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好きなことが分からない人

趣味は?と聞かれて答えられない人がいる。そのような時は当たり障りのないことを言っておく。本を読むこと、映画を見ること、友達と話すこと。それでは、それが好きかと聞かれると、好きだが、なんだか好きなことではないと感じている。自分から積極的にやることでもないし、時間を持て余した時にやる程度だ。その頻度は月に一度あればいい方だし、常にそれに夢中になっているわけではない。

このような人は、周囲にこたえてきた人だ。心の優しい人だ。環境の変化によく気づくことができる。求められればこたえる。頑張る。しかし頑張っていると、なんだか大変になっている。次々色々なことに対応しないといけなくなっている。そうして追われていると、好きなことを見つけたり、取り組む時間がない。たまたま時間ができても何をしようか悩む。

周囲にこたえるようになったのは、置かれた環境で仮面をつけた人に囲まれたためだ。仮面をつけた人とは自分を偽っている人である。不安を感じている人である。仮面をつけた人はどこか不機嫌だ。自分の思い通りにならなくて、どこかイライラしている。こうするべき、あぁするべきと言ってくる人もいる。それはいかにも道徳的で理にかなっているようにも思えるような、正義をかかげてくる。恩着せがましくなにか言ってきたり、冷酷な場合もある。

仮面をつけた人に囲まれると、そのままでいいとされない。何かと要求される。機嫌を取らないといけなかったり、何かできるようにしなければならない。存在を無視される場合もある。それは本人が疲れていて余裕がなかった、という背景があるかもしれないが、その態度は不安を積らせる。そのままでいいと思えない。

仮面をつけた人に囲まれると、自分の心に蓋をする。自分の願いは叶わないからだ。ちょっとゆっくりしたかったり、失敗したことに対して、大丈夫だよ、なんとかなるよと言って欲しかっただけなのに、それが叶わない。そのような小さな想いが叶わないと、怒りや不安を溜め込む。自分がやりたいことが分からなくなる。気持ちがワクワクするといったこともなくなる。

好きなことが分からないのは、このように避けがたい困難があったためだ。その時のベストを尽くした。いい形にしようとした。しかし、それはいつまで経ってもいい形にはならない。仮面をつけた人はいつまでも要求してくる。甘えてくる。仮面をつけた人から逃れようとしても、何故か執拗に追われる。逃げた自分が悪いかのような態度を取られる。

好きなことが分からなくても、大丈夫である。何かあれこれやろうとしなくて良い。まずはゆっくり休むことである。頭と身体を空っぽにすることである。そうすると、エゴのない意欲が湧いてくる。こうするとお金を稼げるかな、あぁすればみんなからイイねと言ってもらえるかなと思わない意欲である。それはお茶を飲むことかもしれないし、フラッと散歩することかもしれない。それを続けていると、自分の好きなことが見つかる。最初は好きだと気付かない。気づいたらやってること、それが好きなことである。好きなことをするとユニークになれる。どのような自分にもなれる。より満たされる。

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