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安心してる人に見えて不安な人

この人はいい感じだな、と思う人は周囲にいないだろうか。それはおそらく安心している人である。しかし、安心している人に見えて不安な人がいる。今回は見分けにくい不安な人について具体例を上げて話していこうと思う。

学校で部活や学校行事をこなしつつ、学業も手を抜かない人を見たことがないだおろうか?いわゆるクラスに一人はいる優等生、できる子、リーダのような子だ。その性格は明るく、周囲には人が集まっており、精力的にやるものはこれと決めている人だ。本人にあなたは不安な人だね、と声をかけることなどはないだろうが、仮にかけられたとすると本人は大変驚く。自分はこんなにも様々なことをやって活気に溢れているのにどうしてそう言われたのか謎である。このタイプは多くの場合、罪悪感から良い子を演じている人だ。本能的な囚われを持つ人だ。本人も周囲から良く扱われ、結果も出るので悪い気はしない。

それでは、安心している人はどのような人か。精力的にやることをこれと特に決めていない人だ。学校での成績はそこそこである。良い時もあるが、時には悪い時もある。学校の成績で毎回満点近く取るためには、傾向を読んだりテクニックがいる。安心している人はその傾向を読むことはできるが、真の自分の習熟度を計ろうとする。わからない問題がある場合は、後から自分が見た時に分からないという形にしておく。部活は毎日あるものや厳しいものではなく、週1、2回のものを選ぶ。空いた時間はアルバイトや家での会話など他の事をする。1週間で見た時に土日を含めて4日くらいは空きがあるようなスケジュール感で動いている。余裕がある生活を送っている。その空き時間で特別なことが起こり、それに精を出す仕組みを心得ている。

会社員で何事も冷静に分析をするタイプを見たことはないだろうか。仕事では頼りに、感情を表に出さない人である。スケジュール管理、新たな情報の収集、持っている仕事をさばく能力、周囲を引っ張っていく能力、どれをとっても長けている。物事には効率的にやれる勝ちパターンがあると考えており、周りが教えをこくと丁寧に教える。面倒見が良いとも入れる。意欲的でエネルギッシュである。周りに夢を持たせることも得意だ。将来に対して明るい展望を話す。このような人を飲み会に連れていき、2次会、3次会になるとびっくりするような愚痴をこぼす。え、そんなことを思っていたの、という愚痴だ。不満だ。日頃の明るい側面から見るとギャップがある。元々冷静に分析するのが上手いだけあって、その指摘は的を得ているようにも感じられる。この人に不安な人だねと言うと、どこでそう思うのか条件を上げるように言われる。根拠を求めてくる。中には失礼だと怒ることもある。これは論理的な囚われを持つ人である。

対して安心している人は、先程の人と同じような能力を持っているとしても、お茶目な側面がある。ユーモアがあるとも言えるかもしれない。周囲がクスっと笑ったり、ほっこりする側面を持っている。例えばマスクをつける場合、嫁が作ってくれた手作りマスクをつけていたりする。独身の場合はハンカチが可愛らしかったり、どこかギャップがある。持ち物に特徴がある。なぜそのような形に至ったかと言えば、それは周囲からのプレゼントだからである。周囲が誕生日を聞き、自然とあ、これはあの人に合いそうだからとプレゼントするに至るのである。離れていても考えてしまうような心地よさが日頃からあるためである。マウントを取ったりすることはもちろんない。〇〇に住んでいるよ、と言って誰かの劣等感をくすぐったりするようなこともない。平凡で質素と言える生活を送っている

不安な人となるのはこれまで避け難い困難があったためだ。その予想外の出来事に対応していたら勝手にそうなっていたのだ。不安な人でも大丈夫である。わざわざ予定を減らすなどと目的意識を持って動かなくていい。今の生活のままでいい。まずは深呼吸してみてほしい。ひとりの時間を持ってみることである。何もしないで過ごしてみることである。すると自然と予定を減らす自分が現れる。戦闘態勢にならない自分が現れる。これを”諦める”と感じがいする人がいるはそれは異なる。不安な人が勝手にそのようなレッテルを貼っているだけだ。諦めるのではなく、仮面を外すための準備をしている、整えている、そのような表現が近い。すると、なぜか安心している人になっている。これまでは起きている時間に緊張ばかりしていたがリラックスする時間が増えて様々なことがうまくいくようになる



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