ひっそり置いておく近況(?)

先日親戚のおじさん(おじいさん?)と会ったり、最近色々な人に出会ったり、再会したり、引っ越したり、たくさんのことがあってちょっと考えがまとまりかけたので。粉が水回しできた程度でしかないので生地になるほどまとまってないけど。あ、生地と記事が掛かってるやん。うまいね。

しれっと書いたけど引っ越した。親と離れて祖母の住む田舎に帰った。自然豊かだけどその分砂埃とかもすごいからなんとも言えない。アレルギー…

で、本題。

自分で勝手に人生の先生だと思っている恩師が2人いる。実は3人とか、感謝してる恩師ってもっともっとたくさんいるんだけど、そのうちでも特に長い期間世話になってるのは2人。

おじさんはその先生の1人と全く同じことを言った。数年会っていないし、そもそも生まれてから数回しか会っていないにも関わらず、ずっと見守ってくれている恩師と同じ言葉が出てきた。

この2人、見る目が違うんだなと思った瞬間だった。

そしてそのおじさんは俺に賛同してくれた。

「いつ死んでもいいように生きたいから、先のことを考えている余裕が今はない」っていうようなことを話した。

今ダラダラしてたり散財してる言い訳なんじゃないかとか、将来からの逃げなんじゃないかとか、そんなことは自分でも思う。ぶっちゃけ逃げてる気もする。でも、明日死んでも後悔はほとんどない。あるとすれば、来週二郎行く予定があるとかそういうぐらいw

昔はよく「ひいばーちゃんに玄孫の顔を見せる」とか、当たり前のように気づいたら親になってるもんだと思ってたけど、現実そんなに甘くない。単純計算で25で子供作れば100歳で玄孫だなーとかそんなこと思ってた時期もあった。あれ、今何歳だっけ…?

それに、病気もそうだし、そもそも経済力もあるわけないし、そういう意味で愛されるタイプの人間でもないしね。

病気に関してで言えば、生物学的に自分は淘汰されるべき存在だと思う。わかってないとはいえきっと遺伝子系の病気だろうから、この血は絶えるべくして絶えるんじゃないかとか。そんなことも思う。

しかし、こんなに理解してくれるおじさんが親戚にいたのは本当に嬉しかったな。(あ、昨日某人に訊かれた「最近嬉しかったこと」、これだわ。今度会ったら話さないと。)会ったことはないけど、じいちゃんにはもっと感謝しないと。

書き忘れてたけど、恩師とおじさんから出た同じ言葉、それは「先生になればいい」というもの。

先生と言っても学校の先生ではなく、なにか教えることが向いているだろうとのことだった。

今関わらせてもらっている教育系企業で「仕事」についての高校生たちの意見をチラッと聞いた。その時、彼らはやはり「好きなことを仕事にできるのがカッコいい」ということを言っていた。自分もそう思う。

ただ、100%そうは思わなくて、自分は「好きなことを義務的にやらされたら嫌いになる」と思うから、趣味=仕事にはしたくない、というかできないと思っている。

それこそHIKAKINさんだったり、世の中にはそういう人がたくさんいるが、それは立派な人間の皆様。俺みたいな凡人どころか落ちこぼれになってしまった人間からしたら眩しすぎる。

そういう意味で、教育はほどほどに向いていそうな気がしたが、なにをしたらいいかはよくわからない。第一、単独で動けないから普通にはやりようがない。とりあえず知り合いの子になんか教えてみようか。

とりあえず、周りの人間に何も邪魔されず、ゆっくりしたいんだけど、それぐらい許してもらえねぇかなぁ。俺の存在ってどうしてもストレスになるだろうしなぁ。なんかなぁ。

そんな感じの書き殴り。

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