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人に見られる人生から自分が楽しい人生へ

このところ人に見られる人生から自分が楽しい人生へとシフトしています

今年の春に勢いで休職しました。理系の研究職で油にのっていた時期でした。その道は周りから見れば輝かしい限りです。私自身でも鼻が高いキャリアだと思っていました。

しかしその生活は気疲れの塊でした。成長しようにもライブポイントがゼロで成長する余力がないような状態でした。

そのようなカタチから一変しました。休職して目のまわる忙しさから、時間のある生活となりました。その環境の変化にココロとカラダが反応しました

ココロはクサリから解き放たれたように羽を伸ばしました。何もする気が起きず、起きても布団にまるまっていました。やっと起きたかと思いきやゲームをひたすらしては寝るという日々を過ごしました。私はどこかでこんな時間はもう2度と来ないとでも思っていました。没頭しては無気力になる姿がそこにはありました。

カラダは極端に動くことを嫌いました。家から一歩も出ないような生活を送りました。これまで頑張ったからもうこれ以上頑張れないとカラダが言っているかのようでした。次第に昼寝をとらないと一日やっていけなくなっていきました。カラダの節々は硬くなり、何をしてなくても痛むようになりました。

そのような生活にも変化の兆しが見られるようになりました。日中歩くことに対して何とも思わなくなった頃です。ココロとカラダが時間のある生活に慣れた頃に転機が来ました。ゲームと寝るだけのどこか受け身な省エネモードな生活から「やってみたいな」という意欲がわくようになったのです。

思いついたら即行動。こうして衝動的は意欲に従う自分が現れました。エステに行きたい、ジムに行きたい、野菜が食べたい、入浴剤を入れたお風呂に入りたい、もっと厚手な服を着たい、帽子がほしい…その欲はとどまることを知りません。どこかに出かければ何かを買って帰るような生活が始まりました。その反面、貯金が減っていくことに怯える自分もいました。そんな自分を無視してやりたいがままに過ごしていました。

すると衝動的にやることの中でも続くことと続かないことが出てくるようになりました。エステは肌のこすりすぎで痛くなるからもう行かなくていい、ジムはなんだか気持ちいいしカラダが柔らかくなってなんだか調子が良いから行こう、野菜はあそこのお店が安くて美味しいから食べよう、入浴剤は香りがくどくて、むしろない方が気持ちいいから中断しよう、厚手の服は結局コレしか来てないからもう買わなくていいかな、帽子はコレを毎日手にとるから新しいのはもういいかな…という具合にです。

すると私は心地よいと思うモノに囲まれていました。そこには人にどう見られるかは意識せず、自分がどう感じるかを積み上げた生活がありました。

心地よい環境になると不思議なもので、ココロの不安がなくなりました

これまでは「すごい」と言われるようなことをした方が、自分の能力も伸びると思っていました。その考えに従い、できないことをできるようにしました。しかしなかなか報われません。誰にも「すごい」と言わない中で疲れ果てた自分が現れていました。余裕がなくこれ以上すり減らないように自分の身ばかりを守っている私がいました

しかし心地よい環境だと「すごい」と言われようなどと考えません。そんなことを言われなくても、毎日の生活が楽しいからです。

ココロの安心と呼応するように自分から取り組めて継続できることが生まれるようになりました。本を書くこと、ストレッチすることでした。この2つが生活の要となりました。毎日だれかに「すごい」と言われなくても勝手にやっています。勝手に考えています。そうして勝手に取り組めていました。気づきの重なりの中で生活していました。

そのような環境で生み出したものは、なぜか人から買われるようになりました。私と共に働きたいと言う人が現れるようになりました。以前は望んでも得られなかった気持ちのよい人間関係や穏やかな時間、静かな創作がそこにはありました。

私はいま自分が楽しい人生を歩んでいます。勇気をもって決断して良かったと思えます。どうなるか分からないけれど、自分が成長しそうな方に歩んで良かったと思えます。

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