映画「溺れるナイフ」と重岡くん

公開初日に映画館に観に行って、感想書きたいと思ってるうちにDVDとBlu-rayが発売されてしまった。ちょうどいいタイミングなので書き残しておく。

私、わりと直感で判断するタイプというか映画とか観る前に「あー、これは好きかも」「これはそうでもないかな」って肌感覚で決めがちなんですけど、溺れるナイフは観る前から絶対好きそうだと思ってた。もちろん原作が好きだったってのもあるけど観終わってもやっぱり好きなやつだった。何が好きって言われたら好きな肌感覚のものが詰まってたからとしか答えられないんですけど、よかった。この「よかった」には自分の直感を信じられて「よかった」にもかかっている。

山戸監督作品に初めて接して、監督は自分の信じる神様みたいなものを持って映画作りをしてるんじゃないかと思った。だから映画としての良し悪しを頭で判断する前に、自分の信じたものを最後まで妥協せず貫き通すその姿勢にまずぐっときてしまった。監督もパンフで話してたけど「ぼくのかんがえたさいきょうのおぼれるないふ」を作れるなら自分以外の人が次に名乗り出ればいいって喧嘩売ってるスタンスだし、監督は自分にしか表現できないものを見事に追求していた。だから、別に題材が「溺れるナイフ」でなくてもよかったんじゃないかな?と原作も好きな私は少し思ったりもする。けど、原作に忠実すぎる映画化なら原作を読んでいれば解決する話でもあるし。山戸監督にはこれからも監督が信じるものを突き進んでほしいなあ。

そして重岡くんの話。この映画を撮影していたのは2015年の9月ごろで、明らかにそこを境目にして「ナイフ前/ナイフ後」になっていた。それまで下ろしていた前髪を上げておでこを見せるようになったり、映画撮影前から鍛えていた身体つきはすっかり男の子から男の人だ。重岡くんは何も言わずとも、溺れるナイフの撮影で何か変化のポイントがあったんではないかと思っていた。ディスク特典のメイキングを見たらその謎が少しは解明できるのではと再生してみた。

いや、これ重岡担大丈夫?生きてる??

本編にもある「限りなく重岡くんに近しく見えるような大友」のキスシーンですらやばかったのに、5時間もかけて演技に集中できるよう最小人数に絞ったスタッフが見守る中でキスシーンを終えた重岡くんの表情は見ていいはずのものなのに見てるこちらがドキドキした。一時停止にしては顔を覆って頭を抱える始末。私は重岡くんの事をちょっとでも知ってるつもりでいたけど全然知らない。これは底なし沼だ。足を取られたら最後、溺れるのは私。最近はずっと、ライブでこんなにも真っ直ぐに楽しさを届けてくる人ってそうそういないな、自身も言ってたようにジャニーズWESTのライブの楽しさって「一緒に肩組んでドーン!」だし、重岡くんはいつでも嘘偽りなく全開で全力でこちらにぶつかってきてくれて最終的に肩組んでお互い笑ってるようなイメージだったから、面食らってしまった。どれだけ考えても考えても本当の事が知りたくても、私の答え合わせなんて重岡くんの何重にも張り巡らされた強固な自意識の前では意味をなさない気がしてくる。だから考える事が楽しいんだ。

前髪上げて、凛とした鋭さで男の人になろうとしてたように見えた溺れるナイフ撮影後から公開時期あたりまでの重岡くん。その謎は墓場まで持っていくのかもしれない。私が出せた現時点での答えみたいなものはそれだった。

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