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15.Love & Peace

菊子は隣に座る少女の手を借りて立ち上がり、微笑んで礼を言うとそのまま庭の見えるところまで歩いていった。少女が先に前に出ると、庭に数人の男が身を乗り出してきた。どうやら安全を確かめたらしい。

「何が悲しくて親のかたきである男の妻となろうものか」

菊子は昔を思い出すように北東の空を見ながら話し始めた。その方角には淀城があり伏見城があり、長浜がある。西郷はその後ろ姿を見ながらまた強い意思を持つ大人の女性の迫力を感じていた。

「太閤殿下は…おふくろ様のご両親の仇でありましたな」

「父を殺し、母をも殺した木下藤吉郎めに、恨みを持つなと言われても、それは無理というもの」
「そうでしょうな」
「この戦乱の世の定めとはいえ、男どもの争い事でいつも悲しい思いをするのはわれら女子ばかり。憎みこそすれ、妻になるなど思いもせなんだ」

遠くを見ていた菊子がくるりと振り返り、西郷の目を見た。

「太閤殿下は戦の無い世の中を目指しているとおっしゃったわ」

西郷は唾を飲んだ。明治維新での自らの行動と重ね合わせていた。

「応仁から続くこの戦ばかりの世の中は、誰かが強い力を持ち天下を束ねねば戦はなくならぬ、そのためには避けられぬ戦があると。そしてそれももうすぐ終わる。信長公が目指し、この秀吉が受け継いだ平和な日の本がやってくるんだと」

「なるほど、それで太閤殿下をお許しになられたと」

「まさか。許すということではない。父母を殺した男を許すことなど到底できぬ。けれど、本当に戦の無い世の中がやってくるのなら、この男と差し違えるわけにはいかぬと思うた」

「差し違えるおつもりで」

「はじめの頃は。けれど、この男を殺してしまったら、またあの戦乱の世の中が舞い戻ってくると思うと、どうしてもできなかった」

菊子は西郷に近寄り上から見下ろすように続けて言う。

「もう、たくさん」

西郷はその強い意志に心を打たれる思いがした。自らが知っている淀殿の印象といえば、徳川家康に逆らう女将軍という風説である。ところが、目の前にいる女性はただ時代に翻弄されただけの、それでも信心深く平和を願う母の強さを持つ人物であったと思い知らされる。

「太閤殿下の刀狩りや喧嘩停止令などの惣無事令は、本心だったのですな。もう戦武器は必要ないと」
「もう、戦のたびに駆り出されることは無いですからね」
「反対も多かったのでは」
「みな自分から刀を差し出してくれた。無理強いしてはいません。その刀を大仏の建立に使うので皆が戦の無い幸せな時代になったのだとわかってくれましたよ」

菊子から、太閤殿下を信じたことは間違いではなかった、という信念を感じる。

「悔しいけれどね」


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