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見えないものに形を与える。



 分岐点があった。1本の映画だ。それを観る観ないというところからものすごい喧嘩をした。もちろん他にたくさんの要因があったし、映画鑑賞の有無は直接喧嘩の内容には関係ない。でも結局のところ私たちはそこで分岐したのだと思う。そこから私は何を信じて過ごしたらいいのか、どこにいたらしあわせでいられるのか、何もわからないと泣いて泣いて毎日を過ごした。暗くて肌寒い場所に自分がぽつんといるような。それが2021年の12月の話。1年が経ち、その間にさまざまなことを経験したし、知った。自分のことや、誰かのこと。自分と誰かの間のこと。ずっとそこにあったのに初めて気づくことばかり。ずーっとそこにあって、私の視界にも時々ちらりと入っていたけれど、何も気づいていなかった。そんなことがたくさんあった。少し前の自分の浅はかさや考えの至らない言動を、「何をやっていたんだ」と責めたくなる。でもその時の私は真っ暗闇を手探りで、一生懸命に誰も傷つかない誰も悪くない、そんな道を探していた。私も誰かもみーんな悪くないと思って、それを証明するために泣きながら 手がかりを探していた。できなかったことはたくさんあるけれど、それがあの時の私のキャパなのだとも思う。28年の経験や知識を全て使っていたし嵐の中でめちゃくちゃになりながらも全力で好転に努めていた。だから、やっぱり責めるよりも褒めてあげたい。よくやったよ、ありがとう。おまえのおかげで今があるよ。
 喧嘩は今年の4月に意外な展開を迎え、8月にはめでたく仲直りをした。それだけでは留まらず我々はそのままお付き合いをした。走り出した私の勢いが止まらず、恋人はその様子を「らしいよ」とゲラゲラと笑いながら受け止めてくれた。私も、自分と恋人のどちらにもらしいと思う。喧嘩をして仲直りを終える間に、ふたりの誕生日があった。毎年お互いの誕生日をなんとなく大切に思って過ごしており、約束をしているわけでもなくプレゼントを用意していた。喧嘩をしてもその大切さは変わらなかったけれど、今年はお互いにお祝いの言葉をかけるのみだった。複雑な状況だった私の誕生日でのそれは風に案内されてたどり着いた縁の結び目のようなもので、彼女との繋がりが自分への誕生日プレゼントに思えて嬉しかった。その日に私の長い迷子はおわった。恋人の誕生日は仲直りを丁寧にしている最中だった。贈り物をしたい気持ちは山々だったけれど、繊細な関係の中では安易にプレゼントを用意することができなかった。薄雲のような悲しさや不安、これからに対する期待。私の心はまだごちゃごちゃしていた。それを物にのせたくなかったし、遺るのが嫌だった。これから毎年くる恋人の誕生日に、仲直りのかけらが思い出になることが怖かった。今はそれも、良い思い出になるかもしれないし、何か起きたって忘れるかもしれないし、恋人はまるごと全部を笑ってくれるかもしれないと思えるけれど、その時はそういう可能性が一切許せなかった。私は臆病なのだ。
 ぽんぽんぽんぽん季節を飛び越えて、夏のしっぽと秋の鼻先が見えた頃、私は数ヶ月先のクリスマスのことを考えていた。私は日付をあまり気にしない。記念日ごとに対する思い入れはあるが、それは出来事に重きを置いているのでこの日じゃないとという感覚は薄い。だいたいこのあたりで、それを大切にできればいいね、と思ってる。でも今回のクリスマスは違った。イブの当日にプレゼントを渡すつもりでいたし、一緒に観たい映画も決めていた。映画は先に話した分岐点になったもの。これは前々からふたりで話していた。プレゼントは、ただの似合うものや好きそうなものではなく、お守りになるような大切なものをと考えていた。そう、お守りになるようなもの。神社のお守りとかは違う。役職持ちの神様の力は強そうで、恋人の力と喧嘩しちゃうような気がした。恋人の背中を、押してくれるような時々さすってくれるようなそんなものがよかった。選べなかった誕生日プレゼントの意味合いも含まれていたからか、真っ先に誕生石が候補にあがった。うーん、恋人としての最初のイベント、去年のやり直し、誕生日に重ねる想い。