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KFC前でのvegan活動に思うこと③

 本稿では、前回の続きとしてアベマプライムでの過去のヴィーガン関連討論のおさらいをする予定だったのですが、その前に私が動物解放への道のりをどう考えているのか立場を明確にしておかないと読まれる方によってはきっともやもやさせてしまうなぁと感じたので、先にそれについて書こうと思います。

 なお、動物虐待には様々な形態がありますが、今回のKFC前vegan活動に関するシリーズ投稿では主に工場式畜産を対象に論じています。

AWがARを遠ざけるとは思っていません

 AWはアニマルウェルフェアの略で、ARはアニマルライツの略です。アニマルライツとは、「動物が動物らしく生きる権利」のことであり、これが完全に実現された状態と畜産業は両立し難いと言えます。
 アニマルウェルフェアについてはいろんな説明の仕方があるようですが、こちらを引用します。

アニマルウェルフェアは、「動物は生まれてから死ぬまでその動物本来の行動をとることができ、幸せでなければならない」とし、家畜のストレスが少なく、行動要求が満たされた健康的な生活ができる飼育方法を目指す畜産の在り方だ。

https://kokocara.pal-system.co.jp/2021/04/30/animal-welfare/

 畜産業の存在を前提としてその在り方を問うていると言えます。

 当たり前ですが、ヴィーガンにもいろんな考え方の人がいます。中でも見解が大きく分かれるものの一つにアニマルウェルフェアへの賛否があるようで、昨年ツイッター上で大激論が交わされていました。反対派の意見は次のようなところかと思われます。

  • 搾取を前提としたAWをヴィーガンが推し進めるのは間違っている

  • AWは免罪符となってさらなるAR迫害に拍車をかける

 こういう考え方があること自体を私はこの時初めて知りました。反対される方々の主張内容やその根拠をもっとよく学べば意見が変わるのかもしれませんが、少なくとも現時点では、私はAW推進にもヴィーガンがそれを推すことにも賛成です。なぜなら、ヴィーガニズムのような社会正義にもとづく運動による世の中の変化は一気に起こるものではなくグラデーションがあると考えていて、その過渡期において渦中の人々(この場合は動物たち)を少しでも楽にしてあげられるならそうしたいからです。

日本の分煙化の歴史

 30代以下の方には想像がつかないのではないかと思いますが、私が就職した頃は隣に妊婦さんがいても自席で煙草を吸うことができました。マスクをするくらいしか自衛手段がなく、今からは考えられない世の中でした。受動喫煙防止がマナーからルールに変わり、法での規制が実現したのはつい最近のことで、なんて長い時間がかかったのだろうと思います。

 私もまだ子供だったので記憶にないのですが、1980年に日本初の分煙訴訟が旧国鉄に対して起こされています。今の常識から考えれば勝訴しそうな内容ですが、敗訴しました。しかしながらこの裁判を契機に、それまでも徐々には行われつつあった分煙化が活発化したそうです。

 禁煙車両の導入やホーム・構内の分煙化による移動中の受動喫煙防止、飲食店の禁煙席設置による食事中の受動喫煙防止と、非喫煙者が我慢する時代から、喫煙者が我慢する時代へ徐々にシフトしていきます。

 2003年の健康増進法の施行によって多くの人が利用する店舗や施設において受動喫煙対策が施されましたが、この時点ではまだ努力義務でした。当時をご存知の方ならわかると思うのですが、分煙とは名ばかりでほとんど意味のない店舗も多くありました。

 そして2020年4月1日に全面施行された改正健康増進法によってついに罰則規定が設けられ、多くの施設で原則として屋内禁煙となりました。屋外でも敷地内禁煙や路上禁煙が進んでいます。1980年時点でここまで喫煙者の立場が弱くなると予想した人はあまりいなかったのではないかと思います。こうした段階を踏まなければならなかったことの是非はさておき、ひとつの事実として、非喫煙者の権利獲得はそういう経過を辿ったのです。

過去から現代における喫煙と分煙の歴史-コラム | エルゴジャパン (ergojapan.co.jp)

