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フェルナンデス倒産のニュースを目の当たりにして その2


思春期のフェルナンデスの記憶からかなりの時を経て割と近年の話になるが、フェルナンデス社の古いテレキャスターを一本入手した事があった。

某オークションで出品されていたもので枯れた色合いとか廃れ具合が何とも良い雰囲気で数ヶ月に渡って見物していた。

それなりにギターを嗜んでいるといつしか誰しも年代物のビンテージに惹かれると思うが本家のビンテージなどもはや天文学的な値段に高騰してしまいとても手に入るものでは無いし、自分の様な半端者が所有するには持て余す品だ。

よって自分は国産の安価なものでも似たような雰囲気が味わえれば良いと思っていた。私は工業製品は何でも初期型に惹かれる傾向がある。これも外観は1950年代の初期型の仕様だ。

ビンテージな木目に惚れてしまった。

奇遇にもそれは自分が出生した年度のものだったのも所有したいと思った理由だ。


しかしいざ入手してみるとこれが中々のじゃじゃ馬というか予想外のものだった。

黎明期の国産の楽器だと実物を手に入れて寸分違わぬものを作成するメーカーと見様見真似で写真などからコピー品を独自に作成するメーカーに恐らく別れると思われるが、私が入手したのは後者のものだった。

プレートのサイズやピックアップのサイズやビスの位置など所々が独自規格なので現在一般に流通している汎用性のあるパーツが使えない。現在は中国製のものであってもほぼ本家と同じサイズになっており汎用性が高くなってはいるが、この個体に関しては時代の片隅に置いて行かれた感触すらあった。


それに一体どう作ればここまで重くなるのだろう?テレキャスターと言えばレスポールと違い重いギターの代表では無い筈だがこの楽器は4.6キロとかなりヘヴィであった。ここまで重いのはボディの材によるものだろうか。国産の木目を活かしたものはセンが使われる事が多いがひょっとするとボディもメイプルだったのかも知れない。継ぎ目は見当たらなかったのでワンピースという事になるが、かなり贅沢な使い方だ。現在と違い豊富に材があった時代を感じさせる。

しかしそういった要素に反してこのテレキャスターは弾きづらく音もそれ程良いと感じる事は出来なかった。


ピックアップもイマイチだったので気に入ったものに交換したいのだが規格が異なるのでそれも出来ない。加えてその重さもあって気軽に手に取るにはやや気が重かった。

こう書くとお叱りを受けそうだがギターは女性と似たところがある。一目惚れしてからこちらを振り向かせる為に散々苦労してご機嫌を取ったり手紙を書いたりしてようやく交際してみると自分が思い描いていた感情や結果は得られない事が多かったり無かったり好きだという気持ちを高めたり確認したりあれこれした挙句に…なんて所はそっくりだなと思う。

それって私達の事?あんたサイテーね。


それでもバカな男は懲りもせずギターと同様にその煌びやかな容姿や曲線に惹かれてしまうのだ。美人は三日で飽きると言う。私には今ひとつ実感出来ない感覚だったのだが、このテレキャスターは私に色々な事を教えてくれた気がする。

この子と交際?してから私の容姿端麗主義みたいなものは優先されなくなった気がする。これ以降自分の中で大きくなって行った感覚は見た目よりもまず音の良さ、思い描いた音が出てくれるタッチやレスポンスに代わった。

それらは何も値段や材質に比例するとは限らない。事実10数万する個体よりも何処かの家の押入れに何十年か寝かされてた様な捨て値で売られていた個体の方がしっくり来る事もあった。

そんな所も女性というより人と共通した面白さを感じる。一流大学を卒業した人が優秀とは限らない。以前職場で一緒だった凄く頭が冴えて仕事が出来て気の合う後輩がいたが彼は中卒だった。

半年程その反面教師なビンテージ広瀬すずを所有しただろうか。ビンテージと広瀬すずは意味が繋がらないか。ビンテージ・宮沢りえとかビンテージ・アグネス・ラムの方がしっくり来そうだが、ともかく私はその方とお別れする事にした。

さようなら元気でいてね。

罪悪感は無かったが、この子がやって来たのと同じオークションの川に放流する事にした。落札金額は幾らだったか正確には覚えていないが授業料としては充分な及第点ではなかったか。


別れて記憶から消える人、反して様々思い返す人色々いると思うがフェルナンデスのテレキャスターはお別れしても愛おしい類の方であった。今回のフェルナンデス倒産でおまけの様に思い出したもう一つの思い出です。

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