なんだかひとりでものすごく張り切っていたみたいだなあ。今思えば、だけれど。あ、話を戻します。恋人の誕生石は真珠。真珠は貝が殻の中で作る宝石。生き物が作る柔らかく輝く丸い石は恋人にぴったりだ。私の思う彼女の核に近い。それからしばらく真珠のアクセサリーを探した。でもどれもこれも気に入らなかった。きちんとしたものを贈りたいと思う半面、それらはとても上品で彼女の持つ雰囲気に似合いすぎてしまうと思った。彼女はゲラゲラとよく笑う。ちょっとしたいたずらを気まぐれにする。真剣な場の彼女はすごく頑固。耐久性もあり粘り強い。弱いところもあるけれどこれは秘密。とにかく私は彼女のざらついた人間らしい部分を引き出してくれるものを探した。2〜3週間後、でこぼこした小ぶりの淡水パールが7粒並ぶネックレスを見つけた。パールは、ほとんどお米だった。ひとつずつ形の違う米粒が並び優しく光を纏う。でこぼこした部分には、完全ではない美しさや肯定力を感じた。私たちに「このままでいいよ」と言ってもらっているようだった。これしかない。絶対これ。深夜スマートフォンの画面越しに一目惚れをした。そんなに気に入ったのだから、買えばいいと思うじゃない。でも買えなくてね。私はもう少しだけ悩むことにしたの。まず、私があまりにも真珠について知らなかった。淡水パールが何なのか私にはわからなかったのだ。色々調べてどうやら、私の思う真珠の一種であることは理解した。しかしまだ悩む。調べる中で、でこぼことした歪な真珠は贈り物には不向きという言葉を見つけてしまったのだ。もう何。こんなに綺麗なのにそんなことになっちゃうの。でも、真珠よくわかんないし、そういう謂れがあるなら控えたいけれど、ネットの誰かの戯言は信憑性が薄いし。と、もんもんもんもん。ぐるぐる考えて、友人に相談した。誰に何の目的でかは置いといて「これ、プレゼントにどうか」って。悩みすぎて煮凝りのような私とはうらはらに、さっぱりと「良いじゃん!綺麗だよ。なんで(そんな悩んでるんだ)?」と返ってきた。そっか、綺麗だよな。そこですとんと納得し、しかしこの女まだ悩む。どうしてこんなに悩んだのかわからない。でもまだ悩む。今度は「こんなに私が想いを込めたものを、形まで選んで、勝手に用意してしまっていいのか?」と悩み始めた。恋人には、恋人らしくいてほしい。その願いと役割を委ねたものを私が独断で選んで良いのだろうか。深刻だった。もうそこで悩むとひとりでは何もできない。どうしたらいいのか。彼女に聞くしかない。もんもん、ぐるぐる。煮凝りはさらに煮詰まった。このままでは前に進めない。そう思い勝負に出た。精一杯タイミングを見計らい、精一杯何の気なしに、彼女に真珠の話題を振った。そして、見事秘密にしていた「クリスマスに誕生石のものをプレゼントしようとしていました」という話までした。玉砕。私のあんまりな下手くそさと、しょんぼりした姿に彼女は大笑いした。10月半ば、恋人はお米のような真珠のネックレスを受け取ってくれた。
 季節はこちらの心情など気にも止めず刻々と移り変わる。12月、冬は堂々とそこにいた。この時期になると私はマフラーで寒さを凌ぐようになるが、今年はアウターを羽織るなどして技を極めていた。ひとは成長する。成長は時にひとを変える。クリスマスを前に私は大人しくしていた。米騒動の一件でクリスマスに張り切ることをやめたのだ。恋人だからこのイベントを楽しむだとか、恋人にそういうものを用意するとか、楽しむために自分が一生懸命になるとか、色々なことをやめた。私が恋人としたいことって、そういうことじゃないなと気づいたのだ。恋人とは何をしてても楽しい。したいことは溢れかえってるし。何なら何もしなくても楽しい。そして、私がふたりの過ごし方をひとりで決めるのは勿体無いと思った。ふたりの間で自然に流れるものを楽しみたくて、私は一度静かにすることにしたのだ。そしてクリスマスイブ。恋人からクリスマスプレゼントをもらった。数日前に買いに行った話は聞いていて、とてもわくわくしていた。紙袋を開くと、小さな箱や封筒や何か包まれたものが何個もあった。「わ」と声を漏らす私に、「お楽しみボックスだよ!」と恋人は言う。ひとつずつそっと紙袋から出して中身を確かめた。立派な一切れのシュトーレン。