 妊婦さんが居るのに煙でもうもうとしたオフィスを見て、どうしてこんなことが許されているのかと愕然とした日から時間はかかりましたが、社会は確実に良い方向へ変わって行っていると思います。とは言え、罰則のない条例はおろか、罰則のある法律ですら守らない人も居ます。屋外に正規の喫煙場所が設けられなくなったことでかえって路上喫煙が増えた場所もあるなど、非喫煙者の苦難が終わったとは全く言えません。逆に吸う権利の侵害と戦っている方もおられるでしょう。今の喫煙率を考えれば、禁煙化は大多数の人にとって良いことのはずですが、それでも吸わない権利が完全に守られる状態にはなかなかならない現状があります。

アメリカの女性参政権の歴史

 日本で女性の参政権が得られたのは第二次世界大戦後であり、戦前から活動していた方々がおられるものの結局は敗戦したことで実現した面があるので、日本に女性参政権をもたらしたアメリカの経緯を参考にしたいと思います。

 自由の国と言われるアメリカにおいても、1776年の建国から長きに渡り、女性には参政権がありませんでした。1870年に黒人男性の投票権が憲法上で認められましたが、女性参政権は認められませんでした。結局、1910年のワシントン州を始めとしてまずは州法から先に広がって、1920年8月26日にようやく合衆国憲法に「投票権における合衆国および各州の性差別禁止」が明記されることとなります。時の大統領ウィルソンは女性参政権に断固反対でしたが、第一次世界大戦参戦にのためには女性の協力が必要であると考え、支持するようになりました。米国においても、戦争がなければもっと時間がかかっていたのかもしれません。

アメリカの女性参政権 (y-history.net)

 なお、英国においても女性の参政権はなかなか認められず、その成立はアメリカよりも遅いのですが、段階の踏み方は異なっています。1918年に成立した第4回選挙法改正でまずは「戸主又は戸主の妻である30歳以上の女性」という限定条件付きで実現しました。男性には21歳以上という条件しかなかったにもかかわらずです。この差が解消され、男女平等の成人普通選挙権が成立するのは10年後の第5回選挙法改正です。この法改正においても、第一次世界大戦中にそれまで男性が担っていた職業を女性が担ったことが大きく影響したと言われています。

イギリスの女性参政権 (y-history.net)

 是非を問うなら、こんな風に段階を経なればならなかったことはもちろん非ですが、ひとつの事実として、女性の参政権獲得はそういう経過を辿りました。

人も世の中も一気に変わるのは難しい

 非喫煙者が受動喫煙を回避する権利の獲得と女性の参政権獲得を例にあげましたが、おそらく類似の例は枚挙にいとまがないと思います。一人の人間が思考や習慣を変えるのでさえ、とても難しいことが誰しも経験的にわかるのではないでしょうか。個人差もあるとは思いますが、35歳くらいからだんだんと新しい物事を取り入れにくくなり、45歳を過ぎる頃から脳の柔軟性の衰えが顕著となるように思います。60歳を超えてから、それまでのものの考え方や生活習慣を一変させた人というのは、私の身近ではあまり思い当たりません。
 でも、必要に迫られて徐々に変わって行くという形でなら否応なしに対応していると思うのです。世の中が徐々に変わって行くことは止めようもないので、自分もそれに合わせて変えて行かざるを得ない状況がたくさんあります。キャッシュレス決済などは良い例でしょう。
 いきなりARを実現するのは難しいので、まずはAWを目指して段階的に変えて行こうとするのは現実を見据えたアプローチだと私は考えています。

一般の人々への暴言には強く反対です

 ヴィーガンが、お肉を食べる人々に向かってSNS上で暴言を吐くことには反対です。辛辣な言葉や侮蔑的な言葉を浴びせかけることで、アニマルライツに何らかの進展が得られることはないと思うからです。いたづらにヴィーガンへの反感を煽り、動物たちの惨状から目を逸らす格好の言い訳を作ってしまっているように思えてなりません。
 なお、「一般の人々」は「権力者・支配層・大企業」と対比して使いました。後者に対しては、インパクトのある多少きつめの物言いをする方が功を奏する場合もあると思っています。

