「うかはか3」感想

自作品を除く、全作品の感想です。
ただ、あまり詳しくないゴーストについての作品もあるため、的はずれな感想を述べている可能性があります。


必敗

もはや何の意味もなく、そしてただ無常の中で「死ねない」のは地獄だ。
生の先に何もなく、死は与えられないまま、この永劫に続く予定調和のロシアンルーレットに薄ら寒さを感じる。

そしていつか夢を見る

死した相手を惜しむあまり、その人の生前の行動を追体験してしまうのは、ダメージコントロールのためには必要な行為なのだろう。
しかしそれは、忘れられなくなり痛みが長引く行為でもある。
いつまで先輩の幻影が残り続けるのか、この失恋の痛みは長引きそうだ。

雛鳥の追悼歌

腫れ物扱いの賓客であったことを理解していた彼女に、看守の存在はひび割れた大地のような心を潤すオアシスだったことだろう。
それが失われてしまえば、ただただ痛々しい。
その追悼の歌が、どんな影響を及ぼしうるのかは、想像するだに恐ろしい。

ある夢魔の追憶

人間を超えた能力を持つ存在が、人間を思うとしたら、やはり「借り」なのだろうか。
ただ、そうした存在が「覚えてくれている」のは、最大の名誉であるのかもしれない。

「誰かが覚えている、それだけでよいのだ。」

なんでベーコンエッグを焼いてるんだ? というのはさておき、「ある夢魔の追憶」からの続きとも読める内容だった。
この2ゴーストで同じユーザだったというわけで、切り替え反応などを含めて考えれば確かにそうなるが、意外に感じられた。
このメンバーでの生活はどたばた日常劇となりそうで、それはそれで見てみたい感じがする。

端陽の祭りを眺めて

浅学非才の身ゆえ詩歌を解釈できていないが、祭りの中にあって、ふとユーザという存在を思い出した一瞬に思える。
こうして日常のある瞬間に、ふと思い出してもらえるのは、最高の弔いだろう。
また日常へと戻っていくその刹那、世界は美しく煌めくことだろう。

おばけでいいからあいにきて

強い感情を伝えられないまま死に別れた相手となれば、その未練も強いことだろう。
しかし夢で見たユーザがこうであるのなら、ゴースト時の彼女から見たユーザは完全にベタ惚れだったのではないか?
好意を示すのが苦手な相手が、感情を爆発させてくれた瞬間にしか感じられない情緒がある。
素直でない彼女も良いが、素直に泣いてくれる彼女もまた良いものだ。

心中するならこんな日に

消えず絶えずまとわりつく厭世感は、あらゆる感情を摩耗させてしまう。
この彼もまた、ユーザから与えられる愛を、摩耗しきった感情では受け取れなかったのだろう。
だから、ユーザは最後に自分と一緒にいる証を、それも最悪の形での証を欲していたのかもしれない。
もはやその真意が明かされることはなく、静かな終わりがあるだけだ。

手放せない

喪失の悲しみは、しばしば遅れて襲ってくる。
今はまだ、日常を繰り返すことで膿んだ傷の痛みを分散させながら、先送り先送りにしているが、もう間もなく抑え込んだ感情が暴発してしまいそうな危うさを感じる。
どこへ行くにも何をするにも、彼の目にはユーザの顔がちらついそうで、いつ決壊してしまうのかと思うとハラハラする。

魔法がなくなっても

大事な人がいなくなった時の喪失感は、本当に全てが色褪せてしまうのだろう。
何も手につかず何も頭に入ってこない状況を見るに、生活そのものが苦痛と空虚でしかなさそうだ。
故郷の味だとかおふくろの味だとかの言葉があるように、味覚は非常に強い感情を呼び起こす。
このレシピとスコーンが、がらんどうの心に彩りを与えてくれることを祈るばかりだ。

手向けの花を

ユーザへ向けられた献花の意味も、供養のことも、そして何より、生死ですら認識の外にありそうである。
人外の存在にとってのユーザは、あくまで多少気に入った玩具程度にすぎないのだろう。
それでも、気に入った玩具程度には思われているという証左なのかもしれない。
花を好む彼女は、献花が続く間はユーザを覚えていてくれるのだろうか。

世界の終わりに

ユーザがこのような形で発見されたのなら、その衝撃はいかほどのものだろうか。
身元を確定付ける遺品を見つけた時、時間が止まったかのように感じたことだろう。
その後の冷静さが虚勢のように見えてしまい、痛々しい。
冷徹に行われたであろう復讐がどのようなものであったか、犯人は怪我だけでなく精神も立ち直れないことだろう。
そしてその後に残るのが、崩れていくペルソナとただの後悔であるのが、あまりに苦い。

