【ウクライナ情勢】 西側メディアの描く"ウクライナ軍優勢の幻影"を追いかけていては騙されるだけ 櫻井春彦
再掲
櫻井ジャーナル
2023/08/01
窮地に陥っているバイデン政権だが、ルビコンを渡った以上、ウクライナ戦争からは撤退できない
アメリカのジョー・バイデン大統領やアントニー・ブリンケン国務長官は「ロシアが負けた」と主張している。当初からロシアが目指していないウクライナ全土の占領をロシアは達成できないから「敗北」なのだと言いたいようだ。架空の「目的」を阻止したので「任務完了」ということにしたいのだろうと推測する人もいるが、事実とは大きく乖離した主張だ。
大統領就任の直後にルビコンを渡ったバイデンは撤退できない。
昨年2月24日にロシア軍はミサイルでウクライナに対する攻撃を始めたが、その直前にウクライナ軍の部隊がドンバスの周辺に集結、砲撃が激しくなっていた。大規模な攻撃を始めようとしていることは容易に想像できた。
アゾフ特殊作戦分遣隊(アゾフ大隊)が拠点にしていたマリウポリや岩塩の採掘場があるソレダルにはソ連時代、核戦争に備えて地下施設が建設されていた。それらを利用し、アメリカ/NATO/ウクライナ軍は2014年から8年かけてドンバスの周辺に要塞線を築いた。その内側へロシア軍を誘い込み、動けなくした上で別の部隊にクリミアを攻撃させようとしていたとも推測されている。
しかし、ウクライナ軍がドンバスで住民を大量虐殺する前にロシア軍がミサイルでドンバス周辺のウクライナ軍部隊を壊滅させてしまった。この直後にウォロディミル・ゼレンスキー政権がイスラエル政府を仲介役としてウラジミル・プーチン政権と停戦交渉を始めている。停戦交渉を止めさせたのはイギリス政府やアメリカ政府だ。
ウクライナの戦乱はバラク・オバマ政権が2013年11月から14年2月にかけて行ったクーデターから始まる。排除されたビクトル・ヤヌコビッチ大統領を支持していた東部や南部の住民はクーデターを拒否、クリミアはロシアと一体化し、ドンバスでは内戦が始まった。
クーデター後、ウクライナ軍の将兵や治安組織の隊員は約7割が組織から離脱し、一部は反クーデター軍に合流したと言われている。残った将兵の戦闘能力は低く、西側諸国が特殊部隊や情報機関員、あるいは傭兵を送り込んでもドンバスで勝利することは難しい状況だった。そこで内務省にネオ・ナチを中心とする親衛隊を組織、傭兵を集め、年少者に対する軍事訓練を開始、要塞線も作り始めた。そうした準備のために8年間が必要だったのだろう。
その時間稼ぎに使われたのがミンスク合意のようだ。合意が成立した当時から西側では「時間稼ぎに過ぎない」と指摘する人がいたが、この合意で仲介役を務めたドイツのアンゲラ・メルケル(当時の首相)は昨年12月7日、ツァイトのインタビューでミンスク合意は軍事力を強化するための時間稼ぎだったと認めている。その直後にフランソワ・オランド(当時の仏大統領)はメルケルの発言を事実だと語っている。
そして始まったのが昨年2月からの戦闘。バイデン大統領や彼の側近たちはロシアに勝てると信じていたようだが、無残なことになっている。アメリカ/NATOの命令でウクライナ軍は「玉砕戦法」を強いられて多くの死傷者が出ている。
訓練も装備も不十分な部隊を突撃させ、ロシア軍を疲弊させた上で温存していた「精鋭部隊」を投入するつもりだったようだが、そうした状況を作れないまま「精鋭部隊」を使わざるを得なくなっているとも言われている。
ジョージ・H・W・ブッシュ政権の国防総省を支配していたネオコンはソ連の消滅を受け、「DPG草案」という形で世界制覇プランを作成した。1992年2月のことだ。この時の国防長官はディック・チェイニー、次官はポール・ウォルフォウィッツ。このウォルフォウィッツが中心になって作成されたことから「ウォフロウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。
1990年に東西ドイツが統一される際、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官はソ連側に対し、統一後もドイツはNATOにとどまるものの、NATO軍の支配地域は1インチたりとも東へ拡大させないと1990年に語ったとする記録が公開されている。
ロシア駐在アメリカ大使だったジャック・マトロックによると、ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフに対し、NATOを東へ拡大させないと約束しているほか、ドイツの外相を務めていたハンス-ディートリヒ・ゲンシャーは1990年にエドゥアルド・シェワルナゼと会った際、「NATOは東へ拡大しない」と確約し、シェワルナゼはゲンシャーの話を全て信じると応じたという。(“NATO’s Eastward Expansion,” Spiegel, November 26, 2009)
こうした約束を無視してNATOは加盟国を東へ拡大、かつてドイツが行った「バルバロッサ作戦」のように旧ソ連圏を侵食していく。これはロシアにとって国家存亡の危機だ。
ブッシュ大統領が1期で終わったのはNATO拡大に消極的だったからだとする話もあるが、1993年1月に就任したビル・クリントン大統領も当初は軍事侵攻に消極的だった。
そうした流れが大きく変化したのは国務長官がウォーレン・クリストファーからマデリーン・オルブライトへ交代した1997年に1月からだ。
1998年4月にアメリカ上院はソ連との約束を無視してNATOの拡大を承認、その年の秋にオルブライト国務長官はユーゴスラビア空爆を支持すると表明、チェコ、ハンガリー、ポーランドが加盟した1999年3月にアメリカ/NATO軍はユーゴスラビアを先制攻撃、その際にスロボダン・ミロシェヴィッチ大統領の自宅を破壊し、中国大使館を爆撃している。この時からNATOは旧ソ連圏を侵食していく。
ユーゴスラビアの解体をアメリカの支配層が消えたのは1984年。当時のアメリカ大統領、ロナルド・レーガンが「NSDD133(ユーゴスラビアに対する米国の政策)」に署名している。
プーチン大統領は今年6月17日にサンクトペテルブルクでアフリカ各国のリーダーで構成される代表団と会談、「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案を示している。その文書にはウクライナ代表団の署名があった。ウクライナ政府も停戦に合意していた事実を示し、ロシアは戦乱を望んでいないことをアピールした。
イギリスやフランスなどヨーロッパ諸国はアフリカを侵略、資源を略奪することで富を築いた。第2次世界大戦後、支配の手法は金融システムが中心になるが、略奪は続いている。そうした怒りがウクライナにおける「ロシアの勝利」を切っ掛けにして噴出し始めたかもしれない。
ニジェールでは軍がクーデターを起こし、フランス傀儡のニジェール大統領を拘束。アメリカのブリンケン国務長官は同大統領への「揺るぎない支持」を伝えたという。
在ニジェール・フランス大使館の周辺に集まった多くの人びとは軍によるクーデターを支持。「フランスを潰せ」「マクロンを潰せ」そして、「ロシア万歳」と叫んでいるという。