5月17日
あの日の記憶を今こそ書いておかねばならないであろう…まだ記憶があるうちに…
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2014年5月17日私は死んだ。
私だけではない。この日死んだ人は多数いたはずだ…
ASKA逮捕というのを聞いたのは私はニュースではなかった。
妹からのLINEで知ったのだ。
「ASKA捕まったね」
この一行の意味がわからなかった。
たしか「なんで?」と聞き返したはずだ。
返ってきた返信に衝撃を受けた…
いや…それまでも伏線はあった。
東スポの記事、文春の記事…
ある程度の覚悟はあった。
そもそも私がTUGに入り直したのは不穏な空気に「ここで再入会しておかなければきっとチャゲアスの最後は見れない………」そう思ったからじゃないか…
2013年11月私は3回目のTUG再入会をした。
最初に東スポに記事が出た時、私はアンチと食事をしている時だった。
アンチに聞いてみた。「ね、この記事、誰のことだと思う?」
アンチからの答えはこうだった。
「そりゃASKAじゃろ」
「……………。」
ヤツからの返答は痛いところを突いてきた。
文春の記事が出た時、滅多に書き込みもしないFCのBBSに書き込んだ。たしか、「なんでそんなに簡単に人を信用するのか。」的なことを書いた記憶がある。優しい言葉ではなかった…
Be freeが届いた時には「春は必ずやってきますよ」的なことを書き込んだ。
やってこない…
春はやってこなかったのだ…
翌日の職場はこの話題でもちきりだった。
「なんで?なんで?」という声に生ぬるい笑顔で返答していた。
そういえば一過性脳虚血発作ということを知ったのも職場での夜勤中、患者さんの部屋からのテレビであった。
逮捕後、前の職場の師長と話をしていた時言われた「ASKAも色々大変だったんだろうと思うよ…」
この一言は今でも忘れない。
その後の癒しはChageに戴いた。
この時ほど二人組でよかったと感じたことはない。
だから私はChageにも感謝している。
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あれから7年。
ようやく私は「チャゲアスが好き」「ASKAが好き」と今の職場でも言えるようになった。
長かった…7年という月日を経てようやく話せるようになった。
それだけ年月というものは自分を癒してくれた。
いや、自分の治癒力だけではない。
きっと「再び前を向いてASKAが歩き出した」
ここが一番の支えになったはずだ。
再びこうしてCHAGE and ASKA、ASKAを語れるようになった、「今がいちばんいい」
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