独身写真集なるもの
このアカウントの記事を書くために、父の古いアルバムを実家で掘り起こしたところ、棚の隅に意外なものが隠れていました。スケッチブックに収められた父の若き日の写真です。表紙をめくるとボールペン書きで『独身写真集』と書かれています。筆跡は父のようでもあり、違うようでもあり。内容はタイトル通り、1954年22歳から1960年初めくらいまでの父と友人、家族との写真が収められています。
一見普通のアルバムですが、私の心にはザワザワと違和感が渦巻いています。何故わざわざ独身時代をクローズアップするまたは人生においてカテゴライズする必要があったのか?まるで青春との訣別を覚悟したかのような重さがタイトル文字から伝わってくる気がします。
また、写真のレイアウトの几帳面さや、一枚一枚撮影年月、場所が丁寧に添えられていることに、「父らしくなさ」を強く感じます。父の作品をお読みになった方なら共感してしていただけるのではないでしょうか。小説の資料を紙袋に入れたまま放置したり、調べるのを途中でやめたりは常の事。挙句の果ては「結局調べなかった」「わからなかった」と作品に書いてしまうような人ですよ?
真相についてはもはや知るすべはないでしょう。それを良いことに妄想に任せ、私はひとつの仮説を立ててみました。
「このアルバムを制作したのは、父ではなく、独身時代に非常に近しかった誰か、である。その人は父の写真の保管法が無造作なのを見かねて、スケッチブックに貼ってくれた。時は過ぎ、結婚後のある日久しぶりにこのスケッチブックを見つけた父は、過去への想いを込めて白紙だった1ページ目にボールペンでタイトルを書きつけた。」
もし、父の存命中にこのアルバムの存在を知ったとしたら、全く違う受け止め方をしたのではないかと思います。今の父と私の距離感であるからこそ、私はふざけた仮説を立てて楽しんだりできるのでしょう。父の人生の中で、私が存在しない時間の断片。それがこのアルバムに集約されていると考えながら、ボールペンのタイトル文字を見つめています。この文字こそが、写真よりも強く語りかけてくるような気がしてなりません。
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