことだったから、自分は敢えて思っていることをオブラートに隠さず言うと決めたのだった。

自分が本人から直接知らされているわけではない一方で、既に会社を退職していた旧友は知っていたのだった。
聞けば、友人の紹介で知り合った男性と、意気投合して交際、そのまま結婚したのだという。
なぜ、自分には知らされなかったのだろう?という所以を考えるうちに、彼女との思い出が少しずつ、自分の中に再生されていった。

彼女は喜怒哀楽のはっきりした女性だった。好きなものは好き、嫌いなものは嫌いだと言う。ただ、最低限の礼儀は欠かさなくて、年下年上問わず社員には人気があった。
プライドは高かったが、自分といるときにはそのような姿は見せることはなくて、それが彼女なりのスタイルだったのだろう。
美味しいものを食べるのが好きだが、すぐにお腹がいっぱいになってしまうのをいつも残念そうにしていた。
春の桜、夏の祭り、秋の紅葉、冬の温泉。
外に行かなくても、家で映画を見たこと、一緒に料理を作ったこと、イベントごとは一緒に祝った。
今でも家には、彼女が買った食器が幾つかあって、ふと手に持った時に思い起こされる。
既にあの日から5年が経過していて、彼女との会話の詳細を思い出すことはできないが、その情景を思い浮かべることはできるのだった。

「良かったな、お前」
旧友は焼酎グラスをあおりながら言ったので、意識がテーブルに戻ってきた。
「・・・どうして?何が?」
自分もつられて、グラスの中の焼酎を飲み干した。まだ氷があまり解け切っておらず苦かったが、自分の言葉が滑らかになると思った。
「いや、彼女が結婚したことさ。」
「それは、彼女にとって?それとも、俺にとって?」
「うーん、どちらとも言えるかな」
「・・・」

あの頃、自分はまだ社会人3年目だった。
彼女は自分との結婚を考えているようで、実際にいつか深く酒を飲んだ時には「結婚するつもりがないなら、別れる」とも言っていた。
私は、彼女といた時間が苦痛になったわけではなかった。
しかしながら、自分は、彼女と結婚する、ということをいざ真面目に考えたときに、その気持ちにはなれなかった。
結婚する、ということが、世間一般の言う“素敵なこと”というよりも、
まだこれからの社会人生活において可能性がある(と感じていた)自分にとって、重さになってしまう気持ちが強くて、その決心がつかなかったのだった。
結婚したい彼女、いまだ結婚はしたくないと思う自分がいるのは明白で、
刻一刻と迫る異動のタイミングに際して、このまま付き合っていてもいいことはない、そう決心したのが、あの時だった。

決心してからは、時間や距離を置くようにした。彼女はその雰囲気をわかった様子でもありつつ、それでも変わらずに自分に接してくれた。
そして、とうとう自分は別れを切り出した。彼女は泣いていたが、しばらくして私の申し出を受け入れたのだった。
プライドの高い彼女はきっとそうするだろうと、打算的に考えていた自分がいて、心底性格が悪いと思う。
まもなく、自分には、やはり辞令が出た。
京都から、東京への異動が発表され、結局彼女とは会うことなく、京都を離れたのだった。

旧友には、ある程度のことを話していたから、そうした自分の感情を踏まえて、「良かったな」と言ったとその時は思ったが、
今、旧友と解散して思い返してみるに、
私にとって良かった、という解釈はきっと私のためにこそあり、彼女にとって良かった、という解釈が正しいのかもしれない、と思う。
あの時、自分の一方的な別れが、彼女をとても傷つけた、自分は今でもそう思っている。だから、彼の言葉を、私にとって良かった、と思わずにいられなかった。思ってしまった。
彼女は既に自分のことはすっかり忘れて、「上書き保存」をしているのかもしれない。
いや、すっかり忘れてなどすらいなくて、そんなこともあったね、という些細な記憶になっているのかもしれない。
自分の勝手な感情で別れを告げたことは言うまでもなく、
彼女がきっと、今でも深く心にあの日のことを覚えているのだろう、と思うこと自体、愚かで、自意識過剰であるのだろう。

街に降る霧雨は、まだ細く長く街を濡らしていた。
運よく、一台のタクシーが通りかかったので、それを呼び止めて乗り込んだ。私が運転手に行き先を告げると、タクシーは静かに走り出した。
タクシーに乗るとすっかり雨の音は聞こえないが、それでも街灯の元を通り過ぎるときには、未だ柔らかな雨が降っていることを、私にわからせた。

いつか、まだ付き合っていた頃。
彼女が自分の家に泊まった翌日の朝、出勤する彼女を私が玄関先で見送るときに、
偶然にも玄関のドアスコープから朝日が私の胸辺りに差し込んでいて、燦々と輝いていた。
光は乱反射していたが、その一つ一つが光っていた。
彼女もそれに気づいて「見て」と指をさし、続けて「綺麗だね」といった彼女の表情を、
車内でひとり、思い返していた。

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