袖が触れる

死に気づいていない相手に、その死を伝える役目は、残された者にとって残酷に過ぎる。
盆踊りとなれば、生者と死者が混じり合う。
そこに現れるのが、大切な人の残り香のようなものなのであれば、それは劇薬だ。
忘れられず、そして追いすがってしまう。
苦しい感情は、夜闇が紛らわせてくれるだろうか。

こんな雨の日なのに

死を受け入れる瞬間は、どんな生き物にも辛いものなのだろう。
葬式での焼香という儀式に近いものであったがゆえ、その死が精神の中で確定してしまったのだろう。
いつしか大きな存在になっていた相手が、もう完全に失われてしまったがゆえのショックが慟哭から痛々しく溢れている。

君は雪へとなったから

嫌われることと軽蔑し嫌うことが、いつの間にか異なる感情へすり替わってしまう。
それでは、伝えられるはずもなかったのだろう。
見せてくれないまま、その対象たるユーザは目の前から消えてしまった。
失われるくらいなら、最初からなければいい。
彼女のその性根は変わらないまま、こうして永久に変わらぬ存在になってしまった以上、もう心配することもなく安堵に身を任せていられるというのは、彼女らしくもあり、そしてあまりに歪で悲しい。

私はヘイミル・ロゥ

表面上は冷静でも心は動揺して動作がついてこないというのは、あまりに衝撃が大きいとありえるのかもしれない。
死体を見ずとも、死を確信してしまう瞬間、ただただ事実を確認する言葉だけが出てくるのは、受け入れられない思いが溢れているようだ。
長く過ごしたが故、半ば予想していたことであろうが、ただ静謐に喪失を噛み締め涙を流す姿が胸を打つ。

エンドロールは流れない

嫌な予想は、得てして当たるものだ。
ミークの奥歯に物の挟まったような言い方が、日常を送ることでごまかしてきた不安を大きく掻き立てていったのが目に見える。
人間の持つ類推する能力が、徐々に最悪の事態を想起させてゆき、やがて決定打となるその瞬間、言葉にならない感情に対して笑い声しか出ないのが、その喪失を物語っていて苦しい。

辿り着くことはない

機械の起動時に、しばらく起動シーケンスが続くのは、人間でいうと寝ぼけているようなものなのかもしれない。
夢現のままユーザを追う中で、ロードされていく記録が明らかになるにつれ、思い出すべきでなかった事実が明るみに出てしまう。
機械的に見えて、人よりもよほど人らしい感情を示していた彼女が、感情の暴走によってシステムダウンしてしまうのは当然の結果であったのかもしれない。
彼女がもし今後起動することがあれば、キャッシュを消去され感情の振れ幅を抑えるように調整されるのだろうが、しかしそれはユーザの存在を忘れ去ることにほかならず、機械の抱く感情の無常さが感じられる。

みんなのお父さん

ユーザが死んだがゆえにできる、最後のスキンシップ。
優しさと慈愛が溢れているが、お別れまでの時間は短い。
この少しばかり変わった家族の中で、ユーザが感じていた感情はなんだったのだろうか。
疑似家族として過ごした時間からくる、所属することの安心感なのか、あるいは長く過ごすうちに本当に父として見ていたのか。
そうしてユーザ亡き後での人付き合いもまた、優しさと慈愛に溢れていて、確かにみんなのお父さんなのだろう。

dic_if_suicide.txt

死の真相は不明だが、内臓が抜き取られている時点でろくな死に方ではないのだろう。
愛する人を生き返らせられるなら、いや、きっと彼女はユーザのためならば、どのような手段でも行うことは目に見えている。
何をしたのかは示されているものの、全ての手法が尽きたのなら、最後にはそうするしかなかったのだろう。
食べることで一体化するというのは、古今東西の呪術で見られる。
人ではなく動物でもなく、すぐに死ぬこともできず生きていくこともできず、あとは心を殺して朽ちてゆくだけ。
それはもはや、人でも動物でもなく、彼女が言う通り物質でしかない。
彼女はユーザと同一になるために、自身も物質となることを選んだのだろうか。

三太夫と死んでしまったユーザの話

彼の現代の常識で見ればぶっ飛んだ言動の裏にあるのは、彼なりの忠義と篤信の現れなのだろう。
それゆえ、ユーザに対しても情が厚い。暑苦しいほどに。
死した後も、同じ立場として一緒にいられると考えていたのだとすれば、期待がその喪失をより大きくしてしまった面もありそうだ。
変わり者だが悪人ではなく、忠義を貫くがため奇行に走るように見え、そして友であったため悲しみにくれる。
直情的で時代で価値観がずれてしまっているが、ストレートに悲しみ悼む様は彼らしさを感じる。

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