父の教え

それ程口数は多くなく、一緒に出かけた記憶もあまりない父だけれども、私が何か決断する時は、いつも父の一言が大きく影響しているように思う。

中学生になり、生徒手帳には様々な校則が書かれていた。前髪は眉にかからないように、スカートの丈は長すぎず短すぎず、靴下は白、指摘されたセカンドバッグ以外は禁止などなど。私がそれを忠実に守ろうとすると、父は「何でその校則を守るんだ?どうしてその校則が出来たのか、自分の頭で考えて、納得してるのか?」と言う。決まりは決まりだから守らなきゃいけない、と答えながらも、確かに人に迷惑をかけるわけでもなし、スカートの長さなんてどうでも良いんじゃないか、と思えてきた。試しに長いスカートを履き、特に禁止されてるわけではなかったので上履きに派手な落書きをしてみた。どちらかと言うと優等生だったのだが、それをきっかけにちょっとやんちゃ系の友達もできた。本格的に不良グループに深入りする前に、また自分で考えて優等生モードに戻したが、なるほど、類は友を呼ぶということを体感できた。

高校受験の頃になると、父は「義務教育は中学までだから、高校は行かなくても良いんだぞ」と言う。どうしても行きたいなら、高校卒業してすぐ働けるように、商業高校に行け、と言う。私も早く経済的に自立したかったので、働くことに異論は無かったが、どうにも簿記や算盤の勉強に興味が持てない。結局は学校の先生と相談して、就職にも強い都内の私立高校の進学コースに進んだ。学費は免除になったが、通学に交通費がかかる。父は、「自分で決めた進路なのだから、交通費は自分で稼げ」と言う。バイト禁止の学校だったが、絶対に成績は落とさないという約束で許可をもらい、せっせと交通費を稼いだ。お陰で、サービス業の厳しさを知り、卒業したら公務員になろう、と思えた。

高校三年生で、秋には公務員試験にも受かった。が、高校時代に知り合った友人たちの影響で、やはり大学で学びたいなという気持ちもあった。12月になって、働きながら夜間大学にも行きたい、と言い出した私に、父は、「若い頃の苦労は買ってでもしろ、というからね。自分で学費を稼ぎながらやってみたら良い」。ならば、とちょっと無理めだけど行きたい大学、受かりそうな大学と3校ほどピックアップして、ここを受けようと思う、と相談すると、「滑り止めなんかダメだ。どうせ行くのは一校なんだから、行きたいところだけ受けろ」と言う。「やりたい勉強があるから大学に行くんだろう。その大学じゃなければできない勉強なんじゃないのか?落ちたら他の所でもいいような、そんな程度なら大学に行く必要はないだろう」。確かに、小説を書きたい私にとって、勉強したいコースがあるのは無理めで難しい大学だけだ。父の言葉で腹が決まって、短期間で猛烈に勉強をした。英語だけなら東大に受かるんじゃないかと思うくらい勉強した。背水の陣、というのを経験として掴むことができた。そして、働きながら、憧れの大学で多くの学びを得ることができた。

結婚して仕事を辞めることを決めた時、父はポツリと「あんなに頑張って仕事も勉強もやってきたのに、もったいないなあ」と呟いた。男の子を育てるように、いつも厳しい方を指し示していた父は、実はずっと心の中で私のことを応援し続けてくれていたんだ、と初めて知った。

主人もちょっと父に似たところがある。三人娘には、厳しい選択をさせる。その時に、私は確信を持って娘に伝える。母もそうしてくれたように。

お父さんはよーくあなたのことをわかって、考えて言ってくれてるんだよ。本当に応援してくれてるんだよ…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?