周りがみんな行くらしいので、適当に大学行った7

13 5年ぶりの同級生たち

 2019年1月。年越しは何をしたか全く覚えていないが、おそらくばあちゃんちにでも行ったのだろう。
 毎年1月というのはだいたい三が日を過ぎると生きるモチベが降下していくのがお決まりみたいなものなのだが、この年ばかりは違った。ま、降下したのは事実だったがもう一度盛り返すイベントがあったのだ。

 そう。成人式。一生に一度の大同窓会。
 
 20歳。ましてや一人親元から離れて北海道なんかに行ってしまうと、高校の友達すら疎遠になってしまっていた。この機会を逃すと中学の同級生なんて一生会うことはなくなってしまうだろうと思っていた僕にとって、このイベントは絶対に参加したかった。
 1月14日。成人の日。僕はこの日のために買ったコートに、塾バイト用にそろえていたワイシャツにネクタイを仕込み、適当な黒ズボンを履いて立川駅に向かった。
 南口から駿台に通っていたころの道を一人、大音量で音楽を流しリムジンから旗を振る金髪の集団を横目に会場に歩みを進める。毎日通ったセガ、ガルパンのパチンコで30000発出したけど0.2パチだったため大景品一枚もらって帰ったパチ屋はもうつぶれてしまったみたい。細すぎて車で運転したくない何気ない路地。パンチのない寒さの立川。一年経っていないはずなのになつかしさの感情があふれてくる。
 会場に着くと、すぐに知っている顔が見えた。中学の親友や双子で見分けのつかないオタク。双子だけど二卵性だったから見分けのつく元カノに「きっしょw」と暴言を吐かれながら喫煙所にリフトオフ。同級生のヤンキーに「おぉ!!○○!!お前もヤンキーになったんか!!!」と叫ばれながらピースライトを吸う。5年前だったら嫌で仕方なかったであろう風景もなんかこの日だけは楽しく思えた。
 成人式自体は市長が挨拶したり、中学時代の先生が挨拶したり、ありがたいお話を聞いて終わった。なるへそ、あんまおもんないと思ったのがリアルな反応だ。
 式典が終わると立川じゃない人たちとたまたま鉢合わせたりして最高のお昼を過ごした。ま、もちろんアドアーズに行ってSAY BAY(A)を初めてAAA出すみたいなオタクムーブもちゃんとしてたんですけどね。
 夜には待ちに待った同窓会。男どもは適当に時間をつぶし、女の子たちは家にいったん帰ってドレスコードに着替えてきた。
 当時の生徒会長…ではなかったがなんか同窓会実行委員みたいなようわからん肩書の同級生が初めに出てきて挨拶をする。余談だがその瞬間までビールを飲んだことがなく、梅酒を頼もうとしていたところに別のヤンキーくんが「お前は梅酒みたいなかわいい酒は飲むな」とありがたい言葉を放ったせいで自分の前に瓶がおかれた。正気か?と思った。
 「乾杯!!」
 瓶に口をつける。美味いんだなぁこれが。
 そのあと特段覚えていることはないが、ちょっと気になってた女の子と最後の会話を交わしたり、ちょっとした有名人の女の子を含めて6人で二次会したり。そんなくらい。もう二度とこんなこと起きないのかなって思うと急に泣けてきて、タクシーに号泣しながら乗り込んだのはよく覚えてる。

 時刻は午前3時。幸せな空間が終わり、家のベッドに横たわる。気絶したかのように入眠する。こんな日々が毎日訪れる最高の国があればいいのにって心の底から思った。

13.5 あんた、今日早いんでしょ?起きなさい!

 という怒号とともに5時に目が覚めた。母は強い。
 なぜこの日、こんなに早起きなのかというと、普通に火曜日だからだ。
 僕は一年浪人していたせいで、学校に対して「成人式だったので休みます」の言い訳が通りにくい立場だったのだ。この日は絶対に出席しなければならない授業があった。そう。中国語Bだ。
 この日を逃すと単位は出ない(自分のせい)。絶対に昼1の時間に北海道室蘭市にいなければならなかった。親に適当に挨拶をすまし最寄り駅へ。二日酔いのまま山手線になだれ込んで京急、飛行機に乗って千歳。電車に乗って南千歳からスーパー北斗に乗る。東室蘭から捨て身のヘイタクシー!
 というわけで授業開始5分前に正門をくぐり抜け無事タージャーハオ。いろんなことが起こりまくった2019年最高の思い出の日は終わった。

14 最前席で祝う誕生日

 2019年2月。僕は再び東京の地に降り立った。
 2月25日は、浪人時代の僕を生かせてくれた命の恩人である花澤香菜の30歳バースデー。今年は特別に30歳記念ライブが行われるとのことだった。
 もちろんチケットは確保。2月20日は5thアルバムの発売もある。気合いは入り切っていた。
 そんなとき、うれしい事件が起こる。
 
 1月頃、ライブの席が確定したとのことで、中島町にあるファミマで発券することになった。花澤香菜のライブというのは、知名度の割には毎回席に余裕ができる。当日券だって普通に発売されるくらいだ。アリーナ席をとれる確率も、規模的に考えて75%はあったのではないだろうか。(今は事情が違ってそうなのであんまし考えないでね。)
 アリーナは余裕。前から何列目かな~なんて考えながら印字された文字を見る。
 

アリーナ 1列 38番




 理解が追い付かない。とりあえずレジ打ちのバイトが迫り散らかしていたので走ってスーパーに向かった。
 周大Part.5にちらっと書いたのだが、以前もライブには行ったことがある。しかしその時はアリーナというくくりはなく、一階席が一番いい席だった。この時の会場はアリーナが存在するちょっといい会場。アリーナ席は番号しか割り振られてないのかとまじめに考えた。前から38番目…結構後ろやなぁとか落ち込んでた。
 バイト後、ゲームセンターで会場の席を確認する。
 最前やんけ。しかも横は38/60。真ん中に近いやんけ。
 
今思うと、この時が人生で一番ツイていた瞬間かもしれない。

 そんなこんなで時は経ち、2月21日。夜の羽田空港に一人の男が立っていた。
 新宿だか品川だかで高校時代の友達と飲み、会計が終わるころに北海道で震度6弱の地震が起こる。花澤香菜のライブのために東京に行くと北海道が揺れるジンクスはここから始まった。
 
 そんなこんなで25日当日。5thアルバム「ココベース」を五日間で聞きこんだ僕は東京ドームシティホールへと向かう。
 会場に入る。本当に最前列。
 ここに来て初めての事実に気づくのだが、最前列より二列目や三列目の人のほうがテンションが高いのだ。これは最前列が陰キャの集まりなだけではなく、「本当に最前列で見てもいいのか?」という葛藤と緊張と高揚で黙ることしかできなくなっているのだ。
 そこからはほぼ何も覚えていない。階段から天使がてくてく歌いながら降りてくることと、僕の1m前まで近づいてきたのでグッとこぶしを掲げたこと、3m横で「恋愛サーキュレーション」を歌ったことぐらい。
 放心状態で会場を出る。そこからは”KANA友”のみなさんと飲んだくらいしか覚えていない。
 どれだけこの事実に自分がついていけていなかったがよくわかる出来事だった。

 

終わりに


 2019年のじぶんについていろいろ見てみたけど、あんまし面白くなかった。2020年以降に期待してください。。。。

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