間伸びした顔の雪だるまのクッキー。おそらくこれが先日買いに行ってくれたと言うものだろう、かわいい花の写真がプリントされた小さな箱。何が入った白い封筒。留め具にかわいいシールが貼られている。そして、冬の街中を歩く男が描かれたポストカード。裏面には恋人からのメッセージが綴られている。盛りだくさんだ。「わー!たくさん!」とおおはしゃぎをする私に、恋人がそれらがどういったものか説明してくれる。白い封筒には一冊の絵本が入っていた。すぐにわかった。これは今日ふたりで観ようとしている映画の原作のものだと。ぱらりと眺めるとポストカードの絵もここにあった。どれも恋人が生活の中でふと私を想い用意してくれていた。嬉しくてふわふわ浮いたような「ありがとう」を何度か零すと、恋人は「それはいつも君がしてくれていることだよ」と言った。あー、そう。私はいつも何かあると張り切って準備をしていた。喜んでもらいたいからと言うより私が楽しくて。あなたとこういう日を過ごしたいんだ!と。恋人は友達の時からいつも何でも巻き込まれてくれて、そして大喜びしてくれていた。私も二乗で喜んでいた。そっかー、こんなに嬉しいことがそこでは起きていたんだなあ。今日私はめちゃくちゃ嬉しい。うれしー。ひとがどこかで私のことを想ってくれているその時間が嬉しいし、全部恋人らしいものだった。どれもこれも、恋人のかけら。私が自分で書店で買う本とは全く違う存在でここにいる。すごく不思議だけど、でも当たり前の話でもある。私がふたりの過ごし方をひとりで決めるのは勿体無いと思ったのは正解だったと思う。私がやたらと張り切ることで、ふたりの間の流れを堰き止めることにもなる。張り切らない方がいいとか、用意してもらう側の方がいいとか、そんな話ではなくて、ふたりの人間の関係の話。
 小さな箱に入ったクリスマスプレゼントを開けた。中にはきらきらとビーズが山積みになった指輪がいた。青い薄い紙で作られたおふとんに大事に寝かせられている。少し歪んだ楕円を一周金色のシリンダービーズが囲い、あまり石や手芸品に詳しくないので定かでは無いが、白いガラスビーズや乳白みのある薄緑のスワロフスキー、白濁色のスパンコール鱗のように並ぶ。そして真ん中には大きな四角い紫の石。透き通ってきらきらしている。角を丸くカットしてあるからか、とても柔らかな印象を受けた。寄り添うように淡水パールがいる。この子は小豆みたいだ。
「これはアメジスト?」
紫の石を指して聞く。
「そう、アメジスト。かわいいよね。アメジストは水晶のひとつなんだよ」
水晶と教えてもらい、とびきり嬉しくなった。水晶は私の誕生石だ。クリスマスプレゼントに、私は誕生石のネックレスを贈り、彼女は誕生石の指輪を贈ってくれたのだ。うれしい。そして、すぐにアメジストの石言葉を調べた。高貴、誠実、心の平和、愛情。この4つの石言葉に、愛情が続くのが面白くてもう少し調べてみると「恋愛で高まりすぎた感情を抑え、冷静な判断ができる石」とのこと。うーん、身に覚えがある。何せすき過ぎて小躍りや走り出すなどをしている。たすかるー。神話では、水晶が葡萄酒で染まったのがアメジストらしい。かわいい。何度も光に透かせて、角度を変えて指輪の色々な顔を見る。金色のシリンダービーズが欠けているのを見つけた。それも私たちのようで嬉しくてたまらなかった。
「すごくかわいい。うれしい。ありがとうー」
満足げな私に、恋人は言葉で私を撫でるように言う。
「ね。たくさんのビーズが乗ってる。プラスチックやガラス玉、本物の宝石。それが全部同じように並べられて美しくて、私たちがふたりで大切にしたいものにすごく近いと思ったんだ。隣には淡水パールもいるよね。喜んでもらえてうれしいよ」




おしまい。
書いていたら年が明けました。
あけましておめでとう。今年もよろしくおねがいします。
そう、今回は恋人の話。
しかしながいよ。書いててびっくりした、おわんねーって。ウケるね。
これ5000文字なんだけど、読むのってあっという間だよね。不思議。
そういった経緯で、今年の目標は「馴染む」です。
たべてせんせいの2023年に乞うご期待。

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