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学びの備忘録#3_COWSPIRACY


NetflixやYoutube、Amazon primeなど映像で学べるソースはたくさんある。

時間を見つけては私も勉強のため週末などを使って観るようにしている。その他、本やWEB上の記事、アクティヴィストたちが掲示してくれている情報を渡り歩いているのだけど、わざわざ休みの時間、自分の自由の時間を使って学ぼう!というのはなかなか難しいし、さらにそれを人に勧めるのも難しい。(なかなか根気がいる作業だしとても疲れることだし…)しかもそういったコンテンツはバラけて点在しているもので、1つの大きな流れをつかみにくく、要点をまとめるのに結構根気がいる。

先述した映像コンテンツはエンタメとしても優れているし、ソファで寛ぎながら、ご飯を食べながら、一人でも家族や友人とでも観ながら学べるのがいいところなので、The Weekend Studyと題してInstagram上でみんなで1つの作品を見て意見を言ったり聞いたりしてみよう!という企画を始めることにした。

1つ目の作品はキップ・アンデルセンの”COWSPIRACY"を選んでみた。

2014年に公開されたこの映画は、これをきっかけにVEGANになったという人が続出したということでも有名な作品。実際私の周りにもそういった人がいる。6年経った今でもいろんな人をインスパイアし続けるこの作品は第一回目にふさわしいな、と思って選んでみた。

畜産が地球や人間に与えるダメージのインパクトをわかりやすく知ることができ、さらに環境保護団体がプラスチックや化石燃料には熱心であるのに対して、ロビー活動の圧力(献金を含む)により二酸化炭素の排出や森林伐採などの問題を抱える畜産業に対してまったく言及せず口をつぐんでいるという実態を描いている。

お寄せいただいた皆さんの感想はInstagramのハイライトにまとめ、私自身の感想はここに残しておこうと思う。

何を食べるかはパーソナルな選択。個人の自由を尊重したい。

まず、前提において”何を食べ何を飲むか”は個人の自由であり、パーソナルな選択であるので肉を食べようが、牛乳を飲もうが、野菜だけを食べようが、ローフードだけを食べようが、その人が決めたらいいと思っている。

でも

私が一番気になるのは『自分はいつも何を食べているのか』ということを深く考えず人がスーパーで食材を選び、メニューからその日の一皿を選び、肉や牛乳や卵などもともと生き物だった食材を無造作に選択していること。この映画を観た人の多くが『自分たちが普段口にしているプロダクトにこんな背景があり影響があり、そしてそれを知らずに食べていたんだ!』という驚きを感じたと思う。

『何を食べるか』は『どう生きるか』ということと同義なんだ。

その選択をあやふやにすれば、生き方もあやふやになるだろう。私はヴィーガン食を始めて最初に感じたのはそれだった。今までいかに自分が食べるものに無頓着であったかに驚愕し大いに反省した。

例えば肉を食べるのならその肉がどんな特性を持つ動物でどんなプロセスを経て自分の口に入っているのかということを見て、知った上で食べるべきではないか、と思う。

牛肉であれば牛が非人道的に人工的に受精させられ、子供が生まれたそばから親から引き離し、雌牛はホルモン剤を打たれ機械に繋がれ死ぬまで妊娠〜搾乳をされ続け、弱れば殺され食肉に、生まれた雄牛は子を産まないのでその場で頭を撃たれ殺されるか、仔牛肉として売られるか、狭く汚いケージで育てられ虐待を受けることもありそして太らされてから殺され食肉加工される。

それを知って一枚のステーキを食べるか知らないで食べるかにはかなり大きな違いがあると思う。スーパーに並んだパックに入った肉片からはその背景は伝わってこないから。背景を知って感じて、牛肉を食べるのは減らそう、やめようと思う人もいるだろうし、いや、それでも自分は食べたい!と選択する人もいるだろうし、いずれこの映画を思い出してやっぱりやめよう〜と思う人もいると思う。その全てがある意味正解だし、私はその選択に敬意を示したいと思う。

当たり前がいき過ぎた食肉や動物性食品の過剰供給を考える

人がとっても簡単に肉を食べ欲する⇨需要が生まれる⇨産業は儲けるために生産量を増やし効率化をはかる⇨さらに多くの動物が食卓に並ぶ⇨そのニーズに並行してレストラン、フードチェーン、加工食品などへの動物性食材の供給も増え続ける。

人が肉を安易に欲するほど地球環境にダメージ(しかも地球を滅ぼせるほどのダメージ)を与えるというのは火を見るより明らかなんだ。

ミートフリーマンデーというポール・マッカートニーが推奨し始めたことで有名な『月曜日だけお肉を食べないようにしてみよう』という運動。ミートフリーマンデーは日本でも言われ始めてはいるものの、圧倒的な環境破壊のスピードに対して効力がもはやないとも言われている。(悲しい)とはいえ、そのスローガンが誰かの意識に働きかける可能性に期待はしたい…!多くの人が意識を変え、動物性を摂取することの意味を知ることが大事と思う反面、そんなにたやすい事じゃないとも思っている。

私もそうだけど、肉や乳製品や卵を食べるのは当たり前。動物性には人間に必要な栄養素がいっぱい詰まってる。と教えられその文化の中で育ってきた。今までの生活や自分の食の好みを一新することは多くの人が簡単にできる事じゃない。しかし、私自身は比較的けろっとヴィーガンになったタイプかなと思う。

"ほぼヴィーガン"になってみて

限りなくヴィーガンに近い生活をしてもうすぐ3年になるのだけど、(外食においてごくたまに動物性を食べ、いただいてポイと口にしたお菓子に乳製品や卵が含まれていたりする、といいう感じで)この生活に非常に満足している。楽しいし、健康だし、美容にも効果抜群だし、美味しいし、不自由は特に感じず生きている。そんな私は動物性を摂取しないと頭がクリアに冴え渡るらしい、と聞いて仕事効率を上げられるのかウッシッシ、それはいいな、と実践し始めた人間なのでアニマルライツや環境問題はきっかけにほぼなかった。

なので畜産や酪農の現状にがっつり向き合うようになったのは、ヴィーガンになってからだったのだけど、それでも向き合うのはかなり辛い作業だ。食べてないのに、こんなに気持ちが重くて苦しくて罪悪感に苛まれるのだから、普通食をしている人が見たらもっと辛いだろう…と思って未だにヘビーな動画などはシェアできないでいる。でも、知らなきゃ、見なきゃ、世界は変わっていかない…知ったからには伝える使命があるのでは…というジレンマの中に生きている。

最近シェアした”ヘビーな”ポストはこちら(この動画は何度見ても泣いてしまう)

こういった見るのも辛い情報は目を背けずにどんどん観るようにしている(インナーピースを保てる己のペースで)そこで自分が傷つき苦しんだって、動物たちの方がよっぽど苦しいのだし、私たち人間はそれを知る責任があると思っている。その情報をどうシェアしていくかは人それぞれの方法を取っていけばいいと思う。

私は普段から菜食をしていてなるべくどんなものが美味しくて、楽しくて、どんなベネフィットがあるかという私が毎日感じているポジティブな部分をたくさんシェアしていこうと決めている。酷いから悲しいから、という理由で肉を止める人もいるだろうし、環境問題が深刻だからと牛乳を飲まなくなる人もいるだろうし、健康面で卵を食べなくなる人もいれば、こんなに楽しそうで美味しそうなら野菜を中心に生きてみようか!という人もいっぱいいたらいいな!という思いがある。

菜食をしていて最初の頃に気づいたことが2つあった。

⑴動物性の食品が”美味しく”感じられるのは味が強いから

これは結構驚いたし面白かった気づき。プラントベースの食事を続けていると、滋味深い味わいに体が馴染んでいく。とってもとっても久しぶりに動物性のものを口にしたときに、その味の強さに驚いた。舌から脳へ突き抜けるような刺激を感じる。ああ、これを私たちは”美味しい”と感じるように育ってきたんだ〜。と納得した。そして菜食をすればするほど、それを単純に美味しいと感じなくなってきて、欲することがなくなってくる。不思議!私も最初、唐揚げもハンバーグもとんかつも食べられなくなるのか…うむむ…大丈夫かな?と心配していた時期もあったのだけど。今も一口食べてみたりすると『ああ、そうそう、これね、この味ね』で終了する。もう明日から肉食に戻るぞ〜!とはならないのだ。不思議!(2回目)

⑵動物性の食べ物は嗜好品のようなもの

ちょっと語弊があるかもしれないけれど、、菜食をして思ったのは動物性は日常的に当たり前に食するものではなく、中毒性の高いタバコや酒のような”良くないとわかってはいるけど口にしてしまうもの”に近いなと思った。肉などを避けるためのステップ1としてこの考え方は人によっては有効かな?と思う。いけない、いけない、、と思いつつ焼き鳥を食べ、罪悪感を覚えつつ、これでしばらく肉断ちをしてみよう、、、なんて思考もいいんじゃないかな、など。


ちょっと長くなり過ぎてしまったけれど…みんなの感想を読んで思った事。今は普通食をしていてこういった食に関する問題の情報・ポスト、人の意見に触れたときに、悲しくなったり罪悪感を感じたり、もしくは怒りを覚えてもそれは全くもって問題ない。ごく当たり前の反応だし、さらに言えばすぐに食生活や習慣を変えられなくたって全然いい。それを自分から選択して見たという自分の意思、そしてそこで触れたときに芽生えた感情こそが一番大事だから。のちのちその感情が、自分の心地のいいところを教えてくれるきっかけになるし、そのタイミングが人それぞれ百人百色だから焦らなくて全然平気。いろんなことを”自分ごと”にできる力は少しずつ養われていくはず。

みんなが優しく楽しく生きていくためにはどうしたらいいかを、みんなで考えていきたいねえ。

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