超ブロリー感想

アマプラで見たので、簡単に感想を。

旧ブロリー

記憶が曖昧ながら、旧ブロリーも視聴済み。

圧倒的な力の前に破れた後、体勢を立て直しなんとか勝つ。

いつもの…というと語弊があるが、歌舞伎のように待ってました!と言えるような内容だったのは覚えている。

しかし、パラガスの最期や強すぎるブロリーに対する絶望感、終わった後のなんとも言えないやるせなさなどはなかなか印象的だった。

ビジュアル/演出

DBは久々に見たのだが強烈に今ナイズされており、かつ違和感のない優れたビジュアルを楽しめた。

エネルギーの表現も美しく、3Dも安っぽくない。

キャラクターも鳥山ビジュアルでありながら、古くささを感じない表現がなされている(鳥山明のデザインは元々時代を問わない良さがあるが、それをふまえた上で)

具体的に言えば表情が豊かで、思惑に無駄なマスクが掛かっておらず、クリアなまま見て居られる。

格闘

DB一番の目玉ということで、力の入れ方が尋常では無い。

昔ながらの激突や連撃は勿論あるが、省略では無く演出を極力凝ることで見飽きない。

パワーの上がり方の表現も優れていて、良く分からないと言う状況になりづらい(どちらが押しているかが、常に分かるようにも工夫されている)

最後の方で時空が割れるなどぶっ飛んだ表現があるものの、特に違和感も感じず最後までみることが出来た。

カメラの動きや背景の描写も今らしく綺麗に描かれていて、それを見て居るだけでも楽しい。

ストーリー(戦闘まわり)

"ほぼ戦闘"と聞いて(旧ブロリーもそうでは?)と思っていたが、なるほど確かに一本道に感じた。

つまり、メインプロットの「ブロリーを倒す」について、旧ブロリーのような

一旦引く
体勢を整える
策を立てる
反撃する

という波があまり無く、スーパー→2→God→ヒュージョン、と徐々に強化することで対応したという感じで、対策が一瞬で完了するためかなと思った。

実際、三幕構成のように「壁に当たり挫折」から「起死回生の策を立てて実行」となり、「危うくなるも最後の一発が成功し敵を打ち倒す」という話が見たい人にはベルトコンベアに感じたかも知れない。

ただ、前述のとおり、格闘そのものがよく練られて演出も見応えのある内容である。

格闘技として見れば、1つの大会をじっくり見たような満足感は得られた。

ストーリー(やりとり)

超の話かもしれないが、Z時代のようなシリアスさはかなり削減され、今の時代に合うような味付けが為されていると感じた。

特にフリーザの願いの内容や、悟空たちとライバルのような関係になってるなど、やばいよやばいよ…みたいな感情に惑わされず、純粋に格闘を楽しめた。

ここが恐らく超時代の賛否両論と思われる。 Z時代のシリアスが欲しい人にはなんでや…と思う人も居るかも知れない。

🦐は超ブロリーも好き。 Zのシリアスは深く記憶に残るが、その分陰鬱の連続でもあった。

ここら辺を一言で言えば、"メタ的に制御された闘技場"だろうか。 本筋ではない内容は極力そぎ落とし、魅せたいモノを見せる。

インディーでも重要なポイントに思う。 (エイリアン襲撃モノもある程度この傾向は感じる)

戦闘中の言葉のやりとりが極端に少ないことは確かに残念な部分もあるので、そこは賛否両論ありそう。

ストーリー(ブロリーの仲間)

ブロリーを見つけたフリーザ軍所属キャラクター二人もまた良い味を出しており、巷でも人気の模様。

最後の決着の付け方も今の悟空にはぴったりだなと思った。

恐らく昔であれば仲間とのやりとりは数倍やってたり、街中での喧嘩も数倍やって…とサブプロットを重視していたかも知れない(そうなると戦闘が短くなったり、映画がだらっと長くなってしまうかも知れない

パラガス

唯一残念、というか扱いが酷いのはパラガスで、強化を引き出すためにピッとコロされて、ギャグのように焚きつけられてしまう。

怒るブロリーを見て"戦闘ロボットとして育てられ、どうぶつのように制御されたとしても、やはり父親のことは大事"、ということなんだろうけど、本当にここだけなので、火打ち石程度の扱いになってしまった。

パラガス自身には旧作と違って保身やセコさがなく、むしろ一つの目的のために努めてきたのだから、その分もっと華々しく散らせて上げたかった。

最後に

評論では無く感想なのでだらだらっと書いてしまったが、全くストレス無く最後まで視聴できたため、軽く見て満足を得るにはとても適した映画に思った。

一方で、DBがZ以来などと言った、久しぶりに見る層にも適している内容だった。 おふざけもぶっ飛んだものはなく、笑える範囲だった。


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