TOEFL対策を院試3日前に始めたら前日に緊急搬送されて実質2.5日になった件

前日譚

院試に於いて最も対策の難しいものと言えば専門科目でも面接でもない、英語である。

専門科目は授業でみっちり教えてもらったはずの内容を答えればよく、面接では筆記試験の内容ほど高度なことを訊かれることはない。

ところが英語だけはそうはいかない。まるで”そんなものはなかった”かのように英語の授業は後期課程進学と共に消滅する。英語という概念そのものが抜け落ちた私の脳が英語対策の必要性を認識したのは院試3日前のことであった。ふと机の端に目をやると、「院試で必要になるから買っとこ!」などと考えた半年前の私が購入したっきり積んだままにしておいた単語帳が、物理学書・数学書に埋もれてそのまま佇んでいた。

私は大慌てで部屋中の埃を被った英語関連書籍をかき集めてきた。妙に不快感をそそる犬の顔が印字された単語帳、結局一度も開くことがなかった鈍器とも言うべき厚さの文法書などが太古の地層から発掘されたが、どれもTOEFLと闘う武器としてはあまりに心許ない代物であった。机の端で積読の憂き目に遭っていた単語帳は難解すぎて3日でどうにか出来るものではなかった。タイムマシンが開発されたならば、半年前、書店で「出来るだけ収録単語数が多いやつにしとくか〜」などと考えていた私の顔面に強めのグーパンチを進呈したいところだ。

2日前、私は部屋に眠る石器と机の端の暗号文に別れを告げ、ネットに転がっている過去問をいくつか解くことにした。

listening問題はYouTubeに落ちていたものをひたすら聴いた。どれもまるで周波数の合わないラジオのような酷い音質であったが、無いよりずっとましだ。幸いにして、自室の高級音響機器のお陰で何とか聴き取ること自体は可能であった。親愛なる我が音響機器たち、こんなに質の低い音源を突っ込んでごめんなさい。

文法・reading問題は比較的簡単に演習サイト等が見つかったので、それを眺めることとした。文脈を汲まねばならない問題に遭遇する度に、私は怨嗟の声を漏らした。こんなもの日本語で訊かれたとて答えられまい、これだから自然言語は嫌いだ。

前日の早朝、私は1年分のみ無料で利用できるサービスを利用して模試を受けた。結果は特に言及するに値しない、良くも悪くもない微妙なものであったため伏せる。公衆の面前で見せびらかすためには極めて悪い・あるいは極めて良い成績を収める必要があるところがSNSの難しいところだ。Twitterに転がっている成績は正規分布に従わない。

私は失意の中眠りに落ちた。

院試前日

きっかけは昼食後に感じた微かな胸の痛みであった。

夜なべをしたため、起床は昼頃のことだった。この頃はまだ食欲があったため、ピザトーストを4枚食べた。食後自室に戻り英語の勉強を再開した頃のこと、胸の中心付近が鈍く痛むことに気がついた。私は元々生活リズムが非常に不安定であるため、夜遅くに似たような症状を来すことが稀にあった。「体のどこかが痛くなったら、寝ろ」というのが私なりの自衛策であったため、昼間から痛むとは珍しいことだなあ、などと考えつつ私は2度目の就寝を迎えた。

夕方頃、私は強烈な胸の痛みで目覚めた。息を吸うと痛い。息を吐いても痛い。これは何かがおかしい、私はそう思い始めた。ピザトーストを食べすぎたのか?

夕食は殆ど食べられなかった。体格の割にかなりの量を食べる私が数口だけでギブアップした様子を見て、家族も異常に気がついたらしい。ひと悶着あったのち、専門家の勧めもあり私は緊急搬送されることになった。

話が脱線してしまうが、ここで私の救急車歴についてお話しておこう。私が救急車の世話になったのはなんと2度目のことである。

初めての救急搬送は高校時代の春休み、親友に誘われラーメン屋に向かう道すがらであった。不注意運転の車が急に左折したため私はそこに自転車ごと突撃し、ガラス窓を頭で叩き割って貫通したのち失神した。顔面を数針縫う怪我をしたが、持ち前の石頭のお陰か、後遺症もなく今でも元気である。愛用のメガネのつるが片方吹き飛んで「ガネ」となり、傷跡の処理のため1年ほどかの有名なヒルドイドを毎朝塗る羽目にはなったが、これくらいで済むなら良い人生経験であると言っても良かろう。頭のネジが数本外れたかもしれないが、元々抜けている本数と比較すれば十分小さいので無視できる。母はこれ以来事ある毎に私のことを鉄砲玉と形容するようになった。窓を貫通する威力があるのだから正しい。妹には時々「顔が破れてるもんね〜」という煽りを受けるようになった。破れたのは私の顔ではなく窓ガラスの方だ。そこの勝敗はきちんとついているので間違えないでもらいたい。

さて、顔面血だらけ状態での緊急搬送を既に経験している私にとって、今回の緊急搬送はいわば過去問演習済みの状態であった。私は極めて冷静なまま担架に載せられ、快適に最寄りの病院まで搬送された。腹に貼り付けられた電極がひんやりとして心地よかった。合法的に赤信号を正面突破するのは背徳感がある。

病院に着くと、問診ののちCT検査となった。世界広しと言えども物理学の院試前日に放射線を浴びまくった人間は私くらいであろう。胸の痛みに喘ぎながらも、私の周りを高速で旋回する精密機器をじっくりと眺め、あー、ここから放射線が出るんだな、などと考えを巡らせた。院試本番で放射線の問題が出ても、過去問演習はこれでバッチリである。現物を前日に浴びているのだから。

父とともに担当医師の前に呼ばれ、原因不明の食道付近に出来る気胸であることを告げられた。症状としては肺気胸とほとんど同じだが、出来る部位が珍しいため原因特定にはCTが必要だった、とのことだ。幸い入院は必要でなかった。帰りしなに薬局に寄ると、カロナールを処方された。とても良く効く薬で感動を覚えた。コロナワクチン2回目で一日中悶絶した際にコレがあったらどんなに良かったか。その後痛みが落ち着いてきたので、父と共に電車に乗って帰宅した。夜遅くの間引かれたダイヤでやってくる電車は快適ではなかった。

家に帰ると、寝ようと考えていた時間を既に大きく超過していた。結局私の英語対策期間は2.5日になってしまった。三日坊主のほうがまだ勉強している。

私は祈るようにしながら眠りについた。

当日

朝起きると、カロナールの効果で胸の痛みはいくらかマシになっていた。これならばいける。私は意図せぬ夜ふかしにより眠いままの目をこすりながら、布団から体を起こした。

ここから先のことについては読者諸君の想像にお任せすることとしよう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?