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一目上がり。

一目上がり。

「ひとめあがり」と読みます。古典落語の有名な演目のひとつだそうです。
普段、落語はあまり馴染みがないのですが、この噺はたまたま耳にする機会があり、印象に残っています。
「一目上がり」という噺は、おめでたい席で披露されることが多いそうで。
内容はコチラ。

皆から八つぁんと呼ばれている男がある日、隠居の家を訪ね掛け軸を見つけた。
飾られていたのは「雪折れ笹」の書画で「しなわるるだけはこたえよ雪の竹」と添えられていた。隠居は他所でこういう書画を見たら「いい賛(三)だ」と褒めろと男に教えた。

ちなみに「笹竹に雪が積もって折れ曲がっていても、春になれば元の笹になる。苦難があってもいつかは取れる。我慢が肝心」という意味。

賛とは東洋画において、主に鑑賞者によって作品に書き加えられる賛辞のこと。
元の作品に書き足す形になりますが、それも作品の一部と見なされるそうです。鑑賞者ではなく、作者自ら賛を書くこともあるそうで。それが「自画自賛」の由来らしい。

「こりゃ良いことを教えてもらった」と、次に八つぁんは大家を訪ね掛け軸を見せてもらう。
そこには「近江の鷺は見がたく 遠樹の烏は見易し」とあった。
教わった通り「いい賛(三)だ」と褒めると、大家は「これは根岸の亀田鵬斎先生の詩(四)だ」と言う。

「近くにいても、雪の中でシラサギを見つけることは難しい。それに対しカラスは遠くてもすぐに見つけられる。それと同じで善行はなかなか認められないが、悪事はとても目立つ。だから悪事はできない」という意味。

次に八つぁんは医者の家を訪ね掛け軸を見せてもらう。
「仏は法を売り、祖師は仏を売り、末世の僧は祖師を売り、汝五尺の身体を売って、一切衆生の煩悩をやすむ。柳は緑、花は紅の色いろ香。池の面に月は夜な夜な通えども 水も濁さず影も止めず。」とあった。
八つぁんが「いい詩(四)だ」と褒めると、医者は「これは一休禅師の悟(五)だ」と言う。

ここで八つぁんは気が付いた!
「そうか!書画を褒める時は数が1つずつ上がっていくのか!」と。

そこで八つぁんは友人の家に行き、掛け軸を見せてもらった。
そこには大勢の人が小さな舟に乗っている絵が描かれていて、回文が添えられていた。
友人に読んでもらうと「ながき夜の とおの眠りの みなめざめ 波のり舟の 音のよきかな」と書いてあった。

八つぁんは「さっきは悟(五)だったから、次は先回りして数を1つ足しておこう!」と意気込むのです。
ここぞとばかりに「いい六だね」と褒めると、友人は「なあに、七福神の宝船だ」と答えるのでした。

六を通り越して、七かーーーい!!

おあとがよろしいようで。テンツクテンツク テンテンテン。笑

…という噺。
文字で書くと長いなぁ。聞いてるとリズミカルであっという間なのになぁ。
オチが七福神だからおめでたい席の演目なんですね。

こういう噺、好き。

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