伝説の活動家その生涯を終える

8月7日、1970年代からウーマン・リブ活動を牽引した『田中美津』という独りの女性が、その生涯を終えたというニュースを見つけ、書こうと思う。

活動家『田中美津』を描いたドキュメンタリー映画「この星は、私の星じゃない」の監督、吉峯三和さんに、トークイベントへの出演をお願いするため、ぼくが彼女を尋ねたのは5年前のことである。

その日は、名古屋での上映会初日、控室の扉を開けると吉峯さんの隣には『田中美津』の姿があった。

お会いできると思っていなかったこともあるが、彼女の印象があまりにも想像と違ったことにぼくはすこし拍子抜けした。

1970年代といえば1ミリの隙もなく男性優位な社会、その時代に全国から女性を集め、その社会復権を叫ぶような人物ならば、相当なエネルギーに満ち、男性を圧倒するようなオーラのある人物だとぼくは勝手に想像していたからだ。

ただなんてことはない、身長はぼくの胸くらいで、体付きも細々として華奢、話す口調も静かで淡々としている、失礼だが普通過ぎるおばあちゃんだ。

それでもぼくは、彼女に「吉峯さんにご協力いただき、映画のご紹介をさせてください」とお願いした。

すると彼女は「そうですか、頑張ってください」と小さく応え、ぼくを見上げたその瞳をぼくははっきりと覚えている。

そこにはまるで、狼のような銀色の眼光が揺らめいていて、伝説の活動家を前にしたぼくは逆さに吊らされたニワトリのようだった。

あの光はなんだったのだろう、孤独なのか、反骨なのか、固まり切れないマグマのような、個体でも液体でもない水銀のような………

彼女は鍼灸師として働きながら最期まで社会活動家として生きたと聞いている、もし彼女がその役割を終えたのであれば、それはいよいよ世界が変革へと移行する証なのかもしれない。