二極思考の危うさ

 物事をゼロか百かでしか考えられない状態のことを指す言葉がいくつかあります。ゼロヒャク思考、白黒思考、二分割思考、二極思考など。多くの物事にはグレーとしか言いようのない部分、グレーのままにしておいた方が良い部分があるのにもかかわらず、それを認めることができなくなっている状態です。私自身が長らくそうでしたし、根本的な感覚は変わっていません。でも今は、それは成熟した人間の思考ではないと考えているので、努めて陥らないようにしています。

自律神経専門整体師の原田賢氏によれば、二極化思考の人はまわりの人を好きか嫌いかだけで分ける傾向があるとのこと。一度嫌いと思った相手のことをなかなか好きになれないので、人間関係でのストレスを抱えがちになります。「言い方にトゲがあるけれど、責任感がある」といったように、相手のいい面と悪い面の両方を見ることができれば「苦手だ」という印象も変えられるのに、それができないのが二極化思考の困った特徴なのです。

https://studyhacker.net/stop-negative-perfectionism

 ヴィーガンが二極思考に陥ると、非ヴィーガンに対する嫌悪感が激しくならざるを得ません。いともたやすく暴言を吐いてしまう心理状態の根源は、動物たちへの思いよりもその人自身の二極思考にある気がしてなりません。それを示していると思う現象として、暴言を吐きがちなヴィーガンさんは、非ヴィーガンのみならず意見の合わない他のヴィーガンのことも攻撃したり遮断したりしがちです。

 二極思考に陥っていても、学校や職場で一般的な社会生活を営んでいるならば、現在圧倒的多数派である非ヴィーガンともそれなりに付き合っているはずです。そして、そのリアルな付き合いの場ではSNS上でしているような敬意のない言葉遣いはおそらくしていないと思います。本来は理性でコントロールできるはずなのです。

怒りで他人は変えられない

 怒りの感情は、自らを奮い立たせるには絶大な効果を持っていると感じますが、それで他人をも突き動かせるかというと無理な気がしています。他人を変えられるのは愛と倫理とルールだけだと思うのです。ヴィーガニズムの根底も愛です。その人自身が動物を愛おしいと思ったり虐待される様子を可哀想だと思うか、特に動物が好きでも愛情が湧くわけでもないがこんなことはいけないという倫理感に目覚めるか、あるいは法規制がかかったためやむなく従うか。法で規制をかけるには多数派にならねばならず、味方を増やしていかなければなりません。ヴィーガンヘイトを助長するのはアニマルライツの実現に向けては逆効果となります。
 SNS上である人に放った暴言を目にするのはその人だけではありません。多くの人の目に映ってしまうのです。他人を貶める言葉を安易に用いる人々が動物への倫理的な扱いを求めても響かないと思います。賛同してくれるのは同じ立場の人だけでしょう。本当に動物のためを思っているのであれば、仲間内で肉食ヘイトに盛り上がるのではなく、誰に向かってどんな発信の仕方をするのが効果的かをよく考えてみて欲しいと思っています。

脱肉食への道

 畜産の廃止などできないとは思いたくないのですが、早急な実現が望めないことは変えようのない事実です。でも、お肉を食べている人々も、ほぼ全ての方が動物たちの飼育環境改善には反対しないと思うのです。それが価格に跳ね返るとなると意見が変わってしまう場合もあるかもしれませんが、受け入れて欲しいと訴えていくしかないと考えています。食用肉が、本来包含すべき適切な飼育環境維持のためのコスト、環境負荷を軽減するためのコストを含んだ価格になれば、代替肉等の菜食に移行する人も増えるはずです。市場が成熟すればプラントベースの市販品も今よりずっと質・量ともに充実してくるでしょう。そうして世の中が徐々に命の大量消費から脱却していければと思い描いています。

 一旦脱線しましたが、次回からアベマプライムの過去のヴィーガン関連討論のおさらいに戻ります。各番組内容への批評は、今回のノートに書いたような考えを持っている私の立場で書いているという前提で読んでいただければと思います😊



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