余談:プロデューサーが魔法使いであるということについて

※本記事は「[マイウェイランナー]北川真尋の眼鏡オフについてのいち担当P的解釈」の余談です。


お疲れ様です。
北川真尋担当Pジュンと申します。
本当は龍崎薫担当Pでもあるのですが、まあ、とりあえず今回は真尋の記事の続きなので。

[マイウェイランナー]北川真尋についての記事を書いた理由なんですけども。

僕は真尋Pを中心に、好きなアイドルの担当Pさんやご縁のあったPさんをフォローしています。もともとが100フォロー程度なので、流れてくるRTを含めて、僕の目に入る情報は極めて偏ったクラスタ内のものになっています。
今回のスシローは発表された時点でものすごい騒ぎでした。歌イベントのコミュには出られないアイドルを担当しているプロデューサーは、全員「担当のスシロー」を夢見ていると思います(少なくとも僕はそうでした)。

僕の観測範囲では、という但し書きがつきますが、真尋Pたちは元から真尋がコンタクト使用者であることを知っているので、「こんなに素晴らしいイラストときちんとしたコミュで眼鏡オフとその決断に至る物語を披露してくれた」と大喜びでした。だいたいみんな喜びすぎて息も絶え絶えでした。真尋Pの村はよく公式に焼き払われています(「シンデレラヒストリーorシンヒス 同級生ドリーム小説 真尋」「天冥公演 真尋」などで検索していただくとわかると思います)。

でも、少し検索をかけると、「眼鏡を外した」ことに対して肯定的ではないツイートもありました。
コンタクト使用者なのは2012年からある設定なのですが、最近はあまり言及されていないので、プロデュースしていないと知らなくて当然だろうと思います。また、グラスフルワールドでご一緒している上条春菜さんから「アイドルの仕事におけるメガネ皆勤賞」を頂いていたこともあり、皆勤賞ではなくなってしまったことを残念がるお声もしばしば見ました。
前の記事に重ねて言いますが、「眼鏡っ娘には眼鏡を外してほしくない」という気持ち、「『本気を出すために眼鏡を外す』描写が嫌だ」という気持ち、そういった落胆や悲しみや怒りを個人的に表明することそのものは、絶対に否定されるべきではないと思います。否定すべきは、それらをもって攻撃を正当化すること、怒りや憎しみを煽動することであって、感情とその表明そのものではありません。まあ、攻撃という言葉はとても曖昧なので(本人はそれが攻撃であるという自覚がないことも多いですし)、これもただの僕のお気持ちでしかないのですが。嬉しいのとか悲しいのとかあんまり我慢しすぎず、でもギスギスしないで楽しく遊びたいよねえ、という話なんですけど、まあ、難しいですよね。嗜好の話が絡むと特に。

スシローコミュ5話で、真尋は眼鏡を外すことについて相談しにきます。
僕は真尋Pなので、「真尋がそう答えを出したなら」というボタンを押すとき馬鹿みたいに泣きました。彼女が眼鏡を大事にしていること、それでも最初は眼鏡をかけてもいいのか迷っていたこと、眼鏡ごと受け入れられてアイドルをやってきたことを知っているからです。彼女がいままで受け取ってきた肯定に背中を押されて、今回リスクを取ってでも「眼鏡を外す」という答えを自分で出すことができた、その物語を追ってきたからです。

でも、真尋Pとして真尋の物語を追ってきた人は、シンデレラガールズのプロデューサーさんのなかで決して多いわけではありません。ただ「眼鏡を外す」という特訓後スチルを見ただけでショックを受けてしまって、コミュを読むことを放棄してしまう人もいるのではないかなと思いました。
そして、その中に「コミュを読んだらその選択を受け入れられる人」がいるなら、その人に今回の真尋の決断と、それを肯定した作中Pの思いが届けばいいなと思いました。ひとりでも、ふたりでも。

関連資料として貼った連続ツイートで考察しているように、僕は真尋が眼鏡っ娘としてアイドルをやっているのは、「きみは好きなものをなにも諦めなくていい」という作中プロデューサーの真尋に対する肯定と愛情によるものだと思っています。僕は眼鏡をかけた状態でスカウトされたにも関わらず、眼鏡を外そうとした真尋に、眼鏡込みの衣装を与えた作中プロデューサーのことをとても信用しています。

真尋の初期衣装の名前は「ハイスピードフリーダム」といいます。男児向けホビーアニメのなんらかの機体名のような、およそアイドルの衣装の名前らしくはないその名前が、僕はとても好きです。最高速度でどこまでも自由に(走っていけ)、という、北川真尋にのぞむアイドル像としてはこのうえない名前であると思います。今回のスシローコミュ5話クライマックスは、北川真尋があらためて「ハイスピードフリーダム」をコンセプトとして掲げたという意味で、初期Rのリプライズだったのではないでしょうか。

ここまでが[マイウェイランナー]絡みの話。
このあとはもうすこし与太話です。

実際に北川真尋の仕事を決めているのは運営です。僕がなにかさせてあげられるわけではありません。
でも、せっかく貰ったお仕事がちゃんと届くように努力することは、プロデューサーを名乗る僕が彼女にしてあげられることではないかと思いました。

北川真尋にかぎらず、シンデレラガールズの190人は、みんな「肉体や戸籍を持っているかどうか」という意味においては実在しないアイドルです。
でも、僕らプロデューサーが「こんなふうに笑う」「こんなふうに泣く」「こんなふうに生きている」、そう彼女を語る言葉の上に現れます。
ファンでいてくださる、あるいはこれから彼女を知ってくださる皆さんが「あなたはこんな子なんだね」と思ってくださった、その認識の中に彼女はいます。
イラストとテキストという単なるデータを超え、ひとの感情と想像とが重なり合った場所をステージとして、アイドルは立つことができます。
元祖シリーズほどプロデュースと呼べるような要素がない、運営から与えられる情報を後追いすることしかできないシンデレラガールズを遊ぶプレイヤーが、それでも「プロデューサー」であるのは、僕らの想像力が、認識が、彼女たちをアイドルとしてこの世界に呼び出すからだと思います。
真尋Pではない、真尋についてまだよく知らない方が、北川真尋というアイドルをこの世界に呼び出すお手伝いとして、僕の書いた記事やツイートが役に立ったらいいなと思います。


ああ、そうだ、想像力の魔法について。
これは言葉遊びでも概念でもなく、現実にあるものなんだ、という話をしてもいいでしょうか。

2018年のSSAの日に、まえきフェスの会場で、北川真尋を看板娘にしてくれたプロデューサーさんたちがいたことを、真尋Pの僕はずっと覚えています。
たった一枚、描き下ろしでもなんでもない、初期の頃に実装されたSR[ディアンドルガール]特訓前のイラストを飾られただけで、そこに「看板娘・北川真尋」を見てくれたたくさんのプロデューサーさんたちの想像力と認識が、現実世界で真尋にお仕事をさせてくれました。
言及をすべて追うことはできなかったのですが、真尋Pではない人のほうが大多数だったと記憶しています。
正確に言えば、あの日のプロデューサーさんたちは、別に真尋を実在させようとしていたわけではないでしょう。ただ、「真尋のパネルがある」ではなく、「真尋が看板娘をやっている」という言葉を選ぶことで、僕らはすこしだけ次元の壁を超えて、アイドルのいる空間に立つことができる。そういうロールプレイ、そういう遊びです。
自分の担当ではないアイドルについてもそういう言葉を選ぶくらい本気でプロデューサーをやっている、そんなひとたちの眼差しが、「近藤スワインポークさんのスペースで看板娘として働く北川真尋」を、現実に呼び出してくれた。
北川真尋に魔法をかけてくれた。
真尋を担当していないプロデューサーさんたちが、真尋の魔法使いになってくれた。
そんな奇跡のような出来事があったことを、僕はずっと忘れません。
できれば、すべてのアイドルにそういう日が来てほしいと思ったことも覚えています。
※詳しくは当時の連続ツイート(https://twitter.com/eat_sleep_dash/status/1039142234656923653?s=21)に書きました。
(なお、まえきフェスの出店物について調べ、ころとんのしっぽについて述べてくださった上条春菜さんのなりきりアカウントさんがすべてのはじまりだったのではないか、と個人的には思っていますが、時間軸を精査できたわけではないので、正確なところはわかりません。僕は勝手にそう思って感謝しています)

最近は豆乳総選挙で松本沙理奈さんと大沼くるみさんがキッコーマンコラボに登場したり、ソロ曲の実装ペースが上がったりしていて、少しずつでも希望はあるのかなと思っています。
これからもっとたくさんのアイドルのためのステージがあってほしいし、こういう記事が一本でも多く書かれる未来があり続けてほしいなと思います。


なんかまとまらなくなりました。
えーと、同僚のみなさん、プロデューサー業たのしくやっていきましょう。
ご縁があったら、またよろしくお願いいたします。

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