サイボーグはオモシロ人間になりたい

1冊のエッセイを読んだ。多分わかる人には時期とか諸々でバレる。

いやまあ感想としては深い何かがあったわけでもなく普通にめっちゃ面白かったんだけど、読んでて

「あ、この人いつも通りだな」

ってのが見えたというところ。

こういう落書き的な何も意図のない(つったら失礼か)ような、思ったことを書いてるだけの文章は人となりが本当に現れるなってのを実感した。や、見えてる部分だけしか感じ/読み取れていないんだろうけど。

そういう意味では自分はTwitterをそういう使い方をしていて、思っていることやその時の脳内を言語化したものをただひたすらに高速で垂れ流しているだけになっている。人と会えば口が閉じない人間なので、口が閉じていれば指が動くという感じ。でも普段口にしない内容も多いから、あんまり人に見せるものでもないと思う。

(ちなみにそのエッセイ内において日記についての記載がある。「日記というのは誰にも読ませる気がないはずなのに、誰かに読まれてほしいような文体で書いてある」みたいなことが書かれているが、自分のこういう落書きやTwitterの使い方は確かにその通りかもしれない)

だからこそ、LINEだったりTwitterだったり、古くはSMSやメールにおいて、一定以上親しい人間には"直接会った時と口調だったり印象が完全に同じ"と言われがちだし、多分そう思われていると思っている(もちろんこのnoteは比較的丁寧にバイアスをかけてある)。

どうでもいいけど()で注釈などを挟むときには"。"の直前に()部分を挟むのが好き(伝われ)。


(ここまで前半)


閑話休題。ここまで書いていて思うのは結局自分はそこまでオモシロ人間であれないのかなぁということ。自分の思う/憧れる"オモシロ人間"はもっと楽しそうだし、発信されるものも面白い。今日読んだエッセイの著者は俺の中では"超絶オモシロ人間"であって、人生が本当に楽しそうで。

トンデモ経験は自分もそれなりに自信があるけど、それを面白く料理して発信できるスキルが"オモシロ人間"には到底太刀打ちできないと思う。メイン張れる食材はあるんだけどな。

なんたって俺、サイボーグだし。

読み返してみて大して面白くもないなぁって思うのは自分自身だからなのか、はたまた本当に面白くないのか。

読んでみたら内容が急に飛んでいたので、前後半で分けて適当に成り立たせておく。前半を読み返しての後半、みたいに思ってほしい。


多分こういうまとまりのなさがオモシロ人間になるには不足している部分で、今も結局書きたい(というか話したい?)内容が次から次へと出てきてしまう。

そのあたりはTwitterに投げておこうかな。オモシロ人間のみなさんってすごいなぁ。

サイボーグでいる間に、オモシロサイボーグになれたらいいかな。競走倍率低そうだしな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?