夢が叶った日

これだけは忘れないうちに書いておかなくては…
2020年3月13日
最早回顧日記のようになっているこのnoteだが、この日のことだけは決して忘れちゃならない…
ここに書き残しておかなければ…

ASKA MUSEUMがあると告知され、関東近辺にお住まいの方々を羨ましく思ったものである
なんせ人生初の東京はたった2ヶ月前、1月17、18、19日
この時経由したのみであった
初の新潟遠征という乗り継ぎで降り立ったのみ
この時新潟までの新幹線代だけで往復5万OVERという大盤振る舞いを自分にやってのけてしまっていた
だからこそ「当分は行けないぞTokyo」だったのである
それがどうしたことだ…
3月12日の昼間、深夜入りなのに職場の元東京住みの同僚に聞いていたのである「タワレコ渋谷って簡単に行ける?」と…
「おぅ、行けるぞ」ヤツは確かにそう言った
その時点でまだ決めかねていたのだ

翌13日、私は夜勤明けで何故か駅に向かっていた
既に時間は11時半を過ぎている

俺は何処に行くんだろう…どんな顔をしてんだろう…

とにかく駅で乗車券を買った
マスクにアルコール持参で13時過ぎの東京行きに飛び乗った

大阪higher ground 振り替えLiveが行われる予定だった日
新型コロナウィルス感染症拡大防止のため、中止になってしまった日…

新幹線から見える景色「つま恋」の看板に歓喜した

約3時間の旅は夜勤明けでも目が冴え、ワクワクした

辿り着いた東京
初の駅から出る東京
ググって乗り換えを調べた

「山手線」で渋谷に向かう

さてはて、たどり着くのかどうか…

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ちゃんとGoogle先生は私を渋谷駅にたどり着かせてくれた

Twitterで仲良くさせて戴いている方に連絡した

なんとその方、人生初お会いするのに、「電話番号を教えてくださった」のである!

こんなに嬉しいことは人生でもそんなにない

タワレコ渋谷までの道を教えてくださり、私はタワレコ渋谷店に無事たどり着くことができた
あの時このことがなかったら、路頭に迷っていたに違いない…

タワレコ渋谷では大画面にASKAの「歌になりたい」
この歌が流れていた
待ち合わせは大画面の前

お会いできたことにも歓喜した

MUSEUMは貴重な資料が満載だった
残念だったのは自分のスマホが発熱し、写真や動画が沢山撮れなかったこと…

あれは夕方6時頃だったか…
お会いできた方とお話しをしていたその時である

後方から何か大きな声がした
「ありがとう!」だったかもしれない
その声のする方向に当然ながら目を向けた

振り向くとそこにASKA…!?

私は自分の目を疑った

この辺りから私の記憶は途切れ途切れでしか覚えていない…

気がつくと何故か目の前のASKAと握手をしていた…

どのような経緯でASKAが握手してくれている状況になったのかさっぱり理解できていない

そもそも私は2014年香川のChageファンミでChageと握手をしてもらっている
前年11月には村上啓介にも握手をしてもらっている

あと一人…

そう、あと一人だったのだ…

それがこんなに早くやってくるなんて一体誰が思ったことだろう…

ASKAの手は大きく乾燥していた
Chageの女の子のような柔らかさとはここでも真反対だった
何もかもが真反対…
それも感慨深い…

泣きじゃくる男子
男子の方が泣く率が高かった
私はただただ放心した

ASKAは資料を見て回った
それに着いていく我ら

とにかくASKAの歩く方向を妨げてはならない
神の道は邪魔してはならないのだ
そう思い、近寄るのを避けた

帰りは夢見心地だった
いや、抜け殻だった
自分の人生の2/3以上寄り添ってくれていた歌を生み出した憧れのその人はどこまでも優しかった…

あの時ASKAが書いたボードへのサインは自分自身が受け取った初の日付入りサインと思い、今でもスマホの中に保存してある



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