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無責任な「かわいそうに」

子どもを産んだその瞬間に助産師さんから"お母さん"や"ママ"と呼ばれるようになります。
もちろん、自分ではまだ母親になった感覚はないです。

1人目って全てが初めてで、右も左もわからない状態から育児がスタートします。
わからないなりに育児書を買って、インターネットでも検索して調べようとしますが、書いてあることはそれぞれみんな違うので、これが正解!というものはほとんどありません。
だからこそ子どもが泣いていると、今寒いのか暑いのか、お腹が減っているのか、オムツ交換なのかを見極めるのはすごく困難なんです。

そんな手探りの育児中ですが、子どもを連れて散歩やお出かけをすると、見知らぬ方から声をかけてもらうことが増えました。
「かわいいね」「性別はどっち?」
大体こんな感じ。でも中には
「赤ちゃん寒そう、かわいそうに」と言われます。
この"かわいそうに"は私にとって1番不安を煽り、自己嫌悪に繋がります。
言ってる本人は決して母親を懲らしめてやろう!と思って言った言葉ではないことは重々承知。ですが、産後のストレスにより心身共にダメージを受けている私にとってその言葉の重みは計り知れません。
「子どもを思って言ってくれている」と変換して受け止めればいいですが、そんなキャパはありません。

この"かわいそうに"は無責任だと思います。
子どもと接している時間、子どもを観察している時間、そして子どもへの愛情を注ぎ1番大切にしているのは私や主人です。
昔の育児から今の育児はだいぶ変わりました。真逆のことを言っていることも多くあります。でもそれはエビデンスに則っていて、根拠のあるものです。

心配してくれるのは結構なんですが、私や主人はそれ以上に子どもを心配したり、自分なりの調べ方で知識を得ています。きっと他の新米ママさんやパパさんも同じでしょう。
そして情報過多なために取捨選択を迫られ、時に正確な情報でさえも正確と受け取れないことがあります。

その「かわいそうに」はいろいろな思いで投げかけられますが、時にそれは親たちを悪者扱いにさせます。
言った側は、想像をどこまで膨らませられるのか。毎日の育児、産後のストレス、不眠など、そこまで思いを馳せられるのか。
言われた側も同じ、その言葉の真意を考えてみれば、そこまで思い詰めなくてもいいことだったと終わると思います。その域まで意識が行き届いていればの話しですが。

この話の終着点はありませんが、最近私が感じたモヤモヤした話でした(笑)

ではまた。

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