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青ビキニの女

タクシーの運転手さんがイチオシしてくれた町一番のビーチは、夕方四時過ぎだったこともあって思ったより空いていた。

生まれて初めてのアドリア海。夕日に照らされて波がキラキラしている。遠くの海は濃く、近くは薄く輝いて、その濃淡も美しい。

砂浜の真ん中にあるバーのようなところでお金を払って、二つ分のビーチチェアを確保する。洋服の下に水着を着てきているので、荷物はそんなに多くない。

クロアチアの浜辺はビー玉より大きめの石がごろごろしていて歩きにくい。旅行したことのある人から「海に行くならしっかりめのサンダルが必要」とアドバイスを聞いておいてよかった。裸足で歩くのは痛そうだ。

子どもたちはさっそくザブザブと海へ入っていく。「アドリア海しょっぱい!」海でまともに泳いだのは初めてだったので、きっとどこの海に行っても同じことを言っただろうけど、子どもたちの舌にはアドリア海の塩気がしっかりと刻みこまれた。


スプリットのビーチ

海の遠いところで遊んで疲れた子どもが、岸のほうに帰ってきた。「浜に打ち上げられた魚。」と自ら命名しながら波打ち際に寝っ転がる。子どもってのは面白いことを思いつくなぁとスマホで撮影をしていると、左の方からものすごく強い視線を感じた。他の子どもは近くにいないし写ってもないからトラブルになるようなことはしていないはずだけど、突然ロックオンされると不安になる。

心当たりを探しているうちに視線の発信元から声をかけられた。振り返ると、青ビキニ。青い三角のビキニが目に飛び込んできた。

「すみません、写真撮ってもらえます?」

はー、そんなことか。ただの若いお姉さんか。身構えて損した。でもグループでひったくりをしている人たちの話術でもある。一応貴重品は再度しっかり持ちつつ、その女性の差し出した大きいスマホを受け取る。黄色いスマホカバー。

自分が持っているのよりずいぶん大きいスマホだったので、どう構えたもんかなと思っているうちにスマホ画面が黒くなってしまった。

「すみません、黒くなっちゃって。」

彼女がポーズしているところまで行って、再度スマホをオンにしてもらう。

被写体の女性は、団体ではなく一人で来ていたようだった。ビーチチェアのところであっけにとられる私に構わず、膝下くらいまで海に浸かった彼女は渾身のポーズをキメた。幅2センチほどの黒いゴムバンドのようなのが腰の周りにあって、その中央から下に向かって青い三角がぶら下がっている、といった感じの水着をつけた彼女は、それはもう自信に満ち満ちていた。

他人に突然「撮ってくれ」と言われたこともなければ、そんな挑戦的な水着の人にカメラを向けたこともない。私は途方に暮れた。

グラビア写真・・・なのかこれ?
あなたはモデルさんか何かか?
浜辺には他にも暇そうな人がたくさんいる。
よりによってなぜ白羽の矢を私に?
逆光なんだけどいいの?

山ほど疑問はあったけど面倒だしそもそも自分の子どもが溺れないよう見張っておかなくてはいけないので、さっと撮って終わらせることにした。

「じゃー撮りますよ、さん、にー、いち。」

さんにーいちの後に数枚撮ったからもういいかと思って、スマホを返そうとしたら、彼女はちょうど髪をかきあげて悩ましいポーズその2をとったところだった。私は既に「はいどうぞ」とスマホを差し出してしまっていた。行き場のないスマホ。気まずいけどどうしようもない。彼女はしぶしぶポーズをやめて、感謝の気持ち40%くらいのサンキューを返した。

どうしてもあきらめきれなかったようで、彼女はしばらくすると自撮りを始めた。自撮り棒を持たない彼女はスマホを片手に持ち、またしても海の中に足をちょっと浸けたところでポーズをとっていた。何が何でもそこで写真を(しかもただの写真ではなく蠱惑的なやつを)撮らなくてはいけない事情が、彼女にはあったのかもしれない。もうちょっと協力してあげればよかった、悪いことをしたな、という気がした。

とはいえ私は写真家じゃない。ましてやその方面の写真家でもない。自分の子どもの成長記録として楽しく写真を撮っていた普通のおばさんだ。だからそんなに期待されても困るし、がっかりするほうがお門違いだろ。と開き直る気持ちもなくはなかった。

あの日撮った写真を、彼女はどうしただろうか。



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