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せめてもの かけらたち

 父の家族は元々は福岡県の出身ですが、父の曽祖父の代から北朝鮮に移住し、父は永興という町で生まれました。実家は雑貨店を経営し、少年時代は幸福だったようです。しかし、植民地だった故郷は敗戦の日を境に一瞬で消失しました。この衝撃は父のその後の人生に常にまとわりつき、そこからもがく過程で生まれてきたのが父の作品だとも言えるでしょう。鮮明に記憶に残る場所が「無い」ことをどう受け止めれば良いのか。日本に引揚げてきてからずっと自問し続ける日々。自分が現在いる場所も営んでいる生活も、どこか夢のように思えてしまう。自分が足元に積み重ねてきた時間の一部をだるま落としの積み木の様にごそっと抜き取られ、にもかかわらずなぜかだるま=自分だけが宙に浮いているような拠り所のなさ。父の作品を読んで私が描くイメージを喩えるならそんな感じです。
 小説家となった父は自問を作品に託し、それをきっかけに故郷の手がかりを得たり、離れ離れになった知人や友人との再会を果たしました。現在のネット社会であれば容易に叶うことですが、そうなる以前一つの再会を果たすために何度の電話、何通の手紙が行き交ったことか。確かに父は、非常に筆まめでした。職業柄書くことが苦でなかったせいもあるでしょう。あの一通一通で手繰り寄せる失われた故郷や戻ってこない遠い時間の「かけら集め」によって父は「今」という時間になんとか居場所を作れていたのかもしれません。
 時間と心の空洞を埋めるための、せめてもの
かけらたち。集めるために書き、集めたものを書き、書いたものがスレッドとなって別のかけらにたどり着く。その繰り返しの中で、奇跡とも言えるような再会も父は果たしています。たまたま転居したマンションの目と鼻の先の別棟に古い知り合いが住んでいたということもありました。父の集めたかけらを収めた作品という名の箱は決して壊れる事がありません。ただ、忘れられてしまうという可能性はあります。そうならないよう守っていくことが、娘である私の役目だと思っています。

※タイトル上の写真は、父の父です。敗戦後の引揚げの途中で病死しました。


卒業アルバムの写真と思われます。前列左が父。弁論部だったらしいですね。確かに口は達者でした。



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