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言葉が不自由でも良いじゃないか!

言葉は自分の意思を伝える手段

自分の気持ちや意思を伝える手段として赤ん坊は
泣き方、大人はお喋りや文書がある。
耳の不自由な方は手話や唇の動きで言葉を読み取
る。
私たち言語障害者はどうだろうかと思うと、非常
に中途半端な位置にいる。
相手の言う事は聞こえるし理解も出来るが自分の
意見などを言う時に困ったことに発音が不明瞭で
あったり、吃ったりして相手に伝わるのに時間が
かかる。
時間がかかるだけなら良いが伝わらない時がある。
私もそうであって一生懸命喋ろうとすればする程
言葉に詰まり言いたいことの半分も言えずに諦めて
しまっていた。
サラリーマン時代は特に言葉が不自由な事に悩んだ。
仕事にしたって、たわいない雑談にしても自分から
口を開くことは少なかった。
私は仕事はコミニケーションが全てと思っていたの
で「この手や足を失っても良いから皆と同じように
話したい!」と思っていた。

病人は私よ

また風邪や体調が悪い時に病院に行くと目の前にいる
病人の私に目を合わそうともせずに、親や妻に症状を
聞いたり病状の説明をしていた事がとても不愉快であり
自信喪失をもたらした。
それでも中には私の目を見て話を聞き、説明してくれる
先生もおられたのは小さな救いだった。

ある障がい者グループに誘われて

世の中にこんな想いをしている人は少ないだろうと思っ
ていた矢先にある方から障がい者がどの様に工夫してい
るのか等を他の障害をお持ちの方々に知ってもらおうと
、少しでも皆さんに元気になって欲しいと言う趣旨のグ
ループに誘われた。
メンバーの半分は私のように脳性麻痺を持った方々で車
椅子の方や言語障害のある方々が集まった。
その中で気がついたのが皆さんとても明るく障害なんて
どこ吹く風と思わせる方々ばかりだった。
その中で活動していく中で私にも変化が現れてきた。
言葉が不自由でも相手に伝わるまで繰り返せば良いじゃ無
いか!何も気にしなくても良いじゃ無いかと変化していっ
た。
実際自分から知らない所にや人に電話なんてする事が無か
ったのが自分で電話したり話しかけたりしていた。
一種の慣れであろうと思う。
今ではその仲間たちとZOOMで最低でも3時間はあれやこれ
やと話をする様になってしまった。

言葉が不自由でも良いじゃないか!
伝わるまで繰り返し繰り返し話そう!
でないと相手に伝わらないし前には進めないから。

乱文になってしまいましたが最後まで読んでいただいてあ
りがとうございました。


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