けものフレンズに豚が登場しない理由。

けものフレンズと動物農場を比較する前にいくつか事実確認を。

「動物農場」は1945年にジョージ・オーウェルが発表したディストピア小説である。人間に利用されていることに気付いた動物たちが反旗を翻し、動物を中心とした「動物農場」を作り上げるというストーリー。
このブログでは高畠文夫訳を採用する。

「けものフレンズ」は現在放送されているアニメ。萌え擬人化された野生動物たちが集まる架空の動物園・「ジャパリパーク」を舞台にした作品群によるメディアミックスプロジェクト(Wikipedia引用)。
因みに2話までしか見てないのでテキトウです。

僕は「けものフレンズ」が「動物農場」の延長線上にあるストーリーなのではないかと推測します。色々考えてみたのでよかったら読んでください。

・「動物農場」は人間と動物が対立する話である
・「けものフレンズ」は人間と動物が協力する話である
二つの作品は「ケンカ」と「仲直り」の1セットくらいに思っていいです。


まず、動物農場における「動物の七戒」に目を通して見ましょう。


1.いやしくも二本の脚で歩くものは、すべて敵である。
2.いやしくも四本の脚で歩くもの、
 もしくは翼をもっているものはすべて味方である。
3.およそ動物たるものは、衣服を身に着けないこと。
4.およそ動物たるものは、ベッドで眠らないこと。
5.およそ動物たるものは、酒をのまないこと。
6.およそ動物たるものは、他の動物を殺害しないこと。
7.すべての動物は平等である。

たいへんきれいに書けた。そして、「Friend(味方)」が「Freind」となり、Sの字のひとつの向きがあべこべになったほかは、綴りはどこも間違っていなかった・・・・と続きます。そう、Friendは「味方」と訳されます。

おい!七戒の1~3は、ジャパリパークでは守られていないぞ!と思うかもしれません。安心ください。物語中盤から動物農場内でも、農場を支配する豚たちは二本脚で歩きます。服も着るし酒も飲みます。そもそも支配階級が誕生してから平等は失われています。この七戒は作中で修正されるのです。

すべての動物は平等である。
しかし、ある動物は、ほかのものよりも、もっと平等である。

物語の大筋を説明しますと、動物たちは革命を起こし自分たちの王国を築きます。しかし、それを先導した動物がリーダーとなり新たな「人間役」に成り代わり、以前と何も変わっていないことに徐々に気付いていくという話です。そして、「動物農場」はこう締めくくられます。

屋外の動物たちは、豚から人間へ、また、人間から豚へ目を移し、もう一度、豚から人間へ目を移した。しかし、もう、どちらがどちらか、さっぱり見分けがつかなくなっていたのだった。

物語後半、豚の振る舞いは人間と見分けがつかなくなっています。「けものフレンズ」内の動物も、人間である「かばん」と見分けがつかず、また、同じ言語を話していることにも気付くでしょう。
もちろん、人間に成り代わった豚は他の動物にとっては厄介な存在です。また同じように憎悪の対象となり、革命が起き、状況が変わるであろうと思います。「けものフレンズ」内に豚が登場しないのは、そういうことです。

では、人間(または豚)が排斥された動物たちの世界で何が起きたのか。
いや、もっとかんたんに考えましょう。人間とケンカした世界ですね。
まずは凶暴性が失われます。けものフレンズ内の動物は野生こそ残っているものの、捕食・非捕食関係は失われています。これが残された動物たちが下した決断であると思われます。

じゃあ、凶暴性はどこへ?そうです、「セルリアン」です。
動物から凶暴性が乖離し、アニマルガールとセルリアンに分離したと考えるのが妥当でしょう。人間に成り代わった豚を見た動物たちはこう想像したでしょう。本来草食動物である豚がいつか、我々を食料にする日がくると。それを恐れた動物たちは「凶暴性」と決別することに決めたのです。怖かったんでしょうね、自分が人間っぽく変異していくのが。だからその変化をあの半擬人の段階で食い止めたのだと思います。今でもアニマルガールはセルリアンと戦っています。これは自分の中の「平静」と「暴力」のせめぎ合いを表現しているのでしょう。ズートピアにもありましたよね、このテーマ。

次はラッキービースト、ボスの存在です。これは「2001年宇宙の旅」における「モノリス」と同じ意味を成していると考えます。モノリスとはこういうもんだぞ!と定義するのはナンセンスだと思うので、「生物を導くもの」くらいの意味にしときます。映画内でも生物が進化する場面に立ち会った姿が印象的だと思います。

冒頭にも言いましたが、「けものフレンズ」は人間と動物の「仲直り」の物語です。アニマルガールは道案内をうけおいます。それに対して「かばん」は紙飛行機(文明ですね)を使って、アニマルガールを援護しますよね。

モノリスが人間にもう1度チャンスを与えていると考えるとスッキリします。アニマルガールを無視し続け、「かばん」のみに話しかける意味とも整合します。人側に歩み寄り、動物との仲介を促しているのですね。

OPとEDにも「ケンカ」と「仲直り」を示唆する歌詞が入っています。

高らかに笑い笑えばフレンズ
喧嘩して すっちゃかめっちゃかしても仲良し
−OP ようこそジャパリパークへ−
たまには喧嘩して怒ろう 泣き顔見たらなぐさめよう
とびっきりの長いお説教は短めにして
−ED 僕のフレンド−

これを見ると、このアニメが「共存」に向かって進んでいることがわかると思います。動物農場で叶えられなかった「共存」を、72年経った今、叶えようとしているのです。

けものフレンズは動物農場の正統続編であるとはいいきりませんが、オーウェルの意思を引き継いだ作品、現代人の回答であることは確かだと思います。まあ、人間とアニマルガールの「フレンズ」という関係性が長く続くとは思いませんが、すこしくらい期待してもいいのかなあとは思います。