日記

2021.02.19
OKAMOTO'S 90's TOKYO BOYS IN HALL
〜爆笑ストイックライブ〜


演出の途中で、この1年を振り返ったあと「音楽、必要ですか?」って問いかけられて、あれ?ってなっちゃって、必要だってすぐに思えなかった。私が東京に住もうと思ったのは、「行きたかったライブに行けなかった」っていう学生時代の大後悔をもうしたくなかったから。でも東京に2年住んでわかったのは、ライブに行かなくても普通に生きてられるってことだった、単純にライブがなかったからってだけの話かもしれないけど、皮肉だなと思った。

とは言え音楽はほぼ毎日聴いてるし、この曲聴くとあの時を思い出すなぁとか、こういう天気のときはあの曲が聴きたくなるなぁとか、この曲のあそこめちゃくちゃかっこいいよなぁとか、毎日いろんなことを思ってて、やっぱ音楽必要かもな、ってきもちにもなってる。音楽があって良かったなって思うことあるもんね。

よくわかんないけどコロナ禍における音楽のあり方を考えさせられた日でもあった。音楽は大好き、その気持ちは変わらないしなんならそれが全てかもしれない。


2021.02.11-14

妹、年離れててスクールステージが常に2段階くらい違ったから年下の妹!ってずっと思ってたけど、いつの間にか同じステージで生きるようになってて、私が知らないこと色々知ってて、大人になったから変なプライドとかもわりとなくなってて、家族だから久しぶりの再会でもいい意味でそんなに久しぶりじゃなくて、友達に話しづらいような家族のことも気兼ねなく話せて、すごく矛盾した表現だけど「新しくできたいちばん古い幼なじみ」って感じでかなり良かった。兄弟いて良かったな〜って素直に思えた。

私が実家を離れたとき彼女は中学生、今や二人とも親元離れて社会人として仕事してる、こんなにおおきくなりました!状態だね。
こんなにおおきくなりましたよ、みてるか?


2021.03.11

3月って春なんですね、こんなにいい日和であったかくてお花たくさん咲いてて、本当にいいの?って思っちゃう。当然のように辺り一面真っ白で雪もちらついて、3月なんてまだまだ毎日寒い、みたいな中で生きてたの嘘みたい。

2021年東日本大震災から10年で、最近は関連番組たくさんやってて、私はふとしたきっかけから今年は積極的に観ようと心がけてるんだけど、思うことはたくさんあるのにうまく言葉にできなくて、何日も前からそういうもやもやがずっと続いてる。

10年の節目だからなのか単純に月日が経って放送できるようになったからなのか、当時の津波の映像がテレビでたくさん流れる日々が続いてて、実家のテレビでこれらを家族と目の当たりにした日のことが随分久しぶりに思い起こされて、あぁ思い出すってことは忘れてたって事なんだなって思って、なんとも複雑な感情になった。

津波の映像に映る押し流されていく家屋ひとつ、ミニカーみたいに浮いてる車ひとつにそれぞれ家族の生活が詰まってて、あの濁流の中で命を落とした人の数は計り知れなくて、なんの被災もなく津波のツの字も知らない私なんかが語っていいことじゃないけど、10年経っても尚こんなことあっていいのかって思っちゃうね、起きちゃいけないことが起きたのは歴然なんだけどさ。

今思い出せる当時の記憶は割と薄くて断片的。中学の体育館で卒業式の合唱練習してて、大きくて長い揺れのあと隣にいた友達が自宅にいる祖父母が心配で泣き出しちゃって、私はとにかく大丈夫だよって声かける事しかできなくて、全校生徒体育館にいたのに体育館に避難してくださいって教頭の声で放送が流れて少し笑ったりなんかして。全員帰宅する流れになったけどいつも来るはずのバスは来なくて、学校戻って職員室で親の迎えを待ってた。その後学校がどうなったのかとかはもうあんまり覚えてないけど、深刻なこと考えたくなくて割と普通の生活しようとしてた気もする。家屋もライフラインも全部無事だったから、お店から物が無くなったりガソリンがなかなか入れられなかったりしたことくらいしか思い出せない。

10年経ったからか津波の映像がたくさん流れて〜、ってさっき言ったけど、私が見ようとしてなかっただけで今までもやってたのかもしれない。去年も一昨年もその前もずっと、震災のこと直視してなかった気がする。思い出したくない記憶なのか思い出すほどの実体験でなかったのか、当時はまだ子供だったしその後の生活もある程度確保されてたからそこまで深く刺さる思いもなかった気がするし、そうこうしてる間に東北から離れて、毎年忘れることはなかったけど考えることはほぼなくなった。こうやっていろんなことを感じて今私がすべきことは何なのかを考えるようになったの、あれから年月が経ったと共に私自身も大人になった証拠なのかなと思う。

募金とか寄付とかってなんとなく違う気がするし、かと言って現地で復興に携わりながら暮らす選択も今の私はできないし、どういう思いでどんな支援をするのが最善なのか、もう10年も経ってるのにまるでわからない。あと、もう10年とかまだ10年とか、なんでもない人間が勝手に判断していいことじゃない。黙祷捧げるのとかもなんかこういうときばっかりの偽善者みたいで正直あんまり好きじゃない。



とりあえず今私にできるのは、生きているうちにこういう出来事があったことを今後も忘れないこと、もしまた大きな災害が起きたとき最善の選択ができるよう備えること、なのかな。これがドキュメンタリーで語っていた被災者の望みだったし多分番組の意図とも直結してると私は読んだ。明日からもこの国で、地に足つけて生きていきたいです。

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