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6.ユーテンユーテン、キキレガゴザラント、サツマヲトコハ、アイテガ、チゲモンド!

江藤新平は庭先から転げ落ちるかのように走り出して逃げていく。西郷隆盛はその行き先を見届けると天をあおぐように目を見開き、険しい顔をした。

西郷は鰻温泉にいる。江藤はつい先日まで佐賀の乱と呼ばれる内戦で、征韓党を率いて官軍とぶつかっていたが、敗色濃厚となって鹿児島まで西郷を頼ってきたのだ。一緒に立ち上がって官軍と戦って欲しい、西郷隆盛が立てば皆が集まってくれるという。

ところが、そんな江藤の説得にも西郷はダメだと言って動かない。そもそも官軍と争うなど国を二分して内戦するなどもってのほか、欧米列強の思う壺だというのが彼の信念であった。

それでも執拗に西郷に詰め寄り、挙句には西郷を臆病者かのように言い始める。これには西郷もついには我慢ならず激しく言い返す。

「ユーテンユーテン!」
ここで江藤は元の西郷の力強さを思い出してたじろいだ。
「キキレガゴザラント、サツマヲトコハ、アイテガ、チゲモンド!」

(いうてもいうても聞き入れがござらぬと、薩摩男は承知しませぬぞ!)

それで江藤は逃げるように帰って行ったのである。

翌日また来訪した江藤を指宿まで見送り、その後も西郷は元の温和な田舎暮らしの日々を過ごすのだが、どうしても頭から離れぬことがある。

『江藤の言うことにも同情する。我々は江戸幕府を終わらせて明治新政府のために日本中を駆け巡って幕府残党軍と戦ってきた。命をかけて死んだ者も大勢いる。けれど、その新政府が出来上がればもう用済みだとばかりに士族は刀も名誉も取り上げられ、一国民として安穏と生きよという。そんなことが彼らに出来ようか?』

なにしろ元は武士であった血の気の多い集団である。新政府を樹立すれば、江戸幕府に頭の上がらなかった自分たちが政治の中心となるはずが、明治新政府は民主主義とやらをうたい、軍事政権は認められぬという。

西郷は、そこで征韓論を持ち出して、血の気の多い集団を内戦ではなく外国に目を向けさせようとしたのだが、その目論見も明治六年政変で打ち砕かれた。

せめて自らが安穏と生きる手本となろう、そう考えて今は温泉暮らしで野山をかける生活を送っている。

その次の日の朝、西郷は山に猟に出かけた。岩倉らが帰国してから明治六年の政変で薩摩に帰ってくるころには、かなり体調が悪くもう余命も短かろうと覚悟していたが、湯治しながら狩猟で野山を駆け回り、随分と生気を取り戻した気がする。

征韓論を主張して死に場所を探していた頃とは大きく違って、体調はすこぶる良い。

その時、右手の草むらで何かが動いた音がした。銃を手に持ち替えてその音の方へと向かって足をすべらせるように動く。その調子で何歩か前に進んだ時に何やら草履の裏にやわらかいものを感じた。

「なんじゃ?」

目線を落とした瞬間に、その足元の地面が崩れ落ちる。そのまま真っ逆さまに西郷の巨体は飲み込まれていった。

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