タイプライター
母がそろそろ手離そうとしているタイプライターを、せっかくだからと見せて、触らせてもらった。
母がわたしのお願いを聞いてリビングに待ってきてくれたそのタイプライターは、彼女の手元に来てから約40年あまりを生きてきたからか、しかしそれでも赤くて、つやつやと美しくて、持ち手が白かったものだから、思わず「AEDかと思った」と声を上げた。実際白い十字がなければ医療器具と判別がつきづらい。それほどに、物持ちのいい母によって大切に、傷ひとつなくここまで大事にされてきたものだった。つやつやのタイプライターだった。
母の指示に従ってタイプライターに触れてみる。「私だって久しぶりに触るから使い方覚えてないかも」と苦笑する彼女は実際ぎこちなくタイプライターを立ち上げていった。そして一通り使い方を教わったあと、彼女に教えてもらったように「the」と打ち込もうとした。しかし試してみても、思い切り力を込めて、勢いよく打鍵しないとタイプライターは受け取ってくれない。加えて、嫌な予感を胸に母に確認したところ、予想通りこの時代はひとつでも字を間違えれば最初から打ち直しときた。眩暈がするようだった。自分より年上の人たちがどうして丁寧に下書きを用意していたか理由がわかった気がする。あんまりたまらなくて思わず近くに放り出していたMAC Bock Airを抱きしめていた。電子機器万歳、タップひとつでひとつ前のレジュメに戻れる時代、ありがとう。ジョブズ、あなたがいなければわたしもここにいなかった。
タイプライターに自分で触れてみて思いついたことが一つある。職場に限らず、今まで出会ってきた高齢の人たちのなかで、キーボードを壊さんばかりに思い切り打ち込んでいる人たち。彼ら彼女らはもしかしたら、タイプライターを使っていた頃の感覚が抜けないのではないか。未だ力を込めないと字を打ち込んでくれない機械を思いながら、キーボードに力強く向かい合っているのではないか、そうかもしれない、もしかしたらと、そう思う。
この気づきをもって、この文を